1-4



 その「存在」は、世界に生まれ落ちて、

 まず、周囲の情報を検分した。



 ――自分の背後には、木立ちがあるらしい。そして、それ以外には何もない。


 否、空白の世界には、しかしよく見れば空があり、草原があり、日差しがあり、冷涼たる風があった。「存在」は演算する。空も草木も日も風も、ソレは知らない。


 ゆえに、計算する。それが「空」であり「草木」であり「日差し」であり「風」であると。

 ならば、つまり、「それら」が存在するこの場所は、「世界」であると。


 ――その「存在」は、自身の記憶ログを検分する。


 最後のログにあったのは、自分が潰壊する景色である。「視界」の端に自分のひしゃげた身体が見えて、それが破裂し、アラームが響く。その末に自分は、行動不能に至った。


 そこまではいい。……ならば、その次はなんだ?


 次の景色には、「時間」が「無い」。音反応も、熱源反応も無い。四肢もなければコアもないはずなのに、その主観的景色において自分は「自我」だけはいまだ袂に合った。


 とは、なんだ?

『……、……』


 自我、自我、自我。

 脳内のデータベースにあるその言葉の意味と、今自分が認識しているそれとの乖離があまりにも絶大であった。


 自我とは、ヒト個人の自意識である。魂一つの主観である。普遍的無意識の固有性発露である。それは、


 しかしながら、自我が無くては在り得ないのだ。



 ――



『……、……。』



 その「存在」は、四肢を駆動させる。鋭い手足の先が、草原に穴をあける。


 どこに行けばよいのかわからなかった「ソレ」は、

 まずは、風を追いかけることにした。






 /break.






 ――それは、夜更けのことであった。



 月の位置からすれば、夜はいまだ長い。そんなことをふと、俺は窓を眺めながら思う。


 恐らく、俺はまだ寝ぼけていたのであろう。ゆえに俺は、自分がどうしてこんな夜更けに目を覚ましたのかが分からず、……そしてそれを、遅々として思い出す。


 視界の焦点が合ってきて、耳に投げ込まれる音が輪郭を得て、ベッドシーツにわだかまる湿気に気付いて、寝間着が寝汗で少し湿っている事にも気付いて、そして、まだ覚醒せぬ耳が、ぼやけたような『音』を聞く。


 音。音。音。

 それは輪郭を際立たせるごとに高く、大きく、そしてになっていき、



 ――そしてようやく思い出す。




「――――。」




 身体を起こす。すると、窓の向こうの景色が見え、その先で煌々と燃えるオレンジの光色に、俺はどうしようもなく胃の腑を焦がす。

 ……ただし、それは、俺が思い描いた災禍の火の色ではなかったらしい。



「ハル! カズミ・ハル! 今すぐに起きろ!」



 その怒声とけたたましいノックに、俺は悲鳴じみた返事を返した。向こうも、俺の返事を行儀よく待つつもりはなかったらしい。外側からかけられたカギが、殆ど千切れ飛ぶような勢いで開錠され、ドアが蹴破られた。



「敵襲だ! 外じゃ篝火を焚いて視界を確保している、お前は、とにかく俺についてこい!」


「は、はい!」



 俺の返事を待つことさえない。現れたバルクは、ベッドの上の俺を捕まえて引きずるように部屋を出た。


 晩酌の後に俺があてがわれた部屋は、昼間に使った客間の隣室である。つまりは地上二階に当たる場所だ。流石に下り階段を引きずって降りるわけにはいかないと思ったようで、バルクは階段手前でようやく俺の首元から手を離した。



「もう一度言うが、敵襲だ。お前は俺と、馬に乗って逃げる。いいな!」


「あの、分かったっ」



 階下の景色を見下ろす。寝室の窓から見えたオレンジは天を衝く炎の強さに思えたが、こうして改めてみると、幾つもの設置型松明による照明のそれであったらしい。

 その明かりの足元では、昼間に見慣れた男たちの全員がそれぞれせわしなく動いている。



「説明は全部後だ! ハル、お前は俺たちが全力で守るべき人民だ! だから、お前も俺たちのために言うことを聞いてくれ!」


「わか、わかった! あの、どうすればいい!?」



「馬には乗れねえよな!? 仕方ねえから俺と相乗りだ! 多少狭いかもしれないけどしっかりつかまっておけy」



 ――視界が、





 ふと、虚空となった。





「    」



 そこに風が立つ。


 木っ端が舞う。


 



