89話:可愛い人
冬休み最終日。約束通り、姐さんに焼肉を奢ることになったのだが——
「や、松原さん、笹原先輩」
未来さんを連れて待ち合わせ場所に行くと、何故か柚樹さんと一緒に居た。理由を聞くと「財布」と姐さんは柚樹さんを親指で指した。
「予算オーバーしたらこの人が払うから」
「酷いよね。一銭も払わない気だよこの子」
と言いながらへらへら笑う柚樹さん。
「いいじゃん。柚樹さん、お金使いたいでしょ」
「君、ちょっとは遠慮という言葉を覚えた方が良いよ」
「あんただから遠慮しないんだよ」
ふっと笑って良い声で言う姐さん。「満ちゃん、人たらしのクズの才能あるね」と柚樹さんが苦笑いする。「あんたにだけは言われたくないな」と、姐さんが私の心の声を代弁した。
「あははっ。違いない」
クズ二人に連れられて入店すると、個室に通された。わざわざ個室を予約してくれていたらしい。未来さんを奥に座らせて、隣に座る。
「俺、来たもの適当に食うから。適当に頼んじゃって」
「……お金、大丈夫?」
「そんなこと言ったら高いもの片っ端から頼みますよこの人」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと下ろしてきたから」
そう言って開いて見せてくれた財布には束になった束が入っていた。ざっと数えてみても十枚はある。しかも茶色い。
姐さんは本当に容赦無く高いものばかり注文し始めた。私の予算の五千円は一瞬で超えた。
「さ、先に渡しておきますね……」
「ん。貰っとくね」
「……本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫。俺、金だけは持ってるから。……ちょっと重いんだけど、話しても良い?」
「あ、は、はい」
「俺さ、親から金だけはもらってんだよ。毎月二十万くらい」
「「にじゅ……!?」」
「で、後は放置。俺に与えられるのは金と衣食住だけ。……中学の頃は友達もほとんど居なくて、家にも居場所なんてなくて、趣味も特に無いから、使いきれない小遣いだけがどんどん、どんどんどんどん溜まっていくんだ。そのお金が、俺には重たくて仕方なくて」
そう言ってから彼は「まぁ、何も与えられないよりはマシなんだけどね。贅沢な悩みだよね」と、パッといつもの胡散臭い笑顔を浮かべる。だから姐さんは彼を連れてきたのだろう。使い道のないお金を消費するために。
「けど柚樹さん、これだけは覚えておいてね。例え金が無くなっても、私はあんたを捨てたりしないから」
そう言って彼女はふっと笑う。柚樹さんは苦笑いしながらため息を吐いた。
「……君は本当に、人たらしだねぇ……。実のこともそうやって口説いたんだね」
「別に口説いたつもりないんだけど。彼女が私を必要としてくれたから、私はそれに応えただけ。私が良いって、私じゃなきゃ駄目だって彼女が言うから」
「満ちゃんにそうやって言う人はたくさん居るでしょ? なんで実なの?」
「なんでって言われても。……諦めてくれたからかな」
「諦めた?」
「同じ想いじゃなくて良いって。いや、正確には『良くはないけど、誰かのところに行ってしまうよりはマシ』だって。そこまで言ってくれる人なんてなかなか居ないでしょ。恋って、独占欲に似たわがままな感情だろ? 知らんけど。だから……うん。彼女は、私に変わらなくて良いって言ってくれたから。側にいて、他の人のところに行かない。それだけで良いんだって」
「実が言ったの?」
「正確には、私が言わせた」
「だよね」
「まぁでも『誰かのところに行ってしまうよりはマシ』は、私が言わせたわけじゃないよ。それは彼女が言ってくれた。正式に付き合ってまだ一年経たないけど、今のところ、別れたいほどの不満は無いよ」
そう言って彼女は肉を焼きながらウーロン茶を煽る。ただのウーロン茶のはずだが、酒に見えてきた。
「……満ちゃんってさ、酔わなさそうだよね」
「母さんはめちゃくちゃ強いよ。父さんもそこそこ飲むから、まぁ、飲めるんじゃないかな」
「少なくともお菓子で酔うことは無さそう」
