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地面にぐりぐりと字や図を書く。
「わ、私は高校二年生。両親が居て、手芸部に入っていた……私はスカーレット、怒りっぽい母と飲んだくれの父親がいる」
私は呟きながら頭を抱える。情報がぶつかりあってミックスされる。いったい私は誰なんだ。顔をペタペタ触ると、私の身体は小さな子どもになっていた。たぶん十才くらいだと思う。でも、それじゃもう一つの記憶はなんなんだ。私は必死に頭を整理しようとした。けれど混乱したままだった。気づけば夕暮れで私は仕方なく家に帰った。家に帰った瞬間に私は母に引っ叩かれる。
「こんな遅くまでなにやってたんだい!!」
母は執拗に私を叩く。母の向こうでは父が酒を飲んでいる。なんで、私はこんな叩かれなくちゃいけないんだ? 早く帰って手伝いをして欲しいのはわかる。でも、それを教える為にこんなに叩く必要は無いはずだ。
「叩かないで! 叩かれなくてもあなたの言いたい事はわかる!!」
大きな声で言い返すと母の手が止まる。母は目を丸くしている。私が言い返すとは思っていなかったらしい。
「な、なに偉そうに言ってるんだい!! お尻を出しな!!」
私は母の手をすり抜ける。
「嫌だ! あなたが私を叩くのは躾じゃない!! ただの八つ当たりだ!!」
働かないで酒ばかり飲む駄目な父親へのイライラを、母はいつも私への躾と偽ってぶつけている。そんな事に付き合っていられない。
「誰のおかげで飯が食えてると思うんだ!!」
「ご飯を食べさせてくれてありがとう!! でも、だからと言ってあなたの理不尽な暴力に付き合う義理は無い!!」
そこで部屋の中は静かになる。
「ふんっ、とんだわがまま娘に育っちまったよ。あぁ、かわいくない」
母は怒って炊事場に行ってしまう。それから戻って来る様子は無い。これで包丁でも持ち出されたらどうしようかと思っていが、それは無かったようだ。私は、自分の部屋……と言うには弊害のある物置に行き、持ち物を袋にまとめた。一応用心の為に外にいつでも出られる準備をした。ホコリっぽいシーツにくるまって目を閉じる。
寝て起きれば朝が来る。物置を出ると、部屋の中はまだ静かだった。
私は外に行って日課の仕事をした。鳥小屋に行って鶏を外に放牧する。この子達は雑草や虫を勝手に食べて卵を産んでくれる。肉にもなる。卵と肉を市場で売ればお金にもなった。なんと素晴らしい生き物だろう。二十羽全部を外に出して、小屋の中に産んだ卵をカゴに入れる。卵を収穫すると、今度は畑に行く。今日の分必要な野菜をとってカゴに入れる。野菜と玉子を置いて、私は近くの川で野菜と玉子を洗う。よく洗った後は、家の台所に今日の分の食材を置いた。残りの食材は市場に売りに行く。私は重いカゴを持って町の市場に向かった。賑わう町中で布を広げて商品を売る。
「これいくらだい」
「50ギルです」
人参みたいな赤い野菜が50ギルなのは、適正価格だった。
「こんな痩せた野菜が50ギルなんて馬鹿げてる。20ギルでも安いくらいだよ!」
女は私に20ギルを投げて野菜を持って立ち去ろうとする。
「まってください」
私は彼女のスカートを握って引き止める。
「私は20ギルで売るなんて言ってません。商品を置いてください」
「なんだい、汚い手で触らないでくれ。離しな!」
「勝手に商品を持っていくあなたは泥棒です。野菜を置いてください」
私は20ギルを女に返して野菜を取り返す。
「なんだい、せっかく買ってやろうとしたのに。もう二度と買わないよ!!」
女は金切り声を上げて立ち去った。あの女はスカーレットの弱みにつけこんで、いつも野菜を捨て値で買って行く女だった。
