3-8



「とりあえず、部屋の確認はこんなもんかな?」


「そうでございますね。……ベッドが一つしかなかった不具合は早急にスタッフに問い合わせるとしまして、それ以外に問題はございませんでした」



 部屋の一通りを軽く見回り終えて、


 俺たちはそのまま散策へと向かっていた。



「どこに行こうか?」


「ご主人様の、お好きなように」



 そう? と俺は答える。


 察するに、この飛空艇は今、例のエントランスホールでの集まりとか言うのに掛かりきりであるはずだ。

 であれば先ほど聞いた娯楽施設などに顔を出すには少し早いかもしれない。


 しかしはてさて、……ならばどうしようか。



「そうだ、ロリよ」


「はい。なんでしょうか、ご主人様」


「これさ、一応この船ってばなんだかんだとメインホールでイベントを予定してる感じだろ? タイムスケジュールが確認できたりしないかね?」


「タイムスケジュールですか? それは、現在エントランスホールで行われている催しの完了時刻の確認を求めていると考えてよいでしょうか」


「うん? ああ、その通りだよ。イベントには顔を出したくないんだけど、エントランスホールって言うくらいだしこの飛空艇でも主要の空間だろ? きっと豪華でさ、飯もあると思うんだよね」


「それは分かりかねますが……」



 と、彼女が懐から、何やら冊子のようなものを取りだす。



「?」


「こちらは、今回の旅での催し物の、タイムスケジュールを記したものでございます」


「え? まって? 飛空艇の人に貰ったの? ご主人様を差し置いて奴隷が?」


「ロリを含めましても、スタッフ側的に今最もアンタッチャブルなゲストが他でもないご主人様でございます。どうぞご理解ください」


「……別にいいんだけどよう?」


「こちらを確認する限り、もう直ぐにでも艦長挨拶はお終いでございますね。次は貴族子による事業紹介を予定しているようです。お急ぎになられたほうが良いのでは?」


「……、まーいいや、そうだね急ごう!」



 あんま考えないようにした方がきっと心が健康だと思うし!











 ……ということで、


 先ほど確認した十字路を曲がって、俺たちは件のメインホールへを進む。

 流石にここまでくれば人気も顕れ始めて、何やらスタスタと通路を行くスタッフや、壁越しに聞こえるような拍手の音が俺たちを歓迎する。


 或いは、艦長挨拶という雰囲気でもなさそうな様子に思える。

 もしかするともう既に、例の貴族子による事業紹介の催しが始まっているのかもしれない。



「急がれますか、ご主人様?」


「いや、別にいいや。それよりも目立たないようにしたいんだよな」


「了解いたしました」



 二人、三人とスタッフと行き違う。まっすぐに進む度に、人気が収束していくような感覚がある。


 果たしてその先に、俺たちは「ちょうど扉一つ分隔てたような拍手」を聞き、

 その扉の前で立ち止まった。



「ここかな?」


「そのようでございます。あちらに」



 と、手の平で差された先には、なるほど確かに「メインホール」の表記があった。



「どうも」


「ようこそいらっしゃいました。冒険者、カズミハル様でございますね」



 扉番の給仕に声をかけると、思った以上に丁寧な反応が返る。

 さすがプロ、どれだけヤベエ奴でも応対する分には一流扱いを忘れないということか。



「(……もしくはあれか、触らぬ神に祟りなし精神か)」


「(十中八九そっちでしょうね)」



「ただいまこちらのホールでは、貴族嫡子様方による立ち上げ事業の紹介が行われております。どうぞごゆるりとご見学ください」


「はい、どうも」



 そのまま給仕が、丁寧な所作で以って扉を開く。

 絨毯の起毛を擦る小さな開閉音の向こうには、一段階解放感を強めたような空気感がまず俺の印象に残った。



「……、流石、すげえ景色だなあ」



 目に入るのは広いホールと、その向こうに広がる高く広く遠い空の景色であった。


 一面のガラス張りは足元から天井まで続いていて、不思議と俺はその光景に、空ではなく水槽を見るような印象を受けた。


 それほどまでに、こんなにも空が身近で、そして彼我をはっきりと断絶された空間には現実感というものがなかったために。



「右手にある人だかりが事業紹介のようです。一見したところ、旅客の注目度はそれほど集められていないようですが……」


「うん? ああ、この手の見世物をこんな早い時間から始めてるってことは、イベントの主目的自体、事業主と投資家の直接のやり取りの方なんじゃねえのかな。その辺でグラス呷ってる連中も、耳だけはステージの方を向いてる気がするし」



