荒神鎮送3

 勢三郎は震えながら長者の袴に掴まっている橘姫を見た。


 今、ここでそいつこそが邪鬼かもしれぬ、と言ったところで村人は誰一人信じないであろう。


 第一、勢三郎はここでは見知らぬ不審な浪人者に過ぎぬのだ。


 「お主は何者だ! 急に村に入ってきおって、さてはさっきの鬼の仲間ではあるまいな! 皆の衆、油断するな!」

 村人の一人が火縄銃を向け、いつでも火蓋を切る構えを見せてた。

 

 「おう! 権左衛門の言うとおりじゃ!」

 他の者も殺気立っている。


 権左衛門という男が銃を構えると、すぐにいくつもの銃口が同じように勢三郎に向けられた。


 「お主は何者だ? 何をしに来た?」


 長者が権左衛門を制しながら、前に一歩出て来た。その風格はさすが村の長であろう。


 「俺の名は日暮勢三郎、あのような化け物を追う退治屋だ。化け物の気配を感じてここに来た、と言ってもすぐには信じられぬ話であろうな?」

 勢三郎は穏やかな口調で村人に語った。


 「化け物の退治屋だと? 誰もそんな者を村に呼んだ覚えはないぞ」

 長者がぎろりと勢三郎をにらんだ。


 「そうじゃ! こんな山奥に、ぶらりと立ち寄ったらたまたま鬼が出たなどとは言わさんぞ」

 権左衛門男の銃口は勢三郎を油断なく捉えている。


 「長者殿、こやつ、さてはさっきの化け物とグルになって、謝礼を巻き上げようとしているのではないのか?」


 「そうじゃ、長者様の娘を危険な目に遭わせおって! さっさと山を下りろ、二度と顔を見せるな、よそ者め!」


 周囲の村人たちも次第に騒ぎ始めたが、勢三郎の表情は何一つ変わらぬ。


 元々が閉鎖的な村である。


 邪鬼が姿を見せるなどという凶事に、何の前触れもなく顔を出した見知らぬ浪人者の言葉を信じろと言う方が無理であろう。


 「邪魔をした」

 勢三郎は深々と頭を下げ、そのまま無言で門に向かった。その物静かな雰囲気に気圧されるように、村の衆は誰からともなく勢三郎に道を開けた。


 「…………」

 そんな勢三郎を、村長に手を引かれて屋敷に戻る橘姫がちらりと振り返った。


 礼を言うでもなく、微笑むわけでもない。その目に浮かぶのは無垢な興味であろうか?


 そのあどけない表情からは、その身に邪鬼が宿っているとはとても思えない。だが、邪鬼はそもそも欺瞞に満ちた存在なのだ。

無垢と見えて邪、表裏一体なのである。


 果たして何が真実なのか。


 「皆の衆、村長屋敷に上がって寄合いじゃ、あの化け物をどうするか話をしようぞ!」

 「おお、そうじゃそうじゃ」

 村人たちの声が勢三郎の立ち去った門の中から聞こえて来た。


 勢三郎は坂道を下った。


 「さても難儀なことだ」

 勢三郎は羽織の袖口に手を入れて冷えた手を温めた。


 もしも既に魂が入れ替わっていたとして、それを元に戻すには姫の体と邪鬼の体を生きたまま同じ場所に並べて同時に術にかけねばならない。それはかなり困難なことであろう。


 もっとも確実な手段は、橘姫の肉体を後世に残さぬこと。


 つまり、鬼姫としては不完全な今の状態で橘姫の体ごとその体を乗っ取った悪しき魂を斬ることである。


 それならば邪鬼は乗っ取った肉体を失い、同時に元の体に戻ることも不可能になる。おそらく邪鬼は消滅するだろう。


 だが、本来の肉体を失い、邪鬼の体に閉じ込められたままとなる本物の橘姫はどうなるか? おそらくは正気を保つことは不可能、本物の邪鬼と化してしまう恐れもあろう。


 それでは、魂がまだ入れ替わっておらず、あれが邪鬼の虚言であった場合はどうだ?


 その場合であっても、残酷だが橘姫を殺してしまえば後の世に鬼姫が現れることはないだろう。


 だが、それは既に人の道から外れており、真っ当な退治屋が行う行為ではない。


 そんな血塗られた手で清らかな四季姫に会う事はもはや叶わぬであろう。


 そもそも、橘姫のあれは本当に邪鬼なのであろうか。


 一瞬橘姫の身体から発せられた違和感は邪鬼の力とも異質であった。むしろ、もっと高次の存在が放つ衝撃、より強い祟り神のようなビリリとした痺れる感覚であった。そしてそれは元の世で鬼姫から感じた力に近いものでもあった。

 

 「まさか、橘姫はとうの昔に鬼姫に?」


 恐ろしい考えだが、邪鬼とは無関係に既に橘姫が鬼姫化しているとしたらどうであろうか。

 

 「確かめねばなるまいな」


 勢三郎は険しき峰にそびえる棚端山の古城を見上げた。

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