第96話 最解の従者
先生は、眼鏡の向こうで穏やかな視線を僕に向ける。
周囲の荒れ方はひどい。地面はあちこちめくれ上がり、いまだパチパチと草が燃え爆ぜる音が聞こえる。立っていた小屋は原型を残さず破壊しつくされ、僕自身もあちこち擦り傷切り傷だらけだ。
そんな、荒れ果てた景色の中で先生は似つかわしくない落ち着きようだった。
「ああ、ラング。お前の問に答えを返そう。そのとおり、私は王を殺すことを最優先にしなかった。そしてお前たちを傷つけることを躊躇った、いや、視野に入れていなかった。選択肢に、含めなかった」
「ーーそれは、なぜ」
問を返す。先生はふむ、としばらく腕を組んで考え込む。その様子は見たことがある。何度も、教室で見ていた。あれはきっと、答えに迷ってるんじゃない。僕にどうやったら伝わるか、伝え方を考えている。それがわかったから、黙って待っていた。いつかの教室の中での授業の時と同じように。
「……うん、それを説明するにはお前に私がしてきたことを教えなければならないな。少し長いが頑張って聞いてくれ」
黙って頷いた。手元に書くものも紙もないから、本当に聞くだけだけど。それだけ、授業の時と違う。
「私はお前と会ってすぐ、お前の素質に気づいた。お前は、まだどの分野の才能も開花してない子だった。だから、私はお前の先生になって、お前の体質をいじった。魔術を起動する因子をなくし、代わりに魔力への干渉を可能とする因子を埋め込み、私の従者に育てるべく生徒にした」
「……」
言葉を飲み込む。出会ったときから利用しようとしていたのかと責め立てたくなる。でも先生が言いたい事、伝えたいことはもっと他にあるはずだから。最後まで聞いておく。わからないことや質問をするのは最後でいい。
先生の授業はいつだってそうだったから。
ヒルグラムさんやアルシファードさんも黙ってことの成り行きを見守っている。先生は僕が口を挟まないことを確認して話を続けた。
「私は数年かけて王都への潜入や王の殺害計画を立てた。魔術陣を作りお前の成長を待った。そして、お前が従者として活動して問題ないと確認した私は今回の計画を実行したーーだが誤算があった」
先生はそう言って、僕の後ろ、ヒルグラムさんとアルシファードさんを見た。
「一つは、王都に逃げたお前がここまで抵抗できる力を揃えたこと。ヒルグラムやアルシファード、王も含めてここまで協力者を作れるとは思っていなかった。なんなら私の前にはもう現れない可能性すら考えていた」
それは、尤もだ。僕自身ここまでの道のりが奇跡だと思えるほどに、偶然が重なった結果に過ぎない。ヒルグラムさんが見つけてくれなければ。或いはアルシファードさんやアナイさんが王と話をしてくれなければ。ガンドルマイファさんが手伝ってくれなければ。僕は王都の城門前で死んでいたっておかしくなかった。
「もう一つは、お前の能力が変化したこと。埋め込んだ因子とは違う形でお前の能力は働いている。それがなければ今頃私の完勝だった」
それも、そうだ。揃えたものも考えたことも先生には通じず簡単に王を殺されかかった。この力がなかったら先生はこうして話をしてくれたりしなかった。
「だがまあ、最大の誤算はそこじゃない。私の誤算は、うん、たったひとつだよーー私は、私自身の気持ちにひどく鈍感だったんだ」
「先生自身の、気持ち……?」
繰り返した僕に先生は小さく頷いて、目を閉じる。
「そうだ。私が王を殺そうと画策したのは随分前だが、それだって自分の気持ちの上に言い訳を重ねて始めたことだったんだ。私はただ、私やアルハンドラ、私が殺した導師たちのような別世界の人間がここに居ることが許せないだけだったんだよ。それをあれこれ言い訳して、大義名分のようなものを被せて隠した」
そう語る先生は自身の傷ついた左手を眺めて薄く笑う。