 ホールは大まかに、濃い暖色の絨毯と四人掛け程度の円卓が幾つか置かれている、といったシンプルな内装である。


 無論ながらそれらにしたって、先ほどまでに見てきたのとも遜色のない豪華な設えではあるが、空の青さも相まってだろうか、活気がないとまでは言わないが、妙な閑古鳥の感が印象に残る。



「(あとは、バーカウンターとピアノが端っこにあるくらいか。……つーかぶっちゃけここ、完全に夜用見据えたデザインなんじゃねえのん? ラグジュアリーと朝日の眩しさが完全に喧嘩してると思うんだけど俺)」


「ご主人様のお考えはごもっともでしょう。どうやらこの先は曇りの地域に入る進路を取るようですので、恐らくはそこを見据えての内装だと、ロリは考えます」


「……うわなに? 心を読んだの?」


「作者の気持ちを考えたのです」


「文系もここまでくると魔法じみてくるな。そーいやあれか、なんだっけ、文系を三十まで貫くと魔法使いになれるんだっけ?」


「どっちかって言うと理系にその手のイメージ強いですねロリは」


「……や、やっぱやめとこう。理系文系同時にディスったら全人類敵に回したと言っても過言じゃないもん」


「了解いたしました」



 なお、ホール自体の広さとしては、おおよそシアンの宿の居酒屋スペース程度とみて相違あるまい。

 適切な表面積は主に音響の方に生きると見えて、ホール右手の発表者の拡声音(たぶんマジカル手段でやってるやつ)は、聞き取りやすいながらも不快ではない程度の音量に収まっている。



「それでは、ご主人様。どうなさいますか?」


「うん? あー、とりあえずカウンターで飲み物でも貰おうかね。……そういえば、こういうのって別途料金?」


「聞いてみればよろしい」


「それもそうだ」



 見分はそこそこに、俺たちは一路バーカウンターへ。



「……なんか、リキュールに違和感がある」


「は?」


「いや、こっちの話なんだけどもね」



 目に入る光景に、俺は率直な感情を呟いた。


 何せ、酒の棚に上る瓶といえば、どんなバーにしたって基本を押さえに行く以上、ある程度は似てくるものなのである。

 ……異世界だし仕方ないことなのだが、バーテンの背後に色とりどりのボ〇スが並んでいないというのは、もうそれだけで俺にとっては違和感しかない。



 というのはまあ置いておこう。ボ〇スの有無が酒のうまさを決める訳では、決してないからして。


 閑話休題。

 俺たちが近付いていくと、グラスを拭っていたバーテンダーが、視線を挙げてこちらへと礼を投げた。



「いらっしゃいませ、カズミハル様。何になさいますか」


「……あー。俺のことは聞いてるって見て敢えて聞くんですけど、俺に酒飲ませても大丈夫です?」



 何せ、先ほどの上艇にあたっては泥酔っていう体であれだけ暴れまわったのである。

 スタッフ側の彼的には、そのあたりの警戒はあってしかるべきだろう。


 が、しかし、



「お客様を悪酔いさせないことも、私共の仕事でございます」


「(……凄い滅茶苦茶カッコいい!)」


「ご予定のカクテルがございませんでしたら、よろしければ、私の方から一つ贈らせていただいても?」


「ええはい。じゃーそれ二つで」



 ってな感じで二人分の席を貰う。



「……、……」



 カウンターと椅子はどれも、少し艶のある黒色木造りである。


 指をたたんでノックするように感触を確かめると、やや柔らかめの、澄んだ感触が手の平に返る。


 椅子の方は、やや背の高い足の上にシンプルかつサイズ感控えめの胴体が付いた主張の弱いものだが、座っている分には不快感はない。


 或いは、このような場においてはむしろこういった「立ち上がりやすく、座っているという意識の薄い」ようなものの方が、座る側としても遠慮が立ちづらいという差配であろうか。


