96話:優しくするのは友達だから

 はやいもので、大学生になって、もうすぐ一年が経つ。

 色々なことがあった。そういえば、咲ちゃんと付き合い始めてからだろうか、周りから『声が小さくて何言ってるかわからない』と言われることが減った気がする。今はもうほとんど無い。友達も増えて、昔に比べるとかなり人に慣れたからだろうか。そう思いながら街を歩いていると、一人の見知らぬ男性が話しかけてきた。人に慣れたとはいえ、知らない人に急に話しかけられるのは慣れない。


「あ、あの、私、急いでるので」


「そう言わずに」


 後ろから腕を掴まれた。こういう時のために護身術の勉強をした。咲ちゃんと一緒に実践もした。腕を挙げて、勢いよく身体を回転させる。すると男性の腕は簡単に振り解けた。驚いている隙に走って逃げると、人にぶつかってしまう。


「うわっ。大丈夫です……って未来?」


「あ……」


 ぶつかった相手はあきらちゃんだった。彼女はよろけた私を抱き止めて、近くのベンチに座らせて自販機でお茶を奢ってくれた。


「大丈夫?」


「うん……ありがとう。ナンパされて、逃げようとしたら肩掴まれて……びっくりして、逃げてきたの」


「そっか。恋人は?」


「今日は一人」


「……ふぅん」


「あきらちゃんも一人?」


「そ。一人。今から遊びに行く?」


 お互いに一人で暇していたならちょうど良いや。そんな軽い気持ちで頷いてしまうと、何故かため息を吐かれてしまった。


「君さ、彼女居るんでしょ?」


「居るよ?」


「私、ビアンなんだけど」


「知ってるよ」


「……二人きりなんて、彼女に誤解されるよ」


「されないよ。私は浮気しないって、咲ちゃんは信じてくれてるから」


「……あぁそう」


 少し苛ついたような声で呟くと、彼女は私の腕をぐいっと引いて私の身体を抱き寄せた。そして耳元で囁く。


「すぐ近くにラブホあるんだけどさ、そこで女子会しようよ。二人で」


「ラブホって……」


「遊んでくれるんでしょ? 私と」


 彼女の想像する遊びが、私の想像する遊びとは違うことはすぐに察し、彼女を押し返す。


「え、えっちな意味なら……お断りします……」


「半分は冗談だよ。あまりにも無防備過ぎてムカついたから揶揄っただけ」


 そう言って彼女は私から少し距離を取り、こちらを見ないまま続ける。


「けど、半分は本気だよ。……前にも言ったでしょ。未来は私の初恋の人に似てるって。雰囲気とか、声とか……私のタイプなんだ」


「……私のこと好きなの?」


「……違うよ。違う。ただ、初恋のお姉さんに重ねてるだけ」


「……そっか」


「……けど、彼女に嫌気がさしたら私のところにきて良いよ」


「嫌にならないよ」


「どうかな。人の気持ちは変わるよ。ちょっとしたきっかけで、簡単に。それに、君は女じゃなきゃいけないわけじゃ——」


 そこまで言い掛けて、彼女は口をつぐんだ。そして俯き、小さく謝った。気まずい空気が流れる。


「……私はもう誰かの幸せを妬んで邪魔することはしないって決めたのに、妬みは簡単には無くならないんだ。恋人と仲良くて幸せそうな人を見ると羨ましくて、妬ましくて、つい悪態をついてしまう。ごめん。君に酷いこと言うつもりはなかったのに。やだな……私……ほんと嫌な奴……」


 そう言って彼女は両手で顔を押さえて泣きはじめてしまった。 


「……嫌なこと言ったって素直に認めて謝れる人が嫌な奴なわけないよ」


「優しくしないでよ……君に優しくされると私……」


「好きになっちゃうじゃん」絞り出すような声で、彼女はそう呟く。


「……私、君と友達で居たいよ」


 私がそう言うと、彼女は両手で顔を押さえたまま「私もだよ」と震える声で答えた。


「うん。ありがとう。だから、はっきり言うね。私は君を、恋愛的な意味で好きになることはないし、えっちなこともしません」


「……うん。分かってる」


「君に優しくするのは、友達だからだよ。好きになられても応えられない。だから、期待しなくていいよ」


「分かってるよ」


「うん。……今日は帰るね」


「……うん」


「今日はありがとう」


「送って——いや……気をつけて帰るんだよ」


「うん。またね」


「……またね」


 あきらちゃんと別れて家に帰る。鍵は閉まっていたが、玄関には咲ちゃんの靴があった。

「あ、お帰り」と、ベッドの中から彼女が顔を出す。荷物を置いて、ベッドに入って彼女を抱きしめる。


「お。どうした?」


「……甘えたい気分なの」


「……何かありました?」


「……ううん」


「嘘」


「……うん。ごめん。正直に白状するね。ちょっとだけ、あった」


「正直でよろしい。で? 何があったの?」


「……私ね、友達の初恋の人に似てるんだって」


「友達? 女の子?」


「うん。女の子。でね、その子に言われたの。『優しくされたら好きになっちゃうから優しくしないで』って」


「……告られたの?」


「告られた……というか……わっ……」


 彼女は私を抱いたまま横に転がり、私の上に乗る。不機嫌そうな彼女の顔が視界に入る。


「私、はっきり言ったよ。優しくするのは友達だからだよって。好きになられても応えられないから期待しなくて良いよって」


「……そうですか」


「……けど、彼女は私にとって、大切な友達なんだ」


「私とどっちが「咲ちゃんだよ。君の方が大事」


 間一髪入れずにそう答えると、不機嫌そうな顔が緩んだ。そしてその顔は私の胸に沈む。


「……未来さんのおっぱいは私のおっぱいですからね。誰にも触らせちゃ駄目ですよ」


「うん。——って、え? いや、私のですけど」


「私のでもあるんですー」


 拗ねるようにそう言いながら彼女は私の胸にぐりぐりと頭を押し付けてくる。やきもちの焼き方が可愛くて、なんだか笑ってしまう。


「えいやっ」


「きゃー!」


 彼女を抱きしめたまま、横に転がって、彼女の上に乗る。期待するような瞳に吸い寄せられて、唇を重ねる。


「……ふふ。今日は未来さんがしてくれるの?」


「……うん。今日は私がする」


「甘えたいって言うからしてほしいんだと思ってた」


「……好きだよって、沢山伝えたいんだ。私には咲ちゃんだけだよって」


「別に不安になってないですよ」


「ほんとに?」


「ほんとに。やきもちは焼くけど、ちゃんと分かってますから。未来さんは浮気するような人じゃないって。仮に気持ちが揺らぐような事があっても隠せないでしょ。だーかーらー……っと」


「わっ」


 転がされ、再び私が下になる。すると彼女は「やっぱり私がしますね」と悪戯っぽく笑い、私の服のボタンに手をかけた。

『人の気持ちは変わるよ。ちょっとしたきっかけで、簡単に』あきらちゃんはそう言っていたけれど、私にはやっぱり、この子に嫌気がさす日が来るとは思えない。

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