第32話うん、めちゃくちゃ気持ち悪いな
すっかり、この王子のことを忘れていた。この王子も部屋にいたんだった。
さすが、影薄王子だ。私だけじゃなくて夏芽やコロネ令嬢、メイドたちにも気づかれなかったんだから。ていうか、コロネ令嬢を逆さ吊りにした時、止めも口出しもしなかったな。
いいのかい、王子様。
影薄王子は俯いたまま、何も言葉を発しようとしない。表情もここからじゃ、あまり見えない。
ただ、わかるのは影薄王子の息がなぜか、乱れているということ。
いや、「なぜか」じゃないな。息が乱れている理由はなんとなくだが、私にはわかった。
わかってしまった。
私はずんずんずんと影薄王子に近寄り、胸倉をぐいっと掴んで引き寄せた。
う~わ、マジか。
影薄王子は顔を紅潮させながらはぁはぁ、と熱い息を何度も吐き出していた。瞳も潤み、肌も汗ばんでいる。
「変態。あんた、興奮してんの?」
びくりと影薄王子は大げさなくらいに肩をビクッとさせた。
「気持ち悪いって………あ~、この言葉もある意味悦ばせることになるのか」
やっぱり、苦手だこういうタイプ。こういう、マゾは。
さきほど、影薄王子がぼそりと呟いた言葉を思い出す。
“私は羨ましいって思ったんだ”
この影薄王子は大司教が殴られた瞬間や令嬢たちが夏芽にひどい目に遭わされたことを聞いた時、ずっと羨ましいと感じていたらしい。そして今この瞬間、コロネ令嬢に対しても同じことを思っている。だから頬が紅潮し、呼吸が乱れているんだ。
うん、めちゃくちゃ気持ち悪いな。
現実世界にも影薄王子に近い、リアクションをしてきた男がいた。
いつだったかな?半年ぐらい前だったかな?
私らに難癖つけてきたヤンキー集団の中の一人の男だった。普段通り、夏芽が適度に相手して、適度にぶちのめして終わりのはずだった。しかし、その男は夏芽がいくら殴ろうが蹴ろうが向かってきていた。他のメンバーはとうに気絶又は瀕死の状態だっていうのに。
その男はなぜか、頬を紅潮させて嬉しそうに夏芽に向かっていった。
私は最初の内はいつものように面白おかしくスマホを向けていたが、男の様子が何分殴られても変わらず不気味なままだったので、さすがの私も動画を撮るのをやめ、引き気味に男を見ていた。
夏芽も「なんだこいつ」という顔をしていたっけ。そして、夏芽も私と同じように気味が悪いと思ったのか、最終的に殴るのをやめたんだった。
そんな私たちに男は言った。
「もっと殴ってくれ」と。嬉しそうに満面の笑みで。
マジでドン引きしたのを覚えてる。
私たちはそそくさと男を置いて帰ったんだった。
いやぁ、思い出しただけで気持ち悪くなってきた。私、アレはだめだ。
いくら私でも、ああいうのを撮りたいとは思えない。生理的に受け付けない人間の類だ。
この影薄王子を見ていると、あの男を思い出す。あの男もこの影薄王子みたいな息を乱しながら、私たちを見ていたっけ。
ていうか、そんな期待に満ちた目で見るな、影薄王子。
「あのさ、はっきり言っておくよ。私らはあんたの性癖を満足させる気なんてさらさらない。下半身の処理は自分でなんとかしな」
影薄王子が私に付きまとっていた理由。
期待していたんだ。不能王子や長髪王子のような仕打ちを自分もされたいと思っていたに違いない。何度か言葉を発しようとした理由や、ぐっと無理やり言葉を抑え込んでいるような表情をしていた理由はきっと、己の熱や興奮をどう言葉に言い繕えばいいかわからず、持て余していたからだろう。
私は侮蔑の感情を視線に込めながら、首が閉まるほど胸倉を掴み上げた。
あ、やばい。
影薄王子は首がギリギリに閉まっているというのに、ゾクゾクと気持ちよさそうに体を震わせていた。しかも、熱っぽい視線も浴びせてくる。
こういう凄みってマゾには逆効果なんだった。
うわ、ほんと、マジで、ガチで、めちゃくちゃ気持ち悪いな。
下半身とか、大変なことになってんじゃないの?
下方向には視線はいかないようにしないと。
この影薄王子が私らにもう、何の興味の示さない方法はないのだろうか。
殴ってもダメ。蹴ってもダメ。ガン飛ばしてもダメ。罵倒してもダメ。
そうなると、最後の方法しかないな。
無視だ。完全無視だな。
付きまとわれても、何でもないように振舞うようにしよう。
あのヤンキーマゾ男の時もそうだった。
実は喧嘩の後しばらく、あのヤンキーマゾ男にストーキングされていた。
目的はシンプルに「また殴られたい」からだった。
普段通りの腕力での退け方をすれば、マゾ男をむしろ悦ばせる結果になると私らは事前にわかっていた。だから鬱陶しいと思いつつも、相手にまったくしないようにした。わかりやすい後の付けられ方をされようが、回り込まれようが私たちは視界からフェードアウトしていた。
あの時は、大変だったな。
今にもぷっつんして、男を殴りつけようとする夏芽を押さえるのに一苦労したのを覚えている。でも、無視をしばらく続けていたら予想通り、男はいつのまにか私たちの前に現われなくなった。
男も察したんだろう。私ら二人が自分の性癖を満足させてくれないと。
あの時と同じようにしよう。直接害を及ぼそうとしないのだったら、完全に視界からフェードアウトするやり方はそう難しくないと思う。無視を続けていれば、いつのまに相手にしなくなるだろう。それに影薄王子は曲がりなりにも王子なんだから、私らにずっと付きまとっていられるほど暇ではないはず。私は期待に満ちた影薄王子に向けて、すんとした「なんの期待もするな」という表情を向け、胸倉をゆっくりと放そうとした。
その時だった。
「兄上に何をしている!」
この声は。
騒ぎを聞きつけたらしい長髪王子は駆け寄り、影薄王子の胸倉を掴んでいる私をトンと突き飛ばした。何をしているって私だけが悪者かい。ほら、見てみなってこの影薄王子の顔を。
私が手を離したことで、かなり名残惜しそうな顔しているぞ。
「また、騒ぎを起こしたらしいな!」
長髪王子は背にいる影薄王子を一切振り返らず、私と夏芽を交互に睨みつけた。
「庭園で騒ぎになっていたから、急いで駆けつけてきたんだ。お前たち、二人がかりになってバルコニーで口にするのもおぞましいことをしたらしいな」
長髪皇子の視線の先には項垂れているコロネ令嬢がいた。
「まったくなんて双子だ!兄上だけじゃなく、兄上の婚約者にまで狼藉を働くなんて!お前たちのことだ、どうせくだらない理由で暴れまわったんだろ!」
その兄上の婚約者が国で秘匿すべき聖女の噂を振りまいているよっていうツッコミをあえて言わない私って、なんて優しいんだろう。言ったら、ますます面倒くさくなりそうだし、この犬みたいに唸り声を上げながら睨みつけてくる長髪王子の様子をみれば「お前たちに問題があった」って言われるのはだいたい目に見えている。
「まぁ、間違ってはいないね。ちょっとしたおイタをしちゃった感じかな♪」
てへっと私は可愛らしく舌を出してみた。
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