私は再び市場に座ってお客が来るのを待った。数人、あの女のような嫌な客が来たが全てを断って、代わりに良識の範囲内で多少値切っていく客に商品を売った。
帰り道、商品は全部売れて身軽になった私のポケットにはお金がいつもの倍は入っていた。嫌な人間に奪われなければ、ちゃんと商品は売れるのだ。それからいつもスカーレットは俯いていて、お客の目を見れないのが問題だった。声も小さく受け答えができなかった。それでは客も寄り付かないだろう。それにしてもスカーレットの記憶と、向こうの世界での記憶が二重してあるのは不思議な気分だ。
家に帰ると母が忙しく動いて家事をしていた。父はまだ寝ている。食卓に料理が用意されていた。私は母に今日の売上を渡す。受け取った母は、それを見て目を丸くする。手の平で硬貨を二度数え直す。
「今日はよく売れたの」
「そうみたいだね。いつも、これだと良いんだけどね」
母は硬貨をポケットに入れて、私に食事を出した。稼いだお金が少ないと母はいつも私の頬を叩いて、酷い時は食事を与えなかった。正に働かざるもの食うべからずである。
「飯食ったら、さっさと次の仕事をしな」
母の食事を食べる。固いパンと、薄いスープ。量は少ないが仕方ない。だって私の家はものすごく貧乏なのだから。
食事後に使った食器を持って外に出る。川でざぶざぶと洗って綺麗にしてから、外の棚に置いて乾かす。今度はバケツを持って川に下りて、野菜の水やりをする。朝から大忙しである。でも食べて行く為には仕方が無い。便利な機械が無いこの世界では、身体を動かすしかない。広い畑の水やりを終えると雑草を抜く。スカーレットはこの仕事を毎日やっていたので、私の身体が疲れを訴える事は無かった。栄養不足で手足は細いが、体力はあった。雑草を抜く手も丈夫で皮が厚い。現代っ子の自分なら、もっと早く根をあげていただろう。
畑の三分の一程の雑草を抜くと、私は休憩した。川で水を汲んで飲む。母は洗った洗濯物を干している。そんな母の視界に入らないように父がこっそり家を出て行くのが目に入る。スカーレットの父は飲んだくれだった。まともに仕事はせず、一日飲むか寝るか博打を打つかしかしていない。なぜ父は働かないのだろうと思う。けれど無学でなんの技術も無い父には仕事が無いのだ。全く無い事はないのだが、奴隷がやるのと同じような、単純でそれでいて過酷な仕事しかない。怒鳴られながらやっても、その仕事で稼げるお金はわずかである。だから父は、家にいる。もう考えるのも努力するのもやめて酒を飲んで生きていた。
スカーレットは再び畑に戻って草を抜く。何が悪いのだろうと思う。スカーレットがビクビクした子供だったのは、この家庭環境のせいだと言える。子供を安全に養育出来ないここでは、スカーレットがあんな風に自信の無い子供になってしまったのは仕方の無い話だ。私はふと、手をエプロンで拭いて自分の頬を撫でる。一晩寝て頭の中の整理が出来てきた。私には『日本』と言う国で一六才まで生きた記憶がある。そして、不慮の事故で死んだ事も。今の私の中には前世の私の記憶とスカーレットとして生きた記憶がある。私はかわいそうなスカーレットの頭を撫でる。まともに守ってもらえず、生きる為の正しい知識も教えて貰えなかったかわいそうなスカーレット。私はこの子を守ってあげたい。
雑草抜きが終わると、しばしの休憩である。私は森に行く。少し行くとすぐにあの子は声をかけて来た。にゃーっと、少し甘えるような声で私の足に擦り寄って来る。赤い毛並みの猫はすっかり怪我が良くなっていた。私が来るとこの子は、どこからともなくやって来て出迎えてくれる。
猫の頭を撫でていると、近くで草むらをかきわける音がする。身構えると、草むらから男が出て来た。
「おや、村人かな」
髪の長い男の人だった。村では見ない顔である。
