第44話「………………私は何も見なかった」
さっさとこの部屋から出ていくべきだが、その前にやることがある。
杖を元の位置に戻しておくことだった。
戻すこと自体はそう難しい作業ではない。天板に掛けて、白い布を被せればいいのだから。
問題は杖に付いていた水晶玉。この水晶玉をどうすればいいのやら。
ここには補強するためのロープも接着剤もない。
どこかに隠すのも無理そうだ。
見た限り、この部屋は見通しが良く無駄なものが一切ない。一見天板の上に乗っている祭具や聖具の陰に隠せそうだと思ったが、この水晶玉を完全に隠すことができるほどの大きさや形のものが一つもなかった。つまり、水晶玉を一時的に隠せられるような箇所が見当たらないということだ。
「う~~~ん」
私は杖が展示されていた位置の正面で唸り続けた。唸りながら夏芽から受け取った杖と水晶玉を交互に見続ける。
「……………ん?」
ふと、気づいた。
「よし、やってみるか。さっさとここを出ていきたいし」
そして、実行に移すことにした。
◇◇◇
私は杖の上に水晶玉を乗せ、天板に掛けようとしていた。
ぷるぷるぷるぷる、腕が震える。水晶玉が動かないように顔を上げたまま、ゆっくりゆっくりと腕を上げる作業は意外な労力がかかった。
実は杖の先端部分は、水晶玉をすっぽりと置くことができる銀色の台座になっていた。台座が付いていることを今の今までうっかりと見逃してしまっていた。この台座があれば、接着剤やロープがなくても元の位置に十分戻せる。しかも、この杖は元々垂直の状態で保管されていた。斜めに動かさず、垂直の状態で天板に掛け、白い布を被せればしばらくの間は誰にも気づかれないはず。
だから私は今、垂直の状態を保ったまま天板に掛けようとしていた。簡単に考えた作業だが、いざやってみると意外に骨が折れる作業だった。
少し傾けただけで、水晶玉が杖の台座から落ちでしまうからだ。あと少しで天板に掛けられるというところでポロって落ちてしまう。もうこれで計八回だった。
まったくなんで私がこんなクソ面倒くさいことしなくちゃいけないんだ。
だんだんイライラしてきた。何度も何度も失敗する原因はイライラしすぎて集中できていないからだとわかっているが、イライラせずにはいられなかった。
あ~、イライラする。この神殿出たら、杖のことを聞く前に適当に五人くらいぶちのめそうかな。
いや、かなじゃない。絶対誰かをぶち殺す。
そうしないとこの苛立ちを鎮静化できる自信がない。いいや、五人じゃなくて十人にしよう。変に我慢するなんて私らしくない。こんな私らしくない作業をしているんだから、ここを出たら思う存分私らしい行動をしよう。ここを出たら誰かを半殺しにできる、そう考えるとすっきりとした気持ちになり、苛立ちが沈静化していった。
落ち着きを取り戻した私は一呼吸を置いた後、再び杖戻しにチャレンジを開始した。
おお、今度は腕が震えない。
やっぱりイライラしていたせいで、変に力が入って失敗していたんだな。
「よし、落ちるなよ落ちるなよ」
天板に置くところまでできた私はことさら、ゆっくりと杖から手を放す。
よし、落ちない落ちない。そのままそのまま。
杖から手を離して十秒経った。水晶玉が落ちる気配がない。
よっしゃ!
私は心の中で小さくガッツポーツをする。
ああ、よかったよかった。あとはシーツを被せるだけだな
「夏芽、布被せるから手伝って」
私は天板に掛けられた杖を見ながら、白い布を持って待機しているはずの夏芽に向けて手招きする。
「………………」
しかし、夏芽は何の返事も返さなかった。
もしかして、布を持たされた状態のまま待たされたから不貞腐れてんの?
おいおいこらこら、せっかく杖戻しが成功していい気分になっているのに、また私を苛立たせようっての?