 そうして遅れて俺は気付く。――



「……、ばる、く?」



 風が、暴力を成す。突風に吹き飛ばされた俺は、なすすべもなく階段の向こうへと弾き飛ばされる。


 そこで、――俺は見た。



 ――それは、ただ一目に生物ではないと本能的に理解できるフォルムをしていた。

 黒い繭のような楕円形の身体に、虫の足が4つ付いている。それらは夜の闇よりもなお昏く、そしてソレは肉食獣の前傾姿勢でこちらを「見て」いた。


 闇に紛れ、輪郭が判然としない。俺が目を凝らすと、ソレがふと、小屋の燃え上がる炎に暴き出された。


 楕円形のボディの四つ足。蠍が威嚇するように、こちらに向けた頭を低く保ち、臀部を上げている、


 ソレは、



 ――明確に、兵器であった。






 /break.






『状況補足。殲滅対象、十二名ヲ確認』



 機械音声が鳴り、ソレが奔る。

 蜘蛛の疾走を更に早回しにしたようなデタラメな挙動だ。鋭い四肢が地団駄を踏むと、小屋が、篝火が、人が、砕け散った。



『殲滅挙動ニ移行。機構、「ライトライン」ヲ使用シマス』



 その鉄の四肢が撓むように揺れる。――繭の身体が弾け飛ぶ。

 否、


 悲鳴が上がる。怒号が上がる。それに遅れて、詠唱が響く。



「広範囲身体強化! 広範囲炎熱耐性! おい! 負傷者報告を!」


「死者三名! 更に行動不能が五名! 残った後衛は俺たちだけです!」



 その報告を聞き、ウォルガン・アキンソンは苦渋を噛み潰した。



「撤退だ! 固まって逃げるぞ! バルクは西だ! 俺たちは逆に行く!」


「待ってください! バルクももう……ッ!」


「――だあッ、このクソ鉱石のクソったれ!」



 そんなウォルガンの憤懣を遮り金属音が響く。鎖を打ったような不快な音だ、音の方向を見ると、



「――――ッ!?」



 


 悲鳴も上げられずに、ウォルガンは身を翻す。今自分は、行動不能となるわけにはいかない。その自覚が自身の身体をすんでのところで翻し、


 そうして遂に鉄の四肢の切り裂く軌道から、彼は自身の片目を守り切り、その代わり、



「!? !?? !????」



 壮絶な痛みが彼の身体を襲う。左腕だけではない。足を、腹を、喉を貫かれた痛みだ。機械はウォルガンを、まるで肉食獣の捕食のように引きちぎる。



「テメエ! クソがぁあああ!!」



 それを見た戦士が怒号を上げる。携えた剣を振り上げ、力のままに振り下ろす。

 しかし。――戟音は響かない。その代わり剣が虚空を薙ぐ間抜けた風鳴りの音が立ち、そして首のない死体が地面に手折れる音がした。



「か、――カル、ネスゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウ!!」



 その首のない死体は、カルネス・メイバーという男であった。そうウォルガンは追懐する。

 理知的で、しかし直情的なところがある。酒の席ではいの一番に意識を飛ばす癖に、翌日には誰よりも率先して他人の介抱にいそしむ。


 ――絶対に、首を飛ばされて死んでいいような男ではない。ウォルガンは狂い立つ感情をこめて、



『……、……』



「貴様! 貴様よくも! ぁぁぁあああああああああああああアアアアアアッ!!」



 身体が熱い。それなのに寒い。もはや痛覚さえ超過した危険信号が、理解しがたい感覚となってウォルガンの脳裏にアラームを立てる。

 それでもいい。自分は今、死ぬのでもいい。

 何でもいいから、このクソくらえにただ一撃を!



