第85話 再会の従者(31)

 翌朝。アナイさんは朝一番でヒルグラムさんの元へ行った。昨日のことは、謝って済む話ではないかもしれないけれど、それでも話をしなければと決心をして部屋に入った。僕も一緒について行って、アナイさんの気持ちを伝える手伝いをしようと思っていた。が。


「昨日のこと?ああ、忘れちまったな!」


 呆れるほどあっさり、しかしはっきりと、ヒルグラムさんは言い切るといつも通りににかっと笑った。


「わ、忘れたって……!殺されかけたのに!?」


「おう、まるで覚えてねえな。だから謝られる筋もねえ」


 無茶苦茶だった。まるっきりヒルグラムさんはアナイさんの話を聞こうとしない。これでは、何を話しても意味がない。困り果てた僕とアナイさんの様子にもヒルグラムさんは動じず、朝食を摂りに向かおうとする。


「あ、あの、待ってーー!」


 アナイさんが引き止めるより先に、ヒルグラムさんの頭が真正面からひっぱたかれた。


「あ、アルシファードさん……!」


 部屋を出ようとしたヒルグラムさんを叩いたのは、意外にもアルシファードさんだった。アルシファードさんは、叩いてもびくともしないヒルグラムさんを腕組みをして睨みつけながら怒鳴る。


「あなたねえ、ちょっとは相手のことを考えなさい!その子は間違ったことをして、それを謝ろうとしてるんでしょう?その子を許していないならともかく、そうでないなら謝る機会まで奪ってどうするのよ!なかったことにするのが優しさだなんて、勘違いもいいところだわ!」


 怒鳴られたヒルグラムさんはしばしぽかんとしていたが、アルシファードさんの言葉に数度んうん、と飲み込むように頷いてから口を開いた。


「そうだな、そのとおりだ。なかったことにしたって、そりゃ俺の中だけの話だしな。腹を括って話しに来た相手に取る態度じゃなかった」


 そう言って僕たちへ振り返ったヒルグラムさんは深々と頭を下げる。


「すまなかったな、アナイ、ラング。俺はとんだ失礼を働いちまった。せっかくのお前たちの覚悟に泥を塗った。悪かった」


「そんな……私の方こそ、勝手なことを言って、あんなことを……」


 アナイさんもヒルグラムさんに向けて頭を下げる。そのままお互いに頭を下げたまま動かなくなってしまったので、アルシファードさんが呆れ顔でぱんぱんと手を叩く。


「はいはい、そこまで。話が済んだなら今日の作業に移るわよ。海賊どもももうすぐ来るだろうし」


「お、そうか……そうだな。じゃあアナイ、改めてまた、よろしくな」


「こ、こちらこそ、です……!」


 なんだか締まらない感じになったが一応解決はした、ようだった。安心した表情で上の部屋に向かうアナイさんたちを見ながらホッと胸をなでおろす。


「あの、アルシファードさん。なんでアナイさんのこと、助けてくれたんですか……?」


 昨日の夜は確かにアナイさんを拒絶したアルシファードさんが、なぜ急に手を貸してくれたのかは気になった。二人の後をついていきながらアルシファードさんに問いかけると、殺気以上の呆れ顔で肩を落とされる。


「あのねえ、貴方達どこで自分たちが話ししてたかも忘れたの?部屋で横になってても聞こえたわよ、あんな大声」


「ああ……」


 ひどく当たり前のことで、アナイさんと僕の会話は筒抜けだったようだ。


「でも、それを聞いてアナイさんのことを悪い人じゃないって思ったってことですよね?」


「……うるさいわね。海賊共に売り飛ばすわよ」


 そっぽを向いたアルシファードさんの耳が赤くなるのを見ながらつい笑みが溢れた。


「っと……!」


 そんな油断が生まれたからか、階段でバランスを崩して転びかける。咄嗟に右手をついて踏みとどまった。


「っ……」


 なんとか転倒は免れたものの、右手に鋭い痛みが走る。見れば掌に階段の木材から飛び出していたささくれが刺さってしまっていた。


「ちょっと、大丈夫?」


「あ、はい。ちょっと手を怪我しただけで……ーー」


 そう答えてはじめて、気がついた。気づいた瞬間、寒気にも似た感覚が腰から頭まで走り抜ける。


「怪我を……した……?」


 目の前で見ていたアルシファードさんも、その異常にすぐ気づく。すぐに僕の手を掴んでその傷口を確認した。掌に小さく空いた穴から、赤い血が僅かに溢れている。


「契約が……切れた……?」


 そう、僕は今契約書の力によって怪我をしないはずだ。それは先日のブラックサンライズの人たちが小屋を襲った際にも確認されている。でも今、僕は何でもないことであっさり怪我をした。つまり、契約書の力が、切れていた。


「どうして……日付にも余裕はあるはずだし、先生は契約書を持ってないず……何か仕掛けを……?」


 混乱する頭を整理しようと思ったことが口をついて溢れる。


「ーーやられた!ラング!ヒルグラム!アナイ!すぐ王城に向かうわ!急いで!」


 僕の頭が整理されるより先に、アルシファードさんが叫ぶ。僕の手を掴んだまま階段を登りきったアルシファードさんが小屋の扉を叩き壊す勢いで開け放つ。と、丁度到着したブラックサンライズの乗組員たちと出くわした。先頭に居たガンドルマイファさんが目を丸くする。


「な、なんだ朝からいきなり!」


「ラングの契約書の力が切れた!あの人が……


 アルシファードさんの言葉でやっと、僕も状況を理解した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る