サキュバス、歌っちゃいました8

 さ、ご飯を食べてはい出社。マリも今日はそのまま学校いったから一人きり。いつもと変わらぬ道を歩けば感情など湧かず虚無が過ぎるばかり。気分はドアトゥドア。精神的どこでもドア、あるいは思考が通り抜けフープである。仕事をするようになって分かった事は、出社までは早く感じるか帰宅までは随分長い道程を経たような錯覚に陥るという事。行きはよいよい帰りは怖いである。単に会社行きたくないってのと、早く帰りたい心理が働いている結果なのだが。



「おはよう輝君。今日も早いね」


「おはようございます」


 上長の滑舌がいい……ははーん。さては朝から飲んだなこの人。出社前に酩酊しておけば勤務中周りを気にしてボトルを開ける必要がないって事か。考えたものだなぁ。


 って馬鹿! 朝酒なんてアル中一直線じゃねぇか! 完全に連続飲酒だ! 死ぬ気かこいつ! 吾妻ひでおの疾走日記を読め! 


「ん? どうかしたのかい?」


 ……


 とはいえ、ここで指摘して果たしていいものだろうか。確かに本人の健康には著しく悪いだろうが、それもこれも仕事のため。第一、上長もいい大人だ。自身の管理くらい自分で把握して然るべきであるわけだから、俺が差し出がましく「お酒は控えた方がいいですよ!」なんて言うのも失礼極まりないのではないか。そもそも他人が他人の人生をとやかく言うこと自体、烏滸がましいような気さえする。鑑みるに、ここは彼の尊厳と自己決定を尊重し、何も言わない方針が得策。よし……いつも通りでいこう!



「いえ、今日も一日頑張るぞいと思っていたところです」


「そうかい。君は我がチームの切り札だからね。よろしく頼むよ」


「ウィーっす」


 好きだな切り札って表現。どういうつもりで言っているのか未だ全然分からんが、果たして心から褒めているんだろうか。だって切り札って、言い換えればジョーカーなわけだろ?ババ抜きだったら押し付けるカードだぞ。ところ変わればお前は邪魔者だって事を暗に伝えているかもしれないし、穿った見方をすれば「いつまでもここにいられると思うなよ?」と言ってるようにすら感じてしまう。うーむ世知辛い話。しかしま、概ねその通りだから別にいいんだけどね。なにせ俺は今日も午後から籍を外すんだから、もう何を言われても仕方ねーよ。あ、そうそう。忘れないうちにその事話しとかないと。



「すみません。本日、ちょっと会議が入っちゃいまして、また外出します」


 さて、止られたらどうしようか。仮病でも使って抜け出すか、昼休み中外に出てそのままとんずら決めるか……いずれにしても、もう始末書覚悟でいくしかないな。下手したら懲役もあるかもしれんが、その時はその時だ。



「あぁいいよ。手続きは私がやっておくからね」


「え、あ、はい」



 随分あっけないな。人事か総務の担当者でも変わったか?



「それにしても、本当に君、頑張ってるようだねぇ。まさか、いきなり五百万の案件取ってくるなんて思いもしなかったよ」


「え?」


 なんだそれ。初耳だぞ?


「ほら、鳥栖システムの件だよ。昨日君が広告営業で仕事取ってきてくれたから、今月の売り上げ一位だ。おかげで昨日一人で祝杯しちゃって、まだ酒がのこってるよ。いやぁ、あんな案件見つけてくるなんて、やるねぇ。営業でもいけるんじゃないかい?」




 話が見えん。見えんが……



「……あぁ! あれですね! 思い出しました!」



 ここは乗る! このビッグウェーブに!



 鳥栖システム。何の事だか分からんが、何があったかは分かった。。ゴス美だ、あいつ、俺が会社抜け出してきたって知って業務を発注したんだ。さすがだ。さすがが過ぎる。いつ起業したかは全然分からんが、ともかくありがたい。合法かどうかは聞かないでおこう。兎も角、ありがとうゴス美!



「これからも、是非頑張ってくれたまえよ?」


「ウィーっす」


 

 思わぬところで評価が上がってしまった。これは今年のボーナス期待ができるぞ? いやぁ欲しかったヤクトミラージュのガレキ買っちゃおっかなぁ。せっかく天井の高い家に引っ越したわけだし、今に鎧武者みたく飾るのも悪くないなぁ。うふふ。



 ……いかん。いかんぞ。

 何がいかんってお前、このままでは出世してしまうではないか! 勤務年数に加えて実績まで出してしまってはもう逃れられん! 業務命令で拒否権なく責務が降りかかってきてしまう! そんな事になってはおちおちプラモも作っていられなくなる! 駄目だ! それは何としてでも阻止せねばならない! かくなる上は……



「すみません。一つお願いがあるんですが」


「うん? なんだい? なんでも言ってくれていいよ?」


「はい。あの、この案件、不破付さんと共同って事にしたいんですが、構いませんか?」


「え? いや、それはいいけど、もったいないよ? せっかく君一人の手柄なのに」


「……僕は思うんです。チームっていうのは、互いに分け合い、助け合う事が大切だって。一つの案件をみんなで取り組み、利益を分かち合いたいなって」


「……輝君。いや、いやいや。いやぁ殊勝だねぇ輝君。実によくできている。人間が。……まさか君が、そんなにこの部署の事を考えていてくれていたなんて、僕は感動したよ」


「社会人として当然です」


「素晴らしい! 分かった! では、この件は君と不破付君に任せる! 頼むよ!」


「はい! よろしくお願いします!」


 すまんな不破付さん。悪いがお前は生贄だ。今回の件、全ての手柄をお前に横流しにして、俺は楽しい平社員ライフを満喫してやる。そしていつしか毎日定時に帰り、手に入れた余暇を脳死状態でプラモ作りに充てるのだ! ビバ! 暇人ライフ! そのためにも徹底的に駄目社員を演じてやるからな! さぁ! 今日も適度に手を抜き頑張ろう! 人生って楽しいな! 



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