第四章『夏の夜』

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 春が夏に変わるとき、この国では、ひと際からりとした風が吹く。


 この国であれば、どの地方でも、夏は空気が乾いてくれる。

 過剰な気温の上昇などもなく、基本的には過ごしやすいのがメル国における夏だ。


 ……暦で数えれば、

 今日の日付は、殆ど初夏と言っていいはずで、


 しかしながら、今年の夏は少しばかり遅い訪れのようであった。

 風の匂い、日差しの強さが夏めいて来たのはほんの最近の事である。


「……、……」


 季節の変わる一日さかいめには、どの四季にも限らず、「らしくない日和」が訪れるものだ。

 たとえば、……この国の冬は厳しくはないが、北の国の多くは冬から春への変遷の際に「どかっ」と雪が降るのが通例で、そのグショグショの大雪が春の報せなのだとか。


 さてと、


 それで言えば今日は、強い日差しの割に空っぽな風が街を巻いている。

 窓越しの私さえ、時折にはうなじに寒気を感じる。と、


 そんな日和であった。











 公国首都の騎士堂拠点より。

 その一角、私のデスクにて、私ことエイリィン・トーラスライトは一つ息をついた。


「(片付いた……。やっと片付いたぁ……)」


 目前の資料の束を見て、もう一つだけ溜息を吐く。

 伸びをすると、腰やうなじの根深い鈍痛がふわりと軽くなった。


 窓の外を見れば、――どうやら時刻は、昼間の興隆が落ち着き始めた頃らしい。

 たおやかな色を滲ませる日差し色は、黄昏の予感を告げるそれだ。


「(……うわあ、おかしいなぁ、さっきまで午前中だったのに……)」


 などという文句を口に出す権利は、しかし私にはない。

 なにせこのタスクは、私に課せられた一種の「ペナルティ」であったために。




 ……私ことエイリィン・トーラスライトは、ここメル・ストーリア公国の抱える騎士であり、またこの世界における異邦人、異世界転生者カズミ・ハルの監視官である。


 カズミ・ハルがこの世界を訪れたのは、もう二週間も前のことだ。そのうちに彼はネームドエネミー『赤林檎』の討伐、『爆竜パシヴェト』討伐依頼への貢献などで以って冒険者としてのキャリアを駆け上がり、

 ……また、その功績それぞれにおいて、私は一回ずつの「大ポカ」をしでかしている。


 まず『赤林檎』について。

 ここでのポカは、簡単に言えば「予算を大幅にオーバーした使い込み」である。

 カズミ・ハルの一計により『赤林檎』討伐報奨金が予定以上に膨れ上がった一件。現状はひとまず、彼には私の平服投身のお願いによって「支払いを待ってもらっている状況」に落ち着いている。


 それから『爆竜討伐依頼』においての私の「大ポカ」であるが、



「……、はぁ」



 ……依頼自体は、滞りなく完了した。

 爆竜は、冒険者カズミ・ハル、リベット・アルソン、私を含めた公国所持の戦力及び一級冒険者レクス・ロー・コスモグラフによって討伐され、公国首都への被害は、想定の内でも最低限のものに抑えられた。

 しかしながら、問題はそのあとであった。


 はっきりと言ってしまえば、

 ――あの野郎、フケやがったのである。


 あとちなみにリベットもついでにフケた。これもなぜか私のせいにされた。マジ理不尽だと思う。



「……、……はあああぁぁぁぁぁ(クソデカ溜息)」



 あの朝の「簡易化された公国王閣下との謁見」にこそ顔を出し、ちゃっかりと報酬のリクエストまでを済ませた若干二名は、しかし、その後忽然と姿を消した。

 察するに奴らは分かっていたのだろう。「格式高めんどくさい」のはこのあとである、と。


 ――まあ実際、後日改めて行われた『公国に貢献した各位冒険者への褒賞及び昇級権利の授与 (正式名称)』の式典はマジでめんどくさかった。

 というかまずそも名前からしてめんどくさい。なんだ二十五文字って、四回書いたら百文字じゃねえか馬鹿野郎。


「(……しかも二人とも、陛下にオーダーしたご褒美の方はしっかりテイクアウトしていく始末。もういっそ私も逃げちゃえばよかったのかもしれないぜぇ……)」


 なんて訳にはいかないのが公官の辛いところ。

 イッツソービジー、狂ってる? それ、誉め言葉ね。(ポエム)


「(ヤバい。ダメだ。忙しすぎて頭が悪くなってる私……っ!)」


 ひとまず今は、……気晴らしがてら、遅めの昼食のアテでも探しに行こう。

 或いはコーヒーブレイクという手もあるか。

 社会の理不尽にも負けず一生懸命頑張った自分には、サンドイッチよりもイチゴのタルトの方がご褒美に妥当かもである。


「(イチゴの、タルトぉ、……カスタードぅ)」


 なんか謎にワクワクしてきた。

 これも或いはデスクワーカーズ・ハイという奴か。


 いろんなネジが馬鹿になってる私の思考を、イチゴのイメージが埋め尽くす。

 酸味が、甘みが、カスタードのコクが奔流する。


 ……そうだ、私は今日も頑張った。だから今だけは女の子をしに行こう。どうせ夜には仕事に帰る儚い夢かもしれないけれど、


 ――それでも、たまには私だって「可愛い可愛い言ってる私が一番かわいいんだ」って悦に浸りたいじゃない!