 また、カウンターの端には、何やらクリスタル製の黒板のようなものが置かれているようだ。



「マスター、あれって何なの?」


「ああ、あちらは、私が過去に賞コンテストで頂いたものです」


「賞コン?」


「ええ、私はもともと、バスコ公国に店を構えておりまして。そこで出た際のものですね」


「はへえ、じゃあマスターさんは、ここのスタッフって言うわけじゃないんだ?」


「はい。ご縁があって、酒の席を出させていただけることになりました」



 あくまで落ち着いた所作で、しかしカウンターの下で動く手先は滞りなく。マスターは、俺の言葉に反応を返す。


 果たして、彼が賞に輝いたカクテルというのはどのようなレシピなのだろうか。

 それを敢えて聞かずに、ただそっと思いを馳せるのが楽しいのも、きっと彼の雰囲気づくりの賜物だろう。



「(……いいね。一生座ってたくなるな)」



 次の一杯には、是非それをお願いしよう、なんて思いつつ。


 俺は、「座る」と「立つ」との中間のような体勢にて、下半身を脱力する。


 俺の腰を受け入れるクッションは、やや前に傾くようになっている。

 そのため、殆ど座高の変わらない姿勢を取りつつも、俺の太ももとふくらはぎはじんわりとした解放感を受け取った。


 また、他方ロリの方は、



「(四苦八苦っ)」



 身長が足りないようでちょっと大変そうだ。


 まあそれはとりあえず置いておくとしようか。果てさて、



「(おっ)」



 棚からリキュールを集め終えたバーテンさんが、遂にグラスを手に取った。


 選んだのは底に丸みのあるカクテルグラスである。

 俺の目の前に、彼はコースターを滑らせて、そして更にその上に、音もたてずにグラスを置いた。



「……、」



 ――佳境、という他にない。


 俺にも見覚えのある体裁のシェーカーに、やはり俺にも見覚えのある「色」のリキュールとスピリッツを注ぎ入れ、


 そして彼は、流麗たる所作で以って、



 ――それを、振った。



「(おー)」


「(おー)」



 俺たちはこぞって、彼の一挙手に目を奪われる。


 シェークスタイルは上下に分かれるシンプルなものだ。

 振り手は氷の音に、指先に返る冷たさに全神経を集中して、多少の喧騒の中。

 赤と黄金と黒色と日差しが占めるメインホールに、キレのある音を響かせる。



 そして――、




「アペタイザーでございます」




 グラスに彼は、「カクテル」を注ぐ。


 メインホールに這入りこんだ微かな日差しを照り返し、そのカクテルは、緋色を軽やかに輝かせる。


 ――アペタイザー。


 切れ味を際立たせた銘柄のジンと、ふくよかな苦みを持つリキュールを混ぜ合わせ、それらをシロップの甘味で以って脇を固める、というレシピのカクテルである。


 食前酒アペタイザーの名の通り、その苦み、酸味、そして何より鼻を抜ける香りが、飲み手に「晩餐の開始」を待望させる。



「……、」



 夜のバーで飲むそれは、どこまでも深紅を極め、先に待つ「食事じかん」の絢爛に身を焦がさせるものである。

 ……が、今日のアペタイザーは日差しに暴かれ、リキュールがその根底に持つ暖色の赤を更に際立たせていた。


 とろとろと、シェイカーからカクテルが零れるたびに、

 美しい赤が、更に日差しの色を含む。


 高価なワインを、空気に触れさせるために敢えて高い位置から注ぎ込むのと同じようにして、

 そのカクテルは、零れ落ちるたびに日差しを織り込み華々しい色を湛えていく。



「お待たせいたしました、お二人とも」


「ええ、――いただきます」



 かりん、と乾杯。


 唇を湿らせるようにして、俺たちは初めの一口に心を浸す。



「(……、……。)」



 ――全く、それは洒落たジョークであった。



 そも晩餐とは「経験をする時間」である。

 知らぬ皿を知り、調理者の描く世界観に思いを馳せ、とある一皿ととある酒精の相性に、価値観を新たにする。それはつまり、「旅」と言い換えても間違いはなかろう。


 苦みが鼻を抜け、それが爽快に変わり、舌が甘みに脱力をする。



「(――ああ、旨い)」



 どこまでも基本に忠実なこのカクテルのレシピはしかし、だからこそ、この先に待つ「未知たびじ」を、飲み手に期待させる切符となるわけだ。



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