第4話「俺は誰よりも膝枕されたい派だ」

「……どうしたん、変な顔しとるが」


 はっ――。どうやら俺は目の前の鬼子おにこさんに見惚れてしまっていたらしい。美人を目の前にすると固まってしまう悪い癖が出てしまった。まずいまずい何か、何か回答しないと、ええと。


「……綺麗な顔、してますね」


 何を言ってるんだ俺はぁあああああ!

 初対面だぞ、こんな可愛い美人だぞ、なんて失礼なことを。いや失礼じゃないけど素直なままの意見が出てしまった。うわぁ絶対引かれる、絶対ドン引かれてる。


「死んでるんじゃで、うち。――じゃないわ、やかましいわ」


 まさかのノリツッコミ!?

 しかもあの名作野球漫画の内容を知っているかのような完璧な切り替えし! す、すげえ、鬼子さんすげえ、ドン引きすることもなく逆に俺に恥をかかさないで居てくれた。惚れ直したぜ鬼子さん。いやそもそも異世界でネタが通じるってのがまずおかしいし、貴方が何故広島弁っぽい喋りなのかも猛烈に疑問だけど、中田そういうの気にならない。中田、器の大きい男だから。


「ちゅーか、人間族がここでなんしょーるん? ここはシマヒロとヤマオカのちょうど中間の草原じゃし、モンスターと魔族しかおらん危険地帯じゃ言うのは知っとるじゃろうに」


「モ、モンスターと魔族、ですか!?」


「おう。……なんじゃアンタ、そんなことも知らずに迷い込んだんか」


「え、ええ、あの、実は、異世界転移しちゃいまして」


「異世界転移ぃ~? なんのこっちゃ」


 あれ、ネタとかは通じるのに異世界転移は通じないのかな。鬼子さんが怪訝そうにこちらを見つめている。すません本当、実は俺もなんのこっちゃ分かんないんです。


「……まぁええわ。とりあえず、あの犬っころが人間族に手ぇ出してすまんかったの。うちから厳しく言うとくけえ、今日は早ぅ家に帰りんさいや」


「家、ですか」


 家と言われてもな……。都内で四畳半、月五万五千円のボロアパートに戻りたいかと言われると、そうでもない気もする。ただこの世界でモンスターや魔族に命を狙われるくらいなら、現実世界に戻る方がマシな気も。まぁどっちにしたって人生的にはかなりの負け組なんだが。


「なんなん。もしかして、帰る場所が無いっちゅーんか?」


 考えがまとまる前に、鬼子さんがずいと俺に顔を近づける。うおぉ、やばい、近くで見ると睫毛めっちゃ長いし肌も綺麗。心臓の鼓動が脳を通じてドクドクと高鳴っていくことを感じる。


「え、ええ、まぁ……帰る場所は、今のところ……」


「あたいも、ないのん!」


 突然牡蠣ちゃんが割って入ってきた。そういえば居たなこんなヤツ。


「な、なんじゃおどれぇ! びっくりしたのぉ!」


 そりゃ鬼子さんも驚くわ。だってまんま牡蠣だもん。ご当地キャラでも牡蠣マスコットとかいるけどさ、せめて目とか口とかつけようよ、怖いよ。あでも驚いた鬼子さんの顔も可愛い。普段の勇ましさと、不意に出るギャップ可愛さが最高。あかん完全に堕ちとる俺。


「あたい、牡蠣、よろしくね!」


「いや牡蠣てあんた……完全に姿がモンスターのそれなんじゃけど。え、ちゅーか、この子はワレの連れなん?」


「そ、そうみたいです」


「そうみたいです、て……。ほんま意味の分からん連中じゃのう」


 鬼子さんは呆れ顔で言う。でもすみません、俺もマジで意味が分かんないんです。ただこの人は、口調は荒いけどきっと優しい人なんだろう。昔住んでいた広島にも多かったタイプだ。広島県人って言葉が強めだから勘違いされやすいんだけど、内心は相手のことをとても丁寧に想ってるんだよね。……最近はめっきり実家に帰ってないけど、なんだか懐かしい記憶が蘇る。

 って、待て待て、今はそんな思い出に浸ってる場合じゃない。鬼子さんになんとか全部説明しなきゃ。あーでもいきなり全部は理解できないよな、猫に引っ掻かれて仮死状態で異世界転移したとかアホの極み過ぎるし、説明の始まりからして前途多難感が凄い。てかさっきから頭がグルグルしてる。思考が回らなくて、あれ、これは、ちょっとヤバイ感じが。


「おい、兄ちゃん。なんじゃ顔色が悪――」


 鬼子さんがそう口にした瞬間、頭が真っ白になり、俺はその場に白目をむいて倒れたのだった。



『ええこのこ、ねんねやせ』


 ――子守歌が聞こえる。


『うちの隣の守やんが、芋を焼くゆうて、手を焼いて』


 なんだか凄く、懐かしい音色だ。


『芋は食いたし、手ははしる。泣く泣く去んだら、叱られたい』


 しかし歌詞の意味はさっぱりだった。叱られたいって何よ。ドMなん?


