62話:来年の約束

 力尽きて眠ってしまった彼女の白い背中には、赤い花びらがぽつぽつと散っている。私がつけたキスマーク。

 僅かに残る理性で、服で隠れない場所にはつけないように気をつけていた。とはいえ、流石にやりすぎたと反省している。


『今の私にはもう、自分が男の人と結婚式を挙げてる想像が出来ないんだ。結婚式を挙げる想像をしようとするとね、どうしても相手が君になっちゃうの。母親になる想像をしてもそう。隣に君が居る。私にはもう、君以外の人と未来を歩む自分が想像出来ないんだ。……それくらい、君が好き。……離したりしないよ。私はもう、誰に何を言われても、私の幸せを手離したりしない』


 彼女の言葉が脳内で何度も反響する。改めて、くだらない理由で約束を破ろうとしたことを反省している。というか、破ってしまった。結局、花火なんてほとんど見ていない。花火よりも、花火に照らされる彼女があまりにも綺麗で、そっちに見惚れてしまった。


『あっ……咲ちゃん……』


 ドーン、バラバラバラバラ……という花火の音をBGMに響く彼女の甘美な嬌声。

 薄暗い部屋で、花火が上がるたびに照らされる彼女の白い肌。切なそうな顔。溢れる涙。

 私の名前を呼ぶ、切なくて熱い声。

 『大丈夫だよ』と嗚咽と吐息と嬌声混じりに繰り返される優しい声。

 荒んだ私の心を包み込む、彼女の温もり。

 昨夜のことは全て、脳内に強烈に焼き付いている。鮮明に思い出せてしまうほどに。

 来年も再来年も、その先もきっと、花火を見るたびに思い出してしまうだろう。もう二度と純粋な目で花火を見れない気がする。


「……未来さん」


 名前を呟くと、応えるように寝返りを打ってこちらを向いた。そしてその勢いで頭突きをして、何も言わずに私の腹に何度も正拳突きをする。痛くは無い。だけど決してじゃれあっているわけではなく、怒っていることは伝わってくる。

 抱きしめて謝ると、攻撃が止んだ。私の腹を突いていた拳は背中に回り込む。


「……ごめんね。未来さん。……約束、守れなかった」


 彼女は黙ったまま、何も応えない。


「……ごめんね」


 もう一度謝る。すると小さな声で「馬鹿」と返事が返ってきた。そして一呼吸置いて、彼女は続ける。


「あんなことされたら、花火見る度に思い出しちゃうじゃないか」


「えっ。怒ってるのそこ?」


「……」


 すすす……と、彼女は布団の中に沈んでいく。そしてまた私の腹をどすどすと殴り始めた。

 しばらくして、攻撃が止む。布団の中からじとーっとした目つきで私を凝視してくる。

 思わず「可愛い」と漏らしてしまうと、思い切り胸に頭突きされた。


「ぐはっ……」


 そしてまた「ぷい」と言ってそっぽを向いてしまった。


「……ほんとに、ごめんね。未来さん」


「……じゃあ、美味しい朝ご飯作ってくれたら許します」


「うん……何食べたい?」


「……冷蔵庫に鮭が居るから、味噌マヨ焼きにしてください。あと、お味噌汁と目玉焼き」


「はい。わかりました。じゃあ、作ってきます」


「……お願いします」


「怒ってるのにお願いしますって」


「……むぅ」


「ごめんごめん。すぐに作ります」


 ベッドから出て服を着て、台所で調理を始める。

 しばらくすると、彼女が近づいて来て、後ろから抱きついて来た。そして、ぐうぐうと腹の音を鳴らしながら無言で圧をかけてくる。


「……咲ちゃん」


「はい」


「……約束破ったことはちょっとだけ怒ってる。けど……昨日、凄くドキドキした。ちょっと怖いなって思ったけど、嫌ではなかったよ」


「……うん。ごめん」


「……もういいよ。咲ちゃんの気持ち、痛いくらい伝わった。私、これからも君の側にいるからね。だから、大丈夫だよ」


「……はい。これからもよろしくお願いします」


「……うん。よろしくね。あと……」


「来年も花火はお家で見よっか」だんだんと小さくなっていく声で、彼女はそう呟いた。

 その瞬間、そういえばいつの日か誰かが「花火には催淫効果がある」「火薬は元々媚薬だった」なんて言っていたことを思い出した。あれは誰情報だったっけと思い出しているうちに、鮭は黒焦げになっていた。

 やっぱり私はきっと、来年もまともに花火は見れない。多分再来年も、その次も。花火を見るたびに昨夜のことを思い出してしまうのだろう。

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