「こんにちは」
男の人は私の側にやって来て微笑む。
「フランメキャットが人に懐くのは珍しいな。飼いならされる気性じゃないんだけど」
男の人は私の足元の猫を見る。
「フランメキャット……?」
「そう、フランメキャット。この子の学術名さ」
男の人の髪は赤く、カウボーイハットを被っている。全体的に、西部劇みたいな格好をしていた。村ではあまり見ないタイプの人間だ。
「僕は学者でね。最近はこの辺りの植生や、生物を調べているんだ。フィールドワークは大事だからね」
男の人はそう言いながらフランメキャットに手を伸ばして、ふーっと威嚇される。
「ふむ、やっぱり威嚇して来るか。君はこの子にとって特別みたいだね」
男の人は立ち上がる。
「僕はクラビス、君の名前を聞いても?」
「スカーレットです……」
「よろしくスカーレット。僕は、たまにこの森にいるから、会ったらまたお話ししようね」
クラビスは手を振って再び森の中に入って行った。学者というものを初めて見たが、随分若いように見えた。結構できる人なのかもしれない。
「にゃー」
猫が私の足に擦り寄る。
「フランメキャット……じゃあやっぱりフランかな」
名前を決めていなかったこの子に新しく名前を決めた。"フラン"と呼ぶと、彼女は再びにゃーと返事をした。
家に帰ると、カゴを作っている母の隣に並んで私もカゴを作る。家事の手が開けば、母はずっと手を動かして内職をしている。スカーレットも頑張ってカゴを作る。これも市場に売りに行くのだが、一つ500ギルほどで売れる。カゴ作りの内職が終わると、母は立ち上がって動物達の世話をする。スカーレットの家では鶏の他に、牛二頭と馬を一頭、それから豚を五頭と羊を三頭飼っている。大きな動物達の世話は母がやって、スカーレットは鶏達を小屋に戻す。洗濯物を取り込んで、母は日が落ちる前に夕飯の準備を始める。朝と同じ野菜スープとパンである。いつもより具が多いのは、朝の稼ぎが良かったからだろう。
食事を食べていると、父が帰って来る。
「うーっす、ただいまぁ」
既に酒を飲んで足取りの危ない父がテーブルにつく。私は、急いで食事を口の中にかきこむ。酒を飲んだ父は九割の確率で何かをやらかした。
「おいスカーレット、相変わらずブスだな」
父はゲラゲラ笑いながらスープを飲む。父は私の容姿を馬鹿にする事が好きだった。私は黙って水を飲む。
「おい、なにすましてんだよ」
その反応が気にくわないのか父は私の足を蹴る。大人に蹴られると結構痛い。私は立ち上がって、食べ終わった食器を持って外に出る。
「どこ行くんだ、そこに座れ!」
「どうして」
「なまいきだからしつけるんだよ!!」
酒を飲んだ父の目は焦点があっておらず。身体はフラフラしている。
「ブスと言われて嫌な思いをしない女の子はいません。私の反応は間違っていないと思うので、あなたに何も躾けられる事はありません!」
私はそれだけ言って外に出る。閉じたドアに木の食器がぶつかる音がする。私は川で食器を洗い、外の棚に干して森に向かう。父が寝るまでは家に帰らない方が良いだろう。森に行って切りカブの上に座る。見上げると綺麗な星空が広がっている。私はため息をつく。
「絶対、スカーレットの事を幸せにするんだからね」
父や母に言い返すのは、高校二年生の私である。けれどベースはスカーレットなので、長年受けた恐怖から言い返す前に身体が震えて声が出ない時があった。父に言い返した後も私の身体は震えている。そんな身体を抱きしめて私は俯く。スカーレットは何も悪くない。何が間違っていて、何が正しいのかも知らず。言葉で、行動で自分を守る術を知らなかっただけだ。
つづく
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