第7話 髪を綺麗に整えました



 髪をあらかた乾かし終えると、クリアは髪切りバサミを取り出した。


「この邪魔な前髪は切る。傷んだ部分と、この長さが乱雑になっている部分も。それ以外で何か要望は?」

「おまかせ、で」


 こだわりも何もないので任せることにする。


「わかった」


 迷うことなくクリアは俺の髪にハサミを入れた。随分と手慣れた様子で切り進めているが、もしかしてクリスティーナお嬢様の髪も切ったりしているのだろうか。


「首周りは……長くしておくか」


 しばらく無言のカットタイムが続き、頭の軽さを感じ始めたころ、クリアの独り言が耳に届いた。

 どうやら俺の首にある、奴隷のときに嵌められていた首輪の跡を気にしているらしい。

 両手首と両足にも嵌められていた跡は残っているが、目立つのは首だろう。

 他は裾や袖の長い物を着れば見えないし。


 たしかに……首元はすぐ目に入る。襟の長いシャツを着ても若干はみ出して見えてしまいそうだ。


「くび、しょうがない」

「……」


 クリアが俺に言葉を返すことはなく、迅速かつ丁寧に手を動かし続けた。


 手元に鏡がないので途中経過を確かめることができないが、首周りはギリギリ髪で隠れている。さすがに正面からだと首輪の跡は丸わかりだが、後ろからなら完全に跡が隠れるようになっていた。


 言葉は冷たいところもあるけどさ、クリアって根は良い人そうな節を度々見せてくるから本心が分からない。

 当人はすべて「クリスティーナお嬢様のためにやっているんだ」と言ってのけそうだが。


「目を閉じろ。次は前髪だ」


 もう前髪か。案外早かったな。前髪を切り終えればカット終了である。

 これで前髪で隠れていた顔ともようやくご対面か。……って、あれ、そういえば俺の顔ってどんなだった?



 シャキシャキと軽快な音が鳴る。

同時に瞼の裏からでも分かるようになってきた、眩しい外の光。

 空気や日光に顔が直で晒されているのを感じる。


 少し落ち着かない気持ちになりながらも、ハサミの音が止んだので恐る恐る目を開けてみた。


「……?」


 まず視界に映ったのは、驚いた様子で俺を凝視しているクリアの顔だった。


「クリア? ニアの髪、もう切り終わったのね」


 扉を開けてバルコニーに入ってきたのは、クリスティーナお嬢様だ。


「おじょーさま」


 声のする方に視線を向けると、クリアと同じように仰天した様子のクリスティーナお嬢様が俺を見ていた。


「ニア……あなた、そんな顔をしていたの……!」



 ◇◇◇



 淡い紺色の髪と、黄金の瞳をした顔の少年がこちらを見ている。

 ここ数日の充分な睡眠と食事のおかげで、瞳にはしっかりと生気が宿っていた。

 まだ頬は痩けているけど、骸骨に薄い皮を被らせたような恐ろしい顔にはなっていなくて心底ほっとした。


「これが、おれ……」


 クリスティーナお嬢様に手渡された鏡を持って自分の顔を観察することしばし、ようやく見慣れてきた。

 見慣れたって言い方も変だな。俺の顔であるのは変わりないのに。

 ただ長年、前髪で顔が隠れていたせいか、気持ち的に新鮮な感じがするのだ。

 前世を思い出し、自我が一新されたというのもありなおさらそう感じるのかもしれない。


 あれだけすす汚れ、乾いた泥のような色をしていた髪も、クリアに念入りに洗われたことにより元の色味を取り戻した。

 まだ完全に落ちたわけではないらしいが、これから何度か湯浴みをおこなっていれば自然な色に変わっていくとのことだ。


 目尻がほんのりつり上がった瞳も、妙に猫を連想させる。

 思えば名前も『ニア』で心なしか猫のようだし、ぴったりではある。


「うーん……」

「どうしたの、ニア」

「なんか、へんなかお、です」

「こうして自分の顔を見ることも、今まではなかった?」

「たぶん」


 奴隷の身分で綺麗に自分を映してくれる鏡を持っているわけがない。

 いつから顔を覆うほど前髪が伸びていたのか思い出せないが、自分の顔を見て久しく思うということは相当、見てこなかったのだろう。


「それにしても、ニアがこんなに可愛い顔をしていたなんて、びっくり」

「……おれ、かわいい、です?」


 可愛いのか、やっぱり俺は。

 やっぱりと言っている時点で内心感じていたことだが。

 これは明らかに女顔というやつだ……!

 男顔か女顔かで言ったら女顔だ!!

 目を細めれば中性的に見えなくもないが女顔よりの中性的な顔立ちだこれは!!


 いやしかし、男前な顔ではなくとも世間一般に見れば整った容姿には入ることを喜ぶべきなのか?

 クリアのような明らかに美少年の仲間入りするような顔ではなくとも、整った顔立ちだと喜んでいいんじゃないか!

 しかもこの顔でありながら、今まで男娼や性奴隷にならなかっただけでも幸福なことだ。


「うーん……」


 奮い立たせようとする俺の心とは裏腹に、なんとも不満ありげな声が口から出る。


「ニア……自分の顔が気に入らないのかしら」

「……可愛いと絶賛され渋い顔をしていましたので、そうかもしれませんね」

「わたくし、また余計なことを……」

「お嬢様が気にされることは何一つございませんよ。どれだけ睨み悩んだところで、顔は変わらないのですから」

「でも……」


 そう、その通り。どうせ顔は変わらないのだから、早く見慣れることにしよう。

 お嬢様をこれ以上心配させるようなことをしてはいけない。


 俺はふう、と息を吐いて鏡を膝の上に置いた。


「まあ……栄養不足で肉がないわりに、骨はしっかりしているみたいだ。歳を重ねれば背丈も伸びるだろうから、可愛いなんて言われなくなる」


 嘆息を漏らしながら、クリアは仕方なさそうな顔を浮かべる。


「ほねが、太いですか」

「ああ。だからいつまでも鬱陶しいくらいに悩む必要はない」

「クリア、素直じゃないのね。そんなに心配しなくても、ニアはそのうち格好いい殿方になると言っているんでしょう?」

「そこまでは思っておりませんので」


 なるほど俺は骨が太いのか。

 それならこれから栄養をもっとつければ色々と育つかもしれない!

 伸びしろがあるってことだ、きっと。

 下っ端のフォロー(違う)を欠かさないなんて、さすがはクリア先輩だ。



 ――と、ここまでは怖いくらいに平穏な日を過ごしていた。

 それもそうだ。

 俺はクリスティーナお嬢様から従者だと言われたが、正式な従者となったわけではなかった。

 いいや、そもそも従者というのは名ばかりの、俺は期間限定の食客に過ぎなかったのだ。

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