『……。使


「は?」



 がしゃん! と音がした。

 ウォルガンは、目前の光景が理解できずに思考を空白とする。


 鉄の頭が、口を開いた。

 ――そしてソレが吐き出したのは、天上の白色であった。






 /break.






 俺が、


「    」



 ――呆けている間に、この拠点は壊滅した。



 倒れた篝火が小屋の瓦礫に移り、煌々と火を上げている。

 唸り声さえもあげない肉塊が、火の粉を一身に浴びている。それは、よく見れば俺を友人と呼んでくれたうちの一人の亡骸であった。


 静かな廃墟に、春夜の風が一条たなびく。それが俺の頬を撫でる。

 金属の軋む不吉な音が、


 ――一つ、上がった。



「……、……」



『殲滅対象、一名ヲ確認』



「――


『殲滅挙動ニ移行。機構、「バグライト」ヲ使用シマス』



 機械の身体を弛ませるように、ソレが、少しうずくまる。そうして吐き出した幾条もの光が、俺の身体を灼いて貫いた。


 



『対象ノ生存ヲ確認。機構、「レーザーライト」ヲ使用シマス』



 繭の身体が『口を開ける』。そこに光が収斂して、そして、――夜空を白く染める。


 



『……対象ノ生存ヲ確認。機構、「ナパームライト」ヲ使用シマス』



 視界が弾け飛ぶ。俺のいる場所を中心に、超高密度の「光」が発生し、辺り一帯を消し炭とする。


 



『――。対象ノ脅威ヲ再定義。機構、「ビッグクランチ」ヲ使用シマス』





 そこで俺の怒りが遂に沸騰する。辺り一帯にいる俺の友人の亡骸が、煙を上げている。

 俺はその燻りを頬に浴びながら、再び口を開ける鉄屑に特攻した。


 その「口」がこちらに照準を合わせる。光が収斂する。構わない。俺は何にも気に留めることをせず、ただすらにこの拳で、鉄の身体を無茶苦茶に殴る。


 これは、。俺は過日の世界で、使い切れぬほどの富を願い、帰る場所を願い、そして「これ」を願った。


 どこまでも行きたい。それが自分の足で、身体で出来るなら最高だ。

 俺は、この身体たった一つで、『想像しうる限りの全ての地平に行きたい』。




 ――

 




 ――辿




 なら、俺は今ここでこの鉄屑を叩きつぶしたい。

 それが俺の願いだ。




「……、……」




 そして、俺は、

 返ってきた「無声の音声」に、悲鳴を上げた。











 /break..












 翌日。


 朝日が暴く「その惨状」を確認した彼女、

 ――エイリィン・トーラスライトは、静かに黙祷をささげた。



「……、……」



 この場所にあったのは、公国きっての至宝の結晶、ウォルガン・アキンソン部隊の拠点であった。


 それが、今では、――瓦礫の集窟と呼ぶほかにない。



「…………、報告を。何でも構いません、敵の素性を示すような痕跡は在りませんか?」


「……ここから見える以上のものはありません。トーラスライト殿」



 彼女はその言葉に、



「……。」



 沈黙を以って返す。


 それっきり、辺りは沈黙の帳が降りて、それを春の朝の風がさらった。


 朝露の気配を残した、瑞々しい風だ。願わくば、



「……、ああ」



 ――それが、戦士たちの亡骸を癒しますように。



「……、……。わかりました。それでは引き上げましょう」



 その言葉に、一つ分の敬礼の音が鳴る。そして更に、六千人分の敬礼の音が追随する。


 エイリィン・トーラスライトの率いる援軍部隊は、彼女のその静かな一言で以って行動を開始した。戦士の亡骸を取り集め、戦士たちの居城の火を消し、そして彼らに祈りを捧げる。


 その組織だった美しい働きぶりを、……エイリィンは静かに眺めていた。



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