「自分たちの世界を捨ててこの世界でのうのう生きながらえて、そのくせ傷つかない体と絶対的な力を振るえる存在として君臨しようとする。そんな卑怯者たちが、この世界で生きていることが許せない。そしてお前たちやこの力を利用する自分自身も、だ。嫌いなものを消そうとして、気づいたら一番なりたくないものになっていたなんてお笑い草だが」
納得する。
先生は、不器用だ。嫌いなものは色々語れるくせに好きなもののことになると言葉が出てこない。そもそも表にしない。それはきっと自分自身の中でもそうで、長い時を生きるうち、自身の好きなものを忘れていったのだろうと思う。嫌いばかりを確かめすぎて、好きが見えなくなってしまったのだろうと。そうしていつの間にか自分自身が嫌いになったのだ。嫌いなものに、近づいていったのだ。
「ーーだけど、な。もう一つの気持ちがあったんだ。王を殺して幕をひこうとする私の気持ちに相反する、もうひとつの気持ちがあった。それが何度も私を邪魔して、今こうしてお前に追い詰められている」
メガネを押し上げながら先生は言った。
「……そんな気は、してたけれど。終わらせたくなかったのね、先生」
先生が直接それを口にする前に、アルシファードさんが先取りした。く、と苦笑いか照れ笑いか、混ざりあったようなバツの悪い笑みを先生は浮かべる。
「ああ、そうだな。一刻も速く終わらせたいと思うのに、いざ終わりとなったら手が進まない。私自身に残ったものなど何もないと、そう思っていたのになーー」
僕たちを見る先生の目は、やっぱりいつも見慣れた先生の目で。たとえ利用するためだったとしても僕にあらゆることを教えてくれた先生を、憎むことは出来なかった。傷つけず済むならそのほうがいいと、ずっとそう思っていた。
そして多分、それは先生も、同じなのだ。
だから手を抜いた。いや、傷つけることをそもそも選択しようとしなかった。完全に度外視していた。
「ーー先生が、僕たちを大事に思ってくれたってことは、わかりました。僕だって、今でも先生を傷つけたくなんかないって。そう思ってます」
それでも。
だからこそ。
「先生。まだ、王を殺そうとするんですか」
「ああ。私の気持ちに変わりはないよ。アルハンドラも私も、この世界にいちゃいけない。お前はどうする、ラング」
問を投げかけ、答を返された。そして、問いかけられた。
だったら。
答えなければならない。
「ーー止めます。僕が、先生を。だってあなたは、たった一人の僕の先生で……僕の憧れだったんだ!」
ずっと憧れていた。先生としての凛々しさに。自立した大人びた姿に。あらゆることへの豊富な知識に。日々見せつけられる確かな技量に。
ずっと与えられてきた。この世界の様々な知識を。一人では体験できなかった経験を。時に苦労もした価値ある時間を。学校で過ごした暖かな日々を。
得難い記憶を。僅かな自信を。得られる機会を作ってくれた。誰かの力になれる喜びを、はじめて知った。
「だから!そんな勝手でやっていいことじゃないから!止めます!絶対!」
拳を握った。解は示した、決意とともに。先生もまた、頷いた。
「それなら、ああ。私も答える。今度こそ全力で挑もう。お前を残していけないのは心残りにはなるがーー!」
言葉は攻撃だった。発動された導師の力は僕の左足の脹脛を前触れ無くバラバラと分解しはじめる。激痛が、声にならない悲鳴を生んだ。
「ラング!」
叫び、こちらへ駆け寄ったヒルグラムさんが横凪に剣を振るう。一歩飛び退いた先生の足元から、鋭い岩が飛び出し足場を崩した。
「詠唱なしに鉱物を起動させたか!いや、仕込んでいたなアルシファード!」
解説しているようで、それもまた攻撃だった。ヒルグラムさんの鎧が弾け、次いでアルシファードさんのローブに穴が開く。
「ッああ!」
掴んだ魔力を棒状にして、岩の上に立つ先生へ振り下ろす。見えないそれを先生は防ぎながらも地面へ落ちる。流血のない左足を引きずりながら先生へ近寄った。
