3-9



「……、……」



 ――言葉はなく、

 俺はただカクテルの海に沈みこむ。


 如何に深く腰を預けようとも、足の高い椅子はしっかりと俺の体重を受け止めてくれて、ゆえに俺は素直に体幹の操作を手放す。


 ……これは、例えるなら、寒い時期に熱い風呂に入るような感覚だろうか。


 速やかに身体の全てのこわばりをほぐされて、

 俺は、黒く柔らかい材質のバーカウンターに、両肘と、そして上半身の全体重を預けるに至った。



「これは、……おいしい」


「でしたら、幸いでございます」



 俺の脇では、座高の高い椅子に苦労していたロリも身体の置き方を心得たようで、両足を地面から離しながらグラスを傾けていた。


 ……いや全く。本当に気品のある所作が似合う奴隷である。

 酒のない席で見る彼女が気高くも純白の姫君のようであったなら、酒のある席で見る彼女はまさしく傾国の美姫だ。

 頭身と見た目年齢を忘れて然るほどの色香が、今の彼女にはあった。



「……、……。」


「そろそろ、私どもの飛空艇は曇天の進路に突入する頃合です。……暗がりに入れば、メインホールの印象は一変すると思いますよ」



 バーテンダーの言葉に、俺はガラス張りの向こうを見る。


 その先では確かに、分厚い雲が俺たちを出迎えているようであった。



「……、」


 ――日向が今、日陰へと変わった。











 ――メインホールに音声が流れる。


 何やらその内容は、この飛空艇の進路が今まさに曇天の最中へ突入したことを告げるものであるらしい。

 丁寧で落ち着いた声色が紡ぐ口上アナウンスは、眠りを誘うゆりかごのように、俺たちに分厚いリラックスを喚起させた。



「……落ち着けるのは良いけどさ、これみんな眠くなっちゃうんじゃないの?」


「どうでしょう。ロリたちのようにマトモに事業紹介を見ていない人間でなければ、この暗転はむしろ照明に照らされたステージが華やいで見えて、目が覚めるようにも思えますが」


「あーそうだ。そう言えばそれを見に来たんだった」



 先ほどのアナウンスは、どうやら発表と発表の合間を縫ったものであるらしい。


 ステージの上は現在空白であって、袖下では何やら次の紹介者が準備を行っているらしい様子が伺える。



「はー、飛空艇の進行状況と発表者のタイムスケジュールを噛み合わせてんのか。しっかりしてんなあ」



 察するに、発表者によるプレゼン中に曇天に突入し視界が暗転して、その結果聴衆の集中力を欠く、なんてことを気遣った采配なのだろう。


 なんというか、ここまで計算づくで配慮をされたとなると、何も考えずに酒だけ飲んでいた俺としてはもう両手を挙げてあっぱれって言う他にない。気遣いの鬼かよっつって。



「どうしますかご主人様。このカウンターからご覧になられますか?」


「いや、せっかくだしもっと近付いてみよう。マスター、ご馳走様でした」


「ええ、またいつでもいらしてください」



 やはり支払いの必要はなかったらしい。

 俺たち二人はそのままカウンターを離れて、手ごろな観覧場所を探り始める。



「……、……」



 しかし、……或いはやはりというべきか、曇天に突入し日差しあかりを絞ったメインホールはどこまでもハイソである。


 内装と調度品の赤と黒と黄金色は、外から取り入れる日差しではなくメインホール内の間接照明に照らし出され柔らかに輝いていて、煙る空気感は、ガラスの外の曇り空にどこまでも融和している。


