第一章『旅のはじまり』
『旅のはじまり_/1』
それは、よく晴れた春の日のことであった。
風が強く、それが、伸ばしっぱなしの前髪を揺らす。
――風の鳴る音が遠くから来て、俺の耳をかすめて、そして後方へと流れていく。
少し冬の気配を残した風だった。
冷たく、鋭く、俺の頬とうなじを刺して、その都度、俺は目を覚ます。
雲が高くて、空が広い。日差しが白く、瞼を灼くようだ。
そんな日に、俺は、
死んだ。
×××
「……、……」
――おはよう、ハル。死出の目覚めはいかがですか?
「……。?」
脳裏に響く声に、俺は疑問の声を漏らした。
次いで、辺りを見回す。
否、「見まわそうとした」というのが適切であった。
俺の視野には、幾ら見まわそうと何の視界もなかった。
「――。」
視界がない。
それに熱感も、匂いも、音も、四肢の感覚も。
それは、思考のみが存在する世界であった。そこにおいて俺は、先ほどの「声」を幾度と、幾年と、幾星霜と反芻する。
なにせ、それ以外にここには「すること」が無かった。
――あなたの願いを解析しました。
ふと、そんな声が響いた。
それは続けて、三つの願いの成形に成功。スキルとして出力します。と、妙な言葉を残し、また消えた。
「――――。」
俺の、返事を紡ぐはずだった声もまた無音を成す。
呼気や唇の開閉の音さえ、感触さえ分からぬ完全なる静寂。
情報の存在しない空間において、俺は、やはり幾星霜と「その声」を反芻する。
俺の返答は、唇から先に行く前に無音となる。
だからこそ、俺に出来るのは声の反芻のみであった。
――あなたに、第二の生と、その旅路の祝福を。
……次に、
ふと降りた『その言葉』を反芻する時間は、どうやら俺には無いようであった。
/break..
光が、俺の瞼を灼いた。
久しぶりなような気がする熱感で以って、俺は条件反射的に瞼を開ける。
……そうして、まず視界に入ったのは、細い風に揺れる木の葉の色であった。
「……、……」
木漏れ日が俺の頬を照らしていた。
木立ちが衣擦れじみた音を立てるたび、俺の視界が柔らかく明滅する。
日差しの白と、木陰を透いた淡い緑が、未だぼやけた視界を揺する。
「あ、あー……?」
自分の声を聴いたのは久しぶりだ、とふと思った。
いつぶりかは分からないが、それでも、ひどく懐かしい音のように思う。そして、遅れて気付く。
――音を聞いたの自体が、たしか、久しぶりのことだ。と。
木陰の擦れる音が、やけに瑞々しい。それは寝起きのコップ一杯の水のように、俺の身体の芯に浸透していく。
頬を照らす熱に気付く。それから、地面に伏せた背中に溜まる、やや厚ぼったいような熱にも。
背筋に降りる汗の不快感に俺が身体を起こすと、背中が、新鮮な風を浴びた。
「あー、えっと」
視覚も、熱感も、音を聞くのも、それに、背中の汗が不快なのも、なぜだろうか、久しぶりな気がした。
ならばさて、具体的にはいつ以来のことであったのだろうかと想起し、それが『この風景』の違和感を思い出させる。
……俺は、どこにいるのだろうか。
未だ鮮烈な、俺の死んだ
しかし五体満足な自分の身体と、そして視線の先、どこまでも続くような平原への異邦感に、眉を顰めることしかできなかった。
ある日、俺こと鹿住ハルは死んだ。
それは、どう考えても明確過ぎる死であった。不可思議な直観ではあるが、俺は、死んだこともないのに、アレなら死んだはずだと確信じみた感覚を覚えている。
それから、さてと、その後はどうしたのだっただろうか。
「……、……」
そう、――その後に俺は『夢』を見た。
幾星霜の夢だ。無限に近い時間の夢を見ていた気もするし、あの夢はほんの数秒のことだったようにも思える。とにかく、そんな夢を俺は見て、
……そして、次の瞬間に迎えたのがこの光景だ。
有体に言えば、つまりは、俺は死んで、あの夢の世界を見て、そして今に至っている。
この三つの完璧に脈絡のない光景は、しかしどの瞬間を思い出してみても現実味しか思い出せない。
――或いは、今だってそうだ。
確実に絶対に間違いなく死んだはずの俺は、それでもなお自分が生きていると感じている。
ならば、俺には一つ『心当たり』があった。
「……。いや、うそだ?」
俺は、死んで、
夢で何かの声を聴いて、
そして今、この世界にある。
これが、案外最も妥当な過程なのではないだろうか。少なくとも、素人がこんな大掛かりなドッキリにハマったなどと言うよりは。
「……、……」
俺はどうしようもなく、辺りを見回してみる。
――目前にあるのは、別の言いようもないほどに「見事な平原」であった。
「……。」
俺が日陰を享受するこの木立ち以外には、岩叢も、木峰も、人の文明の気配も、どれの一つも存在の気配さえなく地平まで続く平原。
……ということならば仕方がない。
とかく俺は、身体を起こすことにした。
/break..
