第82話 再会の従者(28)

 寝室でベッドに横になって一時間程度だろうか。ヒルグラムは部屋の入り口に気配を感じて覚醒した。冒険者として生活して十数年になるヒルグラムは、眠るときにも周囲への警戒を怠らない。まして気配を消しているわけでもない人間の気配は目を覚ますには十分だった。


(アルシファード……じゃないな、大人にしては小さい。海賊連中でもない。だが……)


 わずかに靄のかかる思考で考える。ラングかとも思ったが、多分違うと結論づける。

 考えている間に、気配は扉を静かに開けると室内に入り込んでくる。足音を殺して、ゆっくりヒルグラムの横たわるベッドへ近づいてくる人の気配は一つ。


(さて、もちろん飛び起きて倒すのは容易い。が……)


 ヒルグラムは、そうしなかった。ベッドに横たわったまま動かず、侵入者の動きをじっと待つ。そうして、きしりとベッドを鳴らして、侵入者はヒルグラムへ馬乗りになると殺気を隠すことなく腰からナイフを引き抜き振り上げる。


「ーーなあ、理由だけ教えてくれないか」


 振りあげられたナイフを見ることもなく、暗い室内でヒルグラムは問いかける。声をかけられ動揺しながらも、ヒルグラムに馬乗りになったままの侵入者は口を開いた。


「……あなたが、私にとって仇だからです」


「仇、か。悪いが王都に来る前に会った覚えはないぜ、アナイ」


 ヒルグラムを睨む侵入者=アナイは振り上げたナイフを一度下ろして、しかし殺気は収めず答える。


「会ってはいません。私が生まれた時既にあなたは村にいませんでしたから」


「村……そうか、お前さんもアイスレフの出身か」


 アナイの言葉にヒルグラムもすぐ意図を理解した。アナイもアイスレフ出身であるなら、なるほど故郷を失った悲しみはわかる。


「だが、俺が仇ってのはよくわからんな。俺は確かにアイスレフを出て冒険者してたが、村になんかをした覚えもないぜ」


「っ……あなたは!アイスレフを捨てたんでしょう!?それだけ強いのに、村を捨てて自分勝手に過ごして!それで、村がなくなってからのうのうと戻ってきて騎士になって!あなたが、そんな風でなかったら……!」


 叫ぶアナイの瞳から涙がこぼれて、ヒルグラムの上に落ちる。握られたナイフも震えていて、俯いたアナイの様子はもう襲撃者のそれではなかった。


(ああ、こいつは……ソッチにいったのか)


 ヒルグラムは胸中で納得する。アナイの言葉は、気持ちは理解が出来た。人は大きな悲しみで心に穴が開いた時、それをそのままにしてはおけない。何かで埋めなくてはならない。あるいは忘れることで。あるいは受け入れることで。あるいは他人に押し付けることで。

 失ったものを受け入れて先の未来を思うことで悲しみを過去にしたのがヒルグラムなら、失ったことへの怒りを燃やして今とし続けているのがアナイなのだ。


「あなたが村にいたなら、アイスレフは滅びなかったかもしれないのに……!」


 アナイが涙ながらにヒルグラムを睨みつける。ヒルグラムにも、今のアナイと同じように怒りの矛先を外に求めたときはあった。だからヒルグラムは、その言葉を否定はしなかった。


「ああ、そうかもな。あるいは俺が間に合ってたらあそこは滅びなかったかもしれない。それで、アナイ。お前はそんな無力な仇の俺を殺しに来たのか」


「……そう、です。私は王都に来た時からずっと、それだけ考えて生きてきた。だから……!」


 涙を拭ったアナイがナイフを振り上げる。ヒルグラムは抵抗せず、じっとアナイを見上げる。身体強化を施している彼女の振るうナイフなら、ヒルグラムの胸板を貫き心臓を突き刺すことくらい容易いだろう。ヒルグラムはそれを理解していてなお、動かない。


「ーー……っ!」


 声もなく、アナイはナイフを振り下ろす。だがそれと同時に、部屋の扉が勢いよく開かれて誰かが転がり込んできた。振り下ろされたナイフへ、別の手が伸ばされる。


「なに、してるんですか!」


 ヒルグラムに触れる寸前だったナイフを受けたのは、ラングの腕だった。ラングは馬乗りになっているアナイを突き飛ばすと大声を張り上げる。床に転がったナイフを見ながら、ヒルグラムも起き上がった。


「ちょっと、何騒いでるのーー」


 騒ぎを聞きつけてやってきたアルシファードが部屋に入ってきたときには、泣きじゃくるアナイとそれを見下ろすヒルグラムとラングの姿だけがあった。

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