お願いだから、今だけは私の言うことを聞いて。
ていうか、聞け。
「ちょっと聞いてんの?それくらいは手伝ってくれても――」
「あれ」
「え?」
ムッとしながら、私は振り返った。
夏芽はある方向に目をやりながら、指を差している。
どうやら、夏芽は私の言葉をあえて無視したのではなく、あるものを視界に捉えているせいで私の言葉が耳に入らなかったみたい。私は夏芽が指差した方向に目をやった。
それを視界に捉えた瞬間だった。
「あっ」
子供みたいな声を上げてしまった。膨れ上がっていた苛立ちが一気に思考とともに冷めるのを感じる。
それの正体はいつのまにか、むくりと起き上がっていた大司教だったからだ。
「あ~あ、なんで起き上がっちゃうの」
そのまま、眠っていればいいようなものを。
夏芽への苛立ちは薄れたが、今度はその苛立ちが目覚めた大司教に向かっていった。
これで、もう②のプランは使えなくなった。
………いや、もう一度気絶させれば、まだ②のプランは諦めなくて済むかも。
私はちらりと夏芽を見た。夏芽も私を見ている。
あの顔はたぶん、私と同じことを考えている顔だ。
また気絶させるためにはどれくらいの威力が必要かな。
気絶させるための力加減って難しいんだよね。力加減を間違えて、ぽっくりやっちゃったらどうしよう。
「う~~~~ん………………………………いいや、考えるの面倒くさい、逝っちゃったら逝っちゃったでその時、考えよう」
私は開き直ることにした。
そうと決めれば大司教さん、また眠って頂戴ね。
私は拳を鳴らし、一歩足を進ませた時だった。
大司教と目が合った。
「………………さま」
ぼそりと大司教は何かを呟いた。私は思わず、足を止める。
私はあることに気づく。気絶する前の大司教の瞳は虚ろで、生気も覇気もなかった。
しかし今、私を見ていると大司教の瞳の奥になぜか、光が灯って見える。
そして大司教は私を見つめながら再び口を開いた。
「聖女………さま?」
「え」
「聖女さま………ですよね?私は今まで何を………」
「「…………………」」
私たち二人、開いた口が塞がらなかった。
人間、想像の斜め上の出来事に遭遇すると、感情が無になると聞いたことがある。
まさに私たちはそんな状態だった。
誰が予想できるようか。
殴られて記憶を失った大司教が、転んだ拍子に記憶が戻るなんて。
まるで、ベタな漫画のシーンを見ているみたい。
「これは………喜んでいいんだよね」
帰還の儀に必要な核となりえる魔力量を持った大司教の記憶が戻った。この事実はどういう意味をもたらすかわからない私たちではない。
それなのに、なぜだろう。バンザーイ、の気持ちになれない。
あまりにも予想外な展開に感情がついていってないからかな。
夏芽も私と同じ気持ちだと思う。
さっきから瞬きの数と勢いが半端ない。
「夏芽、とりあえずバンザーイしとく?」
「する気になれない」
「ははっ、同じく」
今は両手じゃなくて、心の中でバンザイしとこう。
「たしか私は……………だめだ、召喚直後の記憶が………………聖女様、私は一体………」
大司教はふらりと立ち上がり、額に手を当てる。
「あ、ええと………………あ」
大司教が納得しそうな上手い言い訳が考えていると、視界の端にまたしても想定内のものを捉えた。副神官長がいつのまにか、起き上がっていた。
「副神官長?なぜ君が………」
起き上がったばかりで視界が定まっていなかった大司教は今の今まで副神官長が傍にいたことに気づいていなかったらしい。大司教はしゃがみ込んで、副神官長の肩に手を添えた。
「……………………」
副神官長はぼんやりと虚空を見つめている。その瞳はどこか虚ろだった。
あれ?なんかデジャブを感じるんだけど、気のせい?
副神官長は顔を私たちに向け、ゆっくりと口を開いた。
「あなたたちは誰?」
「「「………………………は?」」」
「私は誰?」
「「「………………………」」」
よし、今のは聞かなかったことにしよっと。
「………………私は何も見なかった」
ははっ、夏芽も同じことを考えていたか。
やっぱり私たちは双子なんだね。
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