第23話 ローズィアン・エムロイディーテ
その身なりは、使用人のそれとは比べ物にならない。
少女の強気な声を受けてすぐに、俺はその場に片膝をついた。
「ご無礼をお許しください、お嬢様」
蜂蜜色の髪と、赤系統の色の瞳。
その『色』は、エムロイディーテ侯爵邸にて、二人の子どもが受け継ぐ色でもあった。
そうとなれば、目前の少女が誰であるのかも導き出される。
ローズィアン・エムロイディーテ。
クリスティーナお嬢様とは年子の姉妹である少女は、小説の中ではお嬢様を蔑んでいた意地悪な姉……だったはず。
現在クリスティーナお嬢様の年齢は十歳。
となると、ローズィアン・エムロイディーテは一つ上の十一歳だろう。
小説の本編では、挿絵にちらっと見えたぐらいだが、目の前の少女はその面影がまるでない。
……まだ子どもだからなのだろうか?
挿絵から滲み出ていた毒気という毒気が、少女からは全くといっていいほど感じなかった。
「さいあくだわ! こんな姿を見られるだなんて! もうお嫁にいけないっ!」
「お、落ち着いてください、お嬢様……」
「なによ! そもそも、あなたがあたしのシェルターに入って来たからいけないのよ!」
ローズィアン・エムロイディーテと思われる少女が、発狂されている。
泣いているところを見つけられたくはなかったようだ。
どうやら俺は、見てはいけない現場を目撃してしまったらしい。
「そもそも誰なのあなた! まずお名前を言いなさい!」
俺は内心戸惑っていた。冷や汗が止まらない。
いや、こうなってしまっては俺に選択権はないんだ。
さっさと挨拶をしなければいけない。
「お初にお目にかかります。本日から……侯爵家にてお世話になります、ニアと申します」
「ニア? ふうん、変わったお名前をしてるのね」
ローズィアン・エムロイディーテと思われる少女……いや、おそらくローズィアンなんだろうけど。
まさかこんな形で対面するとは……。
「ここは許可なく入って来たらいけないのに。使用人なら覚えておかないとダメじゃないの。もー! あたしが泣いてたこと、誰かにバラしたらゆるさないんだから」
ローズィアンの髪に編み込まれた赤いリボンが、彼女の動作によって蝶の羽ばたきのように揺れる。
瞳の色とお揃いのリボン。敢えて合わせているのか、よく似合っていた。
「なぜ、泣いていたのですか?」
気になって質問すれば、少女はびくりと肩を震わせた。
「そ、それは……その……ぅ」
視線を左右に彷徨わせ、挙動がおかしくなる。
丸々と広がった瞳には、また雫が浮かび上がった。
「あ、あなたには関係ないことなの! そんなこと聞くなんて、図々しい使用人!」
「……も、申し訳ありません」
「うっ……その、べつにそこまで怒っていないから。だからそんなにペコペコ謝らないでっ」
「はあ……あ、そうだ。あの、よろしければこちらを」
すん、と鼻を鳴らし目元を袖で拭おうとしている彼女へ、懐に忍ばせていたハンカチを差し出した。
「……これ、あたしに?」
ハンカチと俺の顔を交互に見つめる瞳が、驚きに満ち溢れている。
「せっかくのお召し物を涙で濡らしてしまっては勿体ないです」
「もったいない……」
じーっと穴があきそうなほどに、ハンカチを凝視するローズィアン。
差し出がましい真似をしてしまったかとヒヤヒヤしていれば、小さな手がハンカチを取った。
「……使わせてもらうわ。そろそろ、戻らなければと思っていたところだったの」
「そうでしたか」
そういえば、ここをシェルターと彼女は言っていた。
シェルターって、つまり避難してきたってこと?