「だめだ、もっともっと考えろーー!」
言葉は矢となり僕の右手にヒビが入る。が、脹脛のように分解は始まらなかった。
「ーー考えて、ますよッーー!」
握ったままの棒状の魔力を盾にして、先生の力の軌跡を感知したのだ。水の中をかき分けて進んでくるみたいに、力の伝播には動きがあった。だから右腕に当たり切る前に位置をずらせた。早すぎて避けきることは出来なかったけど。
右足を蹴り込んで一気に近寄る。
が、僕が先生に届くより先に、目の前にヒルグラムさんが割り込んだ。
「身体強化か……!」
アルシファードさんの魔術がヒルグラムさんを加速させ、悠々僕を追い越して先生に至らせた。先程の数倍速さを増した剣戟が先生を襲う。
打払う一撃、横凪にニ撃、打ち上げ三撃、繰り返される剣の攻撃を先生は見切りかわしていく。
「むッーー!」
でもそれ故。視界は乱れて僕を見てはいられなかった。
「これ、でええ!」
右手に握った武器を、先生へ突き出す。
「まだぁぁぁ!」
先生の叫びが重なる。右手そのものを分解しようとした導師の力が、手に触れる直前握った武器に当たり、分解し始める。
「な、にッーー……!?」
先生が、驚愕に目を見開く。魔力で作られた武器が分解できないのは実証済み。だが、武器は分解され始めた。
「これ、は……!」
その正体に先生が気づく。バチバチと火花を散らしながら分解されていくそれは、凝縮された魔術陣の塊。世界にたった一人の導師が一夜をかけて作り上げた傑作。
「契約書をーー!」
導師の力をもってなお、一瞬では分解できない超複雑構造の魔術道具を囮に、今度こそ左手に握った武器を先生へ突き出した。
拳が先生の腹にぶつかり、握った鉱石がひび割れ砕ける。
同時に、爆発的に吹き出した魔力に、重さを与えた。魔力は鋭い刃に変わり先生の体を突き抜ける。
「ーーーなるほど、ドラゴ・アイか……大盤振る舞い、だな」
先生が、笑う。火花を上げていた契約書が地面に落ち、分解が止まる。
「……ーー先生の負けです」
「……ーーそうらしい。いや、その通りだ。お前の、お前たちの勝ち、だ」
どさ、と先生は地面に座り込む。魔力が貫通した腹を抑えるが、血の一滴も見えない。ただ、代わって分解される時に見える破片のようなものが見え隠れしていた。
「ふふ、いや、考えたな……導師の力は複数箇所には使えんし、分解に時間がかかるものがあることは確認済みか……」
「……ちゃんと、出来てましたか?」
声が震える。しっかりしなきゃと思いながらも体はいうことをきかない。
「ン……そうだな。意外性はあった。だが実行するには少し詰めが甘かったな………」
先生がメガネを持ち上げようとして、その指が触れる前にメガネが破片になって消える。先生はやれやれと肩を竦めて僕を見た。
「だが、お前はそれでも実行した。そして結果も掴んだ。十分だ、ラング。評価はA判定をやろう」
「ッ……なんの、判定ですか……!」
耐えなければいけない。耐えなければ。わかってたことだ、こうなるのは。先生を止めるということは、一生曲がらない意志を力でねじ伏せるとはこういうことだとわかってたーー!だから、泣くな、前を向け、背筋を伸ばして胸を張れーー!
「そう、だな……魔術でもなし、剣術でもなし、まして商才なわけもなし……うん、この世界の能力判定にはない項目か。では……」
左足の痛みより食いしばった歯の痛みのほうが強い。耐えてるつもりなのに地面に涙が落ちている。
「従者、Aランク。この世界に立った一人の能力だ、いいだろう?」
先生はそう言って、サンドイッチを食べてるときみたいに楽しげに笑って。僕の言葉を待たずに、破片になって崩れ去った。
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