まず、自分の服装に気付く。
どうやらこの服は、俺が死ぬときに着ていたものと同様であった。
安いシャツに、安いパンツ。下着は上から足元までまとめて、聞くに名高い『世界ブランド的廉価商品』であって、ただし靴だけは、俺のこだわりで多少値の張ったものである。
また空気感も、俺が死んだ時分と変わらぬ気候であるようで、衣服の厚さによる寒気暑気などは感じない。
……こうなってくると、俺は死んだのだという確信が先立って「ここは異邦の世界である」と思い込んでしまっていたのだが、それも再考の余地があるかもしれない。
ここの気風も、俺が死んだあの日のあの場所と同じ、爽快な春の日和であった。
「……、……ううむ」
――しかしながら、こうも平原一辺倒の景色が続いてくると、やはりここは「だだっ広い野原しかない異世界なのではないか」という不安は出てくる。なにせ、見渡せどここには本当に石くれ一つさえもないのである。
日差しが傾ぐのを見る以外に、俺の往く景色には代わり映えというモノが無く。
「……、……」
そのまま黄昏が来て、
「……。」
そのまま夜が来て、
「 」
そして俺は、朝を迎えた。
「……………………。」
妙なことに、俺は全く眠気や飢餓感などを覚えるということが無かった。身体の方も、自覚する限りではコンディションがまるで変っていない。夜通し歩いていたはずなのに。
俺の後方にはもう、目覚めたときの木立ちは影さえも確認できない。
「……、はあ」
しかしながら、幾ら違和感を覚えたところで俺に出来ることがあるわけではなく、俺はただすら、まっすぐにどこかへと向かって歩くことしかできなかった。
――ゆえに、そうして歩き続けて、果たして、
ようやく地平線に起伏が顕れたのは、更に二日ほど歩いた後のことであった。
/break..
「……、おおう」
迎えるのも三度目の昼間にて、行く先の地平線に、多少程度の違和感を俺は見た。
それはどうやら、小さな村(?)であるらしい。或いはいっそ集落というべきだろうか。
遠目にも設えの悪そうな家屋の集まりを見つけて、俺はそちらに歩を速めた。
……では果たして、そうして見つけた、その「初めての起伏物」は、
「……、」
集落と呼ぶのさえ気が憚りそうな、率直に言えばただのコテージの集まりであった。
まず目につくのは、頭三つ分飛びぬけた高さの、木造りの「塔」である。或いは、俺の自前の知識で言えば、あのシルエットは『物見小屋』に近いだろうか。
それから、幾つかの簡素な小屋があり、それらの外周をこれまた質素な木造りの門が覆っている。
どれをとっても丸太を継ぎ接ぎにしたような簡単な造りではあるが、しかし、――妙に何か、どっしりと構えているような印象がある。
言うなればそう、あの「集落未満」は簡素に過ぎる造りではあるが、しかし不思議と整然としているのだ。
平原の原っぱの上にぽつんと立っている居様はどことなく牧歌的に見えなくもないが、しかしあの構え、設え、他者を排除する意思を感じる門の高さには、どこか攻城拠点のような印象が喚起される。
……ただし、先に言った通り、かような「攻城拠点」が純朴極まる原っぱにポツリ浮かんでいるのは、何度見てもあまりにシュールな光景であったが。
果てさて、
「――おうい、お前。何者だ!」
「!」
向こうから、声が届いた。
それで以って俺は、……自分が返事の出し方を忘れていたのに気付く。
「……、……」
声の主は、どうやら物見小屋の上にいるらしい。
目を凝らして確認した限り、その目鼻立ちは日本人のものではなく、しかしながら外国人だと断じられるほどに俺のそれと乖離しているわけではない。