 と――、



「(ノックの音)」


「(いやなよかん)」



「入りますトーラスライト殿。――追加のお仕事です」


「……………………、(頬に一筋、綺麗な涙が流れ落ちる)」



「……シリアス泣きやめてください、トーラスライト殿」







 /break..







 さて、

 私のデスクに顔を出したその職員、彼ことカフス・ブラウンは慇懃無礼に扉を潜る。



「(がるるるる……)」


「トーラスライト殿、理性を取り戻してくださいませんとデスクワークにかかれません」


「ちっくしょうテメエ。……良いか貴様、私は今から外に出る。認めるよサボりだってね、力づくで止めてみろクソッタレ」


「自分は止めません。報告をするだけです」


「……ッチ!!」



 唾を吐き捨てなかった自分の堪え性を褒めてやりたい。しかしながらカフスは、こちらの激憤など気付きもせずに落ち着いた面持ちのままでいて、

 ……私もそれに拘泥を諦め、デスクに戻る。



「っと、それが『仕事』ですか? ……今回の資料は束ではありませんね?」


「ええはい。ご自身へのペナルティはこの仕事が最後だとか」



「……、……」



 ……そんな言葉で手放し喜ぶ騎士がどこにいる。と、公国に根差す騎士なら誰だって知っていることだ。


 上げて落とす、それがデフォ。公国王陛下は自分たち公国騎士をお憎み遊ばれていらっしゃると。


 ……いやまあ、それは冗談としても、



「場合によってはマジで逃げますケド、ちなみにどんなハナシが来ているんです?」


「…………。それはまあ、ご自分でご確認を」



 憐れむような惜しむような失敬な表情を隠そうともしない彼は、そのまま私にその資料を手渡ししてくる。



「……応援要請、から?」


「ええ」



 短い言葉が返るのはひとまず聞き流し、私はその旨、『バスコ民主共和国内領ストラトス領主からの支援依頼』なる資料の概ねを確認する。


 まず、――バスコ共和国とは。


 その名の通り民主的国家元首を頭に置く、我が国のお隣さんである。

 ……と言っても向こうとこちらは領土を海峡で断たれており、公国民間におけるイメージはお隣さんというより、対岸の住人という感じだろうか。


 領地面積はこちらの五分の三程度で、世界情勢における影響力は、はっきり言えば弱い。

 そして、



「(……のせいで、一時期は対岸のこちらに火の子が飛びそうなほど炎上していた国ですね。国内摩擦に押し負けて国家元首の採択を民主主義に変えて十数年。未だに、我が国におけるバスコ国のイメージは払拭しきれていない、って感じでしょうか)」


「……向こうの国のストラトス領と言えば、現領主レオリア・ストラトス氏は次の大統領に最も近いとされる方です。今回は、例の『ウチの国王は向こうの領主に借りがある』ってウワサ絡みかと存じます」


「あの、いつも言っている事ですがね。……公人がそうペラペラと他国の特定勢力を評価する旨のコトとかウチの国王の恥部のコトとか口走らないで下さい。クセになって他所で出たら一族郎党この支部まとめて首が飛びます」


「失礼しました」



 まあこのカフス、これで割とマジで有能だからその辺はあまり強く言えない。

 ぶっちゃけさっきまでの資料確認とかこの男にやらせたら私の三分の一の時間で終わるまであったりする。


 ということで改めて、件の応援要請についての文字列を確認しよう。



「(やはりレオリア氏から直接の依頼ですね。確認する限りでは、……なんだ? ?)」


「ちなみにこちら、資料への記述はございませんが、――鹿となることが、ご自身への割り振りの仕事になった理由だと思われます」



「……………………なんて?」


「あくまで所感です。私の情報筋から、その近辺に彼の確認証言が上がりまして、推察としては妥当かと」



「お前すげぇな! なんでそんな私も知らないようなこと知ってるの!? 君が騎士をやりなよ!」


「……あー、まあ。縁がございましたら」


「じゃない! 違うや! そうじゃなくて、アイツがいるってどういうことですか! その情報は本当ですか!?」


「ああ、はい。……そちらの方は、信憑性が非常に高い」



 いきり立つ私に、カフスはまず、


 ――何せ、と前置きをして、




「――どうやら彼、向こうで逮捕されたらしくて」


「……あー、なるほど。いつかやると思ってたよ私は(遠い目)」



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