「漫画じゃないんだからそれはないでしょ」
「いや、それがあるんですよ。この間未来さんなんて、洋酒入りクッキーで酔っちゃって」
「そんな弱いんだ……」
「私もびっくりした……あんまりお酒入りのお菓子食べないから……」
「空美さんのお父さんもそんな感じらしいっすよ」
「あー。みぃちゃんパパね。下戸だって言ってたね」
「柚樹さんも酔わなさそう」
「どうだろう。親とも兄様とも食事することほとんど無いから想像もつかないや」
サラッと重い発言をする柚樹さん。触れないでおくのが正解なのだと判断し、ウーロン茶で言葉を濁す。
「……杏介さんのこと、兄様って呼んでるんだ」
ぽそっと未来さんが呟く。私もそこが気になったが、家族のことは触れない方が良いと思ってスルーしていた。柚樹さんは「そうですね。昔からそう呼んでます」と目を逸らしながら答える。そしてウーロン茶を一口飲んで、一呼吸置いて「先輩って兄様と同じ大学でしたよね。学校での様子ってどんな感じですか」と目を逸らしたまま続けた。仲が悪いと思っていたが、意外と気にしているらしい。それを聞いて未来さんは「杏介さんも君達のこと気にしてたよ」とくすくすと笑う。それを聞いた柚樹さんは目を丸くした。姐さんが「先輩、しー」と人差し指を立てると、未来さんはハッとして口元を押さえた。
「そうなんですか……てか満ちゃん、いつの間に兄様と関係を?」
「……先輩経由で連絡先渡されて」
「ふーん」
「実さんには言うなよ」
「言わないよ。……けどそうかぁ……父様の期待に応えることしか頭になかったあの兄様が俺らのことをねぇ……そっか……」
「マジで全然関わらないんだな」
「……うん。全然。実とも全然。会話もほとんど無いよ。けど……小学生の頃、俺、家出したことがあってさ……山田さんっていう庭師のお爺さんが迎えに来てくれたんだけどね、その時彼が『実お嬢様と杏介坊っちゃまが心配してましたよ』って言ったんだ。俺、ずっと、山田さんの優しい嘘だって思ってた。けど……あの言葉は嘘じゃなかったって、信じても良いのかな」
「……うん。良いと思うよ。杏介さん、意外と兄妹思いな人だと思うから」
未来さんが優しく笑う。柚樹さんは「ありがとうございます」と泣きそうな顔で笑って頭を下げた。なんだか貰い泣きしそうになってしまうが、みるみるうちに金網の上の肉が減っていくことに気づき、涙が引っ込んだ。
「肉焦げんぞー」
「いや、待って! 待って姐さん! 私の肉!」
なんとか確保できた僅かな肉を未来さんと分け合っていると「仕方ないな」と姐さんが肉を分けてくれた。
「あ、そういやさ。咲ちゃんこの間、樫田に会ったろ?」
「あぁ、はい。会いました。あの人、未来さんのこと兄貴の彼女だと勘違いしてて」
樫田さんの件を姐さんに愚痴る。
「マツに彼女が出来たってあの辺から噂聞いたけど、なるほどね。そういうことだったのか」
「笹原先輩も割と人たらしなところあるからなぁ……」
「そ、そんなことないよ」
「ありますよ。未来さんはあの二人と違って自覚ないから余計にタチ悪いです」
「それを言うなら咲ちゃんだって……去年のバレンタインデーもお手紙いっぱいもらってたし……」
「あれは……まぁ……はい。けど、私は未来さんしか見てないですから」
「私だって、咲ちゃんしか見てないよ」
「……知ってます」
嬉しくてにやけてしまうと「他所でやれ」と姐さんに足を蹴られた。
「さーせん。……けどほんと、兄貴とかあの辺のヤンキー共との距離感は気をつけてくださいね。私の彼女だから勘違いしたり、手出したりすることはないと思いますけど……あんまり、男の人と二人きりにならないでほしいです。心配です。あと、周りから勘違いされるのも嫌ですから。あなたは私の「私の女。だもんね」
私の言葉を遮り、彼女は悪戯っぽく笑う。よっぽど気に入ったらしい。一生いじられそうだなとため息が漏れたが、悪戯っ子のように笑う彼女もまた、可愛くて愛おしくて仕方なく思えてしまうのだった。
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