「はっ――!」


 目を覚ますと、俺の前にはふにふにとした二つの山があった。そして俺の後頭部には生暖かくて柔らかい感触が走る。これは、まさ、まさか!


「よう兄ちゃん、起きたかいの」


 鬼子さんが二つの山からひょいと顔を出して、俺を心配してくれる。右手には団扇のようなモノを持っており、優しく仰ぎながら俺をずっと看病していてくれたようだ。というかこのシチュエーション、間違いない、ひ、ひひ、膝枕をされている。うぉぉおおお、人生で母親にしかされたことのない俺が、こんな美人から膝枕を!


「すみ、すみません! 俺、寝ちゃってましたか!?」


 膝の温もりと絶景の山を見られなくなるのは名残惜しいが、紳士的な理性の方が勝った。先程までの記憶ははっきりしているし、命の恩人でもある鬼子さんにそこまでしてもらうのは、男として情けないと思ってしまったからだ。でも正直に言います、もっと寝たフリしてればよかったです、俺のバカァ!


「おう、急に倒れたけぇびっくりしたわい。熱もあったみたいじゃし、森の日陰で休ませちょったんよ。体調どんななん?」


 優しすぎか。もうなんなのこの人、聖母マリア? ガンジーも助走つけて鬼子ママ膝枕おなしゃーす!って飛んでくるレベル。


「た、体調は大丈夫みたいです。本当にごめんなさい、俺確か……ケルベロスに襲われた後、気を失ったんですよね?」


「ほうよ~。あのままモンスターだらけんとこに放る訳にもいかんかったし。まぁそこまで記憶はっきりしちょんなら、もう大丈夫そうじゃね」


 鬼子さんはウンショと立ちながら俺に微笑む。はぁ~、可愛い。全てが可愛い。普通人が倒れたからってここまで付き添ってくれるか?(しかも膝枕付き)

 第一印象とほぼ同じになってしまうが、本当この人は、姉貴肌というか、困った人は放っておけないタチなんだろうな。優しい。優しすぎる。好き。


「けど流石に、おどれが寝言で『ママァ、ママァ~』言うた時は息の根止めたろうかと思ったわい」


 死ねよ俺。もう死にたいよ。三回くらい殺してくれ。


「本っ当にすみません……。大変に申し訳ありません……」


「ははっ、さっきから謝りすぎよぉね、冗談じゃ♪」


 可愛い。なんて清々しい人なんだ。結婚しよ。

 いやいやでも待て俺よ。今までもこうやってすぐ人を好きになって、貢いでは貢いでは裏切られたことを忘れたのか。鬼子さんを疑う訳では勿論ないが、この歳まで童貞だった俺の惚れ癖には注意せねば。……という事でとりあえず今は、現状を把握することに努めよう。

 周囲は森に囲まれていて、既に日は落ちたのか焚火が灯されており、生暖かい風が通り抜けていた。季節的には春や秋といった過ごしやすい気候で、異世界とは言えど酸素や空気もあり(今更感満々だが)、人間が普通に生活はできる文明レベルなのかもしれない。……あれ、そういえば。


「牡蠣のヤツって、どこ行きました?」


「なんじゃあ、水分が少なぁなったらしゅうての。近くの湖で補給してくるんと」


 なるほど、確かにアイツめっちゃ湿ってたもんな。太陽(?)があるこの世界なら干からびるのも当然か。けど海水じゃなくて真水で大丈夫なんだろうか。あいや、別に仲間とか相棒とか思ったことはないし、特に心配もしてないけど、あの謎の鋼太郎(神)に繋がる唯一のヒントを見失う訳にもいかない。


「じゃあ俺、ちょっと様子見てきます。あんなヤツでも一応、仲間? なんで」


「おう。ほじゃついでに水分補給してきんさいや。兄ちゃんたらふく汗かいとったけぇねえ」


 つまりそれは、俺の汗で鬼子さんの膝が濡れてしまったということ……。


「本当、本当すみませ――」


「もう謝らんでええって。困った時はお互い様じゃけぇ。それより、はよう行ってきんさい。うちここで飯の支度しちょるけん」


「ありがとうございます……!」


 深々と頭を下げて、俺は鬼子さんに指示された湖へと駆けた。ていうか今、ご飯の支度してくれるって言ったよな? なんだよ、良妻かよ、鬼嫁とか言われてもいいよもう、姉さん女房最高じゃん。毎日お寿司とウナギをご馳走するからね鬼子さん!


『だがこの後――中田圭に史上最大の災厄が起きるのだが、本人はまるで知る由もなかったのである――!』


 ……という聞き覚えのあるナレーション声が突然、俺の頭の中に響いたのだった。いやもう間違いねえ、アイツしかいねぇ。


「おい、出てこいクソ神」


『やだぴょーん』


 声はそう言って途切れる。俺は改めて、必ずこの神をオタフクソースの海に沈めてやると決意したのだった。

 


 

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