とはいえ、一体何から……
「ねぇねぇ、あなた」
「はい」
目尻に溜まった涙を拭きながら、ローズィアンは俺の顔をじっと見つめてくる。
「その服は従者か従僕のどちらかでしょ? 本邸では、どこを担当するの?」
「それは……」
さきほどの挨拶で、俺はクリスティーナお嬢様の従者とは言っていなかった。
小説では、お嬢様の自尊心を根こそぎ奪うような発言ばかりをしていたローズィアン。
そんな彼女に、クリスティーナお嬢様のことを話すのに抵抗があったからだ。
「担当は……」
現段階では、どうなのだろう。
クリスティーナお嬢様の姉である彼女は、クリスティーナお嬢様をどう思っているのだろうか。
「なんなの、はっきりしないのね。もしかして! あなた本当は、ふ、不審――」
「違います!」
ローズィアンは、よからぬ勘違いを起こしそうになっている。
俺は包み隠さずに言うことにした。
「
「ク、リス、ティーナ……あっ!」
ぎこちなく呟いた途端、ローズィアンは慌てて口を両手で塞いだ。
そのままキョロキョロと周囲を確認し、落ち着かない様子で大きく息を吐いていた。
「あの、お嬢様?」
なんだろう、今の彼女の反応は。
クリスティーナお嬢様の名前に嫌悪を示すかもしれない。
その可能性が一番高いものだと思っていたのに。
「そう、だったの。あなたは、別邸にいる、あの子の従者なの」
「はい、そうです」
「それなら、あの子のそばにいることが多いってことでしょ?」
ローズィアンはこちらに身を乗り出すと、距離をぐっと縮めてきた。
鮮やかな瞳をわずかに揺らしながら、切望するように見据えられる。
何事かと構えていれば、ローズィアンは口を開く。
「その子、あたしの妹なの。一体どんな子なのか、あなたは知ってる?」
***
小説の中で、ローズィアンはクリスティーナお嬢様に『呪いの子』と吐き捨てていた。
その酷い言いように、学園では『マジカル・ハーツ』の主人公がクリスティーナお嬢様を庇う描写もあったほど。
だから俺は勝手に、クリスティーナお嬢様はかなり幼い頃から実の姉に蔑まれ続けていたんじゃないかと解釈していた。
スピンオフでも、そのような解説があった気がするし。
けれど実際は、こうしてクリスティーナお嬢様のことを純粋な眼差しで尋ねるローズィアンがいる。
「ねぇ、あの子の従者なら、少しはわかるでしょ? あの子はいつも別邸で、なにをして過ごしているの?」
「ちょ、あの」
「どんな姿をして、どんなドレスを着て、どんなことが好きなの? あ、それならまず、食べ物は? あたしが好きなのは、イチゴとリンゴと、イチゴタルトとアップルパイと……まだ他にもあるけど、それが一番好きなの。あの子は、あの子はなにが好き?」
「お、お待ちくださいお嬢様!」
ぐいぐいと迫ってくるローズィアンを宥めるように手でやんわりと制する。
ローズィアンは、絵に描いたようにきょとんとした顔をしていた。
「なあに?」
「なにって、一度にそんな話されては……それに、私も従者になって日が浅いので……」
「じゃあ、あなたもわからないってこと?」
「……申し訳ございません」
実際、クリスティーナお嬢様の好物を俺は知らない。
甘いものは嫌いではないと思うけど。
「そう……ざんねん」
ローズィアンはしょんぼりと肩を落とした。
ますます小説の中にいた、意地悪な姉の印象が崩れていく。
これではただの、妹のことを知りたそうにしている微笑ましい姉じゃないか。
「お嬢様は……なぜ、クリスティーナお嬢様のことをお聞きになりたいのですか?」
「だって……屋敷のみんなは、あの子のことを教えてくれないんだもん。お父様も、お兄様も、誰も何も教えてくれないの。それに――」
「ローズ、ローズィアン、そちらにいるの?」
「……っ」
突然聞こえてきた女性の呼び声。
それによって、俺たちの会話は中断された。
「いけないっ」
ローズィアンは騒々しく立ち上がると、ドレスのスカートをパタパタと叩いて整え始める。
「お嬢様?」
「しっ、静かにして! あなたがここにいること、おば様が知ったら大変なんだから!」
おば様って誰のことだろう、と考えている間にも、ローズィアンを呼ぶ女性の声は大きくなっていく。
「ローズィアン! そろそろレッスンが始まりますよ。さあ、おいでなさい」
「……」
顔色を悪くさせたローズィアンは、唇をぐっと噛み締めて、意を決したように姿勢を正した。
「あなた……ニア、と言ってたわね。あたしが先に出ていくから、ニアは少し待ってから出なさい。ここ、この穴を通れば庭園から出られるの」
そう言ってローズィアンが指さしたのは、植木のすぐ後ろ側にある緑の垣根だった。
よく見ると、子どもが一人通れるぐらいの穴が空いている。
「あたしの秘密の抜け穴なの。秘密の抜け穴なんだから、ニアも秘密にしていなきゃダメなんだからね。約束よ」
「あ、お嬢様!」
「お名前……あなたに言わせておいて、あたしは教えていなかったわ。あたしの名前はローズィアン。ばいばい、ニア」
そしてローズィアンは、声のするほうへと走っていった。
靡いた蜂蜜色の髪が光を纏い、少女の後ろ姿がきらきらと輝いて見える。
「おば様! お待たせしました」
「まあ、ローズィアン。そんなに走ってははしたないですよ。それに、外へ出るのなら侍女を連れて行きなさい」
「はい、おば様……」
遠くのほうで話し声が聞こえる。
近づいていた足音も、徐々に遠ざかっていった。
「ローズィアン・エムロイディーテ……」
『マジカル・ハーツ』に出て来た登場人物との対面は、これで三人目となった。
感情の起伏がころころ変わる女の子。
まるで小さな台風のような子だと感想を抱きながら、ふと芝生に目を落とす。
「ああ!」
ローズィアンの髪にあったはずのリボンが、俺の足元に落ちていた。
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