「……。」
……当然、あの顔の造りが彼特有のものである可能性は否定できない。ただ、今に至るまでの三日間の行軍で、俺は、ここが日本ではないのだとひとまずの仮定をしていた。
それゆえに、まずもって出会った人物の見分はおろそかにできない。
いや待て、それで言えばアイツは、どう考えても日本語を話していたはずだが……、
「ここはメル・ストーリア公国の軍事拠点である! お前、そのまま接近するつもりなら我々には迎え撃つ用意があるぞ!」
――絶対にここが日本じゃないことは今確定した。なにせ、メル・ストーリア公国などと言うやや恥ずかしめの名前の国を俺は知らない。
「あ、あの!」
「!」
俺の三日ぶりの発声に、物見小屋の男は威嚇を解いた。
それで以って言葉が通じるらしいことを確認した俺は、更に継ぐ言葉を選ぶ。
「えっと、道に迷ったみたいな感じでして! 助けてもらえませんか!」
「な、なにっ?」
さてとこれは、俺がこの三日間の歩きっぱなしで考えておいた「最初に出会った相手への一言目」の、その数あるうちの一つである。
そもそも、空腹感や疲労などもなくただ歩くだけの生活をしていた俺に出来るのは妄想一個のみであって、それにあたって俺は、この死後の世界に人がいたら、まずどうやって意思疎通を図ろうかという問題についてを考えていた。
言葉が通じないなら逃げ一辺倒だし、言葉が通じたとしても、その相手がこちらに好意的か否かで対処は変わる。ここで俺が選んだのは、「比較的好意的だけど、異人であるこちらに一定の警戒を持っている相手の場合」に用意したものだ。
……なにせ、渡る世間に鬼はいない。助けてくれと言えば、相手はひとまず「助けるか見捨てるか」の良心の呵責に苛まれるというのが人の世の常である。
まあ、これがうまく行かなかったら、俺としては更に全力でヤツの良心の呵責を呷る用意もあったのだが、――果たして彼は。思った以上にすんなりとこちらへの警戒を解いた。
「待っていろ、今そちらに行く!」
そう言って彼は、何やら物見小屋の足元に指示を飛ばす。
それからほんの少しだけ待っていると、丸太づくりの門扉が開いて、その内から彼が、こちらに歩み寄ってきた。
「なるほど、君、見ない顔だね。それに若いな」
彼はまず俺にそう言った。表情から察するに、敵意は特に無いようである。
俺は、ひとまずは言い訳のしようもなく、彼に事情を率直に説明した。
「目が覚めたらここでして……、」
「目が覚めたらここ? それまでの記憶がないのか?」
「ここはええと、メル・ストーリア公国なのですか?」
「……そうだ。君は、どこから来たんだ?」
「
……ニホン? と彼は妙なイントネーションで言葉をオウム返しした。
しかしながら、国でも主要都市でもなく「地名」である「ニホンなる名前」に心当たりがないのは、そう珍しいことではないと解釈してくれたらしい。
彼は改めて俺の姿を検分して、……そしておそらくは俺を『無力な市民』であるとひとまず断じたようであって、ログ造りの門の方へ案内してくれた。
「遅れたがね、バルク・ムーンだ。君の素性は、我々の上司に話してくれ」
「ありがとうございます。本当に、困っていたんです」
俺の名をそのまま答えれば、聞き馴染みのない発音であるとかなんとか、何かしらの不都合があるかもしれない。
名乗り返す代わりに、俺は再三の感謝をバルクに告げ、それを道中の時間つぶしとすることにした。
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