 夜と呼ぶには明るすぎるが、昼と呼ぶには安楽が過ぎる。

 そんな不可思議な雰囲気が、このメインホールを席巻していた。



「近付いてごらんになられますか、ご主人様?」


「うぅむ。あんまり人垣に近づきたくないよなぁ」



 悩みつつ、見やすさと人口密度の折衷案を模索する。


 といっても、この飛空艇の乗客はそれほど多いわけではない。

 俺はむしろ、潤沢な手札の内でどれを選ぶか悩むような感覚で、メインホールを見渡していた。



「……、」



 ――ステージ上には、今まさに二人の人物が登壇する際であった。


 一人は頭のてっぺんからつま先まで露出を皆無とした甲冑姿で、もう一人は俺よりも頭二つ分小さな、中性的な男の子(たぶん?)である。


 どうやら次の発表者は「彼ら」らしい。



「……、なんだか、聞き手の注目度が一段階上がったような印象がありますね、ご主人様」


「だなぁ」



 円卓で耳だけをステージに向けていた幾人かが姿勢を正す。

 それなり程度に上がっていた話し声も、少しだけトーンを抑えたような印象に変わって、多くの人物が、ステージの方へと意識を裂いているように見えた。



「……ちょっと気になるな」


「でしたら、あちらはどうでしょう。よく見えるのではないかと」



 言ってロリが指したのは、メインホールのエントランスであった。


 なるほど、左右に湾曲した通路のスロープで以って、入口付近あそこには多少の高低差が確認できる。

 向こうに行けば、人垣の後頭部越しにプレゼンを眺める、ということにはならないかもしれない。



「……ふむ、行ってみるか」


「了解いたしました」



 ということでそちらの方へ。


 ……確かに、発表者の表情こそ確認しづらいものの、ここからなら障害物もなくステージ上が俯瞰できるようであった。


 果たして、



「……、……」


「……、……」



 ただすら呆けて待っていると、どうやら発表者の方がようやく準備を完了させたらしい。


 照明の集まる壇上にて、

 二名の内の甲冑姿の方が、まずはマイク(っぽい魔法のアイテム)を手のひらで叩き、拡声の調子を確認した。



『あー、あー。……こほん、どうも失礼』


「……、……」



 ステージ上にはまず、彼ら二名と、そして卓上に据えられた妙なシルエットの機械(?)がある。

 それらが一身にスポットライトを浴びていて、それ以外に目立つ物は確認できない。


 察するに、あの卓上にある「機械」が、彼らの「事業」なのだろう。

 見た目だけの印象で言えば、俺の世界の「ドローン」にも近しいような無機質な見た目だが……、



「ん? ――ドローン?」



 ……なんか聞いたことあんな。ドローンだかドローンゴーレムだかっていうフレーズ。


 っていうかついでに言えば露出皆無の甲冑姿ってのも聞いたことあるんだよな。勘違いだとは思うんだけども。



「……、」



 とにもかくにも、閑話休題。


 甲冑がフルフェイス越しに、どうやらプレゼンに入ったらしい。



『では早速、私どもの発表を開始させてもらう』


「……、……」



『まず初めに諸君らに聞きたい。この世界で最も恐ろしい魔物は何だと思う?』



 心の中で思い浮かべてほしい。と、甲冑はそう言う。


 俺は、……ドラゴンかな。魔族かな。いやいやぁまさかゴブリンじゃあるめえ、と心の中でそう叫ぶ。



『そう、正解だ。――ゴブリンだ』


「――――(汗)」



『ああ、名乗り遅れてしまった。申し訳ない。――俺はゴブリンスr』



 ――メインホールを出る。


 暗がりの中、手探りでロリの手を掴み取って全力でメインホールを後にする。

 後ろ手に扉を閉めると、ぎりぎりの所で「アウトなワード」は遮られてくれたらしい。



 ……いや待ってアイツあれでしょ? リベットがこないだ言ってた斥候ドローンレ〇プされたっていうボンボン坊ちゃんでしょ? ドローンに感覚共有とかいう魔術を使って結果的に闇落ちしたとかいう冒険者の鉄板面白トークの登場キャラでしょ? そんな出オチのヤツが実際に登場していいわけない。だって大人に怒られるもの。



「ご、ご主人様? どうされたのですかっ?」


「い、いや! 何でもない! なんか急にこう、アレだ! わかんないけど外に出たくなったんだよな!」


「は、はあ……?」


「部屋に戻ろうか! ロリ! な! 部屋に戻ってさ、トランプで大富豪でもやろうぜ!」


「え? いやー、二人で大富豪ですかー?」


「おっと、なんだ? 自信がない? あー、まーそっか。じゃあいいよ。うん、大丈夫。俺別に戦う前から白旗上げるような腰抜けにまで誇りを強いるような真似はしないもん。スタート地点から既に負け犬だってんなら止めない。身の程をわきまえるって言うのも大事だと思うしな!」


「……なんだとこの野郎テメエおい? いいじゃねえか上等だ今のうちに私の靴を舐めるイメトレしとけ馬鹿野郎!」



 みたいな感じで、俺たちは一路、自室へと向かう。



 ――この時の俺たちには、この先に待つ運命がどれほど数奇で過酷であるかなど、知る由もないのであった。




 ……とか言って。



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