第6話 体を綺麗にされました


 数日が経ったある日、クリアが俺を部屋に取り付けられた浴室に連行した。


「体を洗う。動けないのだから大人しくそこに座っていろ」

「え」


 問答無用で衣服を剥ぎ取られ、湯が張った浴槽に入れられる。


「気づいていないようだが、お前はかなり臭う。これまでの環境下を考えれば仕方がないが、クリスティーナお嬢様と顔を合わせる以上はこのままにしておけない。傷が痛むだろうが我慢しろ」

「……いてて!」


 クリアの言う通り石鹸のような液体が肌に触れた途端、刺すような痛みが全身を襲った。


「安心しろ。これは薬用の効果もあるものだ。クリスティーナお嬢様がお前のために取り寄せた」


 つまり石鹸として体を綺麗にする効果と、消毒のような役目を果たしてくれるのか。

 それはたしかにありがたいが、にしてもってえ!


 手を握りこんで何とか痛みに耐える。

何となくだが傷に触れるとき、クリアが加減を弱めてくれているのが分かった。


 我慢だ、我慢。

 正直自分では麻痺していて分からないが、ずっと悪臭を撒き散らしているのは恥ずかしすぎる。


 なんでも俺をここに連れて来た日は、寝ていたこともあって体を布で拭うのみだったそうだ。

 しかも拭いてくれたのはクリア……今それを聞かされてなんとも言えない心地になったが、むしろ色々と大変だったのはクリアだろう。申し訳ない。


「からだ、たすかる」

「クリスティーナお嬢様のためだ」


 そうだとしても感謝を伝えずにはいられなかった。


 こうしてお湯に入るのは今日がはじめて。奴隷時代でも水浴びはあったがお湯はなかったと思う。


「……傷がひどいな」


 背中を洗われていると、クリアがふと呟いた。無意識から出た発言は、自分でも唇から漏れたことに気がついていないのかもしれない。

 正面の壁に取り付けられた鏡に映るクリアは、今も黙々と洗い続けているから。


「きもち、わるい」


 鏡を通して見る俺の体は、どこもかしこも傷だらけだった。

 俺を連れていた奴隷商人は、他に比べて鞭を使う回数も多かったし、機嫌が悪いときは奴隷をいびることでストレス解消をしていたようなクズだ。


 俺も何度そのストレス解消に付き合わされたことか。

 骨はうっすら浮き出て、体は傷に覆われ、目も当てられない。

 こんな体をクリアはよく逸らしもせず洗ってくれるものだ。


「――契約印」

「なに、いった?」


 背中を洗うクリアの手が止まったので、声をかけてみる。


「……いいや、なにもない」

「ふーん」


 短く言ってクリアは口を閉じてしまったので、俺も深く気にせず前を向いた。


「……」


 この体を見ていると、嫌でも思い出してしまう。奴隷として虐げられていた日々を。

 そういや、いつも俺の隣にいた奴隷のあの男は今日も無事に生きながらえているだろうか。


 前に一度、奴隷商人のストレス解消で鞭打ちをされていたその男を、俺が代わりに打たれることで助けたことがあった。

 その時、男は熱を出していて鞭打ちに耐えられるような体ではなかったのだ。

 以来、男は俺を恩人だなんて大袈裟に慕ってくるようになったが、お互い髪は伸び放題で顔すら知らない。


 そんな、奴隷として過ごした日々のことを、ふと思い出してしまった。

 貴族としての記憶が飛ぶなら、奴隷として受けてきた苦い記憶も全部失くしてくれたらよかったのに。


 あいつ、元気だといいな。


「ありがとう、ございます」


 なぜかお礼を言いたくなった。奴隷の俺を買ってくれたお嬢様にはこの間お礼を言ったが、そういやクリアには言ってなかったなと思って。

 クリスティーナお嬢様の指示とはいえ、下っ端の俺に世話を焼いてくれることに感謝しなければならない。


 ああ、本当に、痛かったな。あの鞭打ち。


「……!」


 お湯に浸かって熱くなったからか、目頭から涙が出てきた。

 頭を洗われているので目に泡が入って染みたのかもしれない。


 どうせ長い前髪で顔は隠れているのだから、鏡を通してもクリアには俺の顔は見えない。

 湯浴びが終わるまで、その涙は流しておくことにした。


「このあと髪を切るんだ。目元が腫れているとクリスティーナお嬢様が心配なさるから気をつけろ」


 俺の髪を念入りに洗いながら、クリアはそんなことを言っていた。



 ◇◇◇



 浴室の次は、部屋から繋がるバルコニーに出された。


 良質なバスローブ一枚を体に巻き付けただけの格好に心もとないと思いつつ、バルコニーに用意されていた椅子に腰を下ろす。


 バスローブ一枚ではあるが、春の季節であるため肌寒いとは感じない。むしろ温かいくらいだ。


「ある程度乾かしたら髪を切るからな。暴れるなよ」


 クリアはどれだけ俺が暴れると思っているんだ。

 なんて思っていれば、頭にさわさわと温風が流れてきた。


 これは、もしや。


「まほー!?」

「うわっ」


 突然、俊敏な動きで顔を後ろに向けた俺に、珍しくクリアが驚愕の声をもらす。


「いきなり振り向くな。危ないだろ」

「それ、まほー? 風が、あたたかいやつ」

「まほーではなく、魔法、だ。……そうだが一体どうした。初めて見るのか」

「あー、うーん」


 曖昧に返答をすると、クリアは「まあいい」と言ってまた温風を髪に当て始めた。

 クリアの右手には、二十センチほどの杖が握られている。宝石のような色合いの石が嵌められており、すぐにピンときた。


「……ロッド」


 小説にも登場していた魔法ロッド。いわゆる魔法の杖だ。魔法を扱うためには、このロッドを所持していなければ魔法が発動しない。


 クリアが魔法を使えることは、小説で描かれていなかった。

 そもそもクリスティーナお嬢様同様に本編ではスポットがあまり当たらないキャラだったから知らないことのほうが多い。

 魔法が使えるということは、クリアは貴族の出か、または主人公のように平民でも魔法が使える希少種タイプの、どちらかだろう。


 ……まあ、いいか。

 それよりも今は魔法をこの目で見る喜びを堪能するとしよう。

 本当に魔法って存在するんだな、この世界。


 まあ、小説のタイトルが『マジカル・ハーツ』だもんな。恋愛ファンタジー小説でマジカルって付く癖に魔法が一切関係なかったらなぜマジカルってなるか。……なるのか?


「いいなぁ」


 俺は貴族としての魔法が扱えない落ちこぼれだったし、こうして間近で見ると羨ましい気持ちが込み上げてきた。


 この先も俺は、魔法が使えないままなのだろうか。


── ── ── ── ── ──

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