61話:"君"と書いて"私の幸せ"と読む
8月13日午後6時。待ち合わせ場所に行くと、去年と同じ浴衣を着た彼女が居た。
「咲ちゃん〜」
会えたのが嬉しくて声をかけながら駆け寄る。すると彼女は私の方を振り向き、そして勢いよく頭を下げて謝罪をした。
「私、去年の約束破ろうとしたの。最初から、間に合うって分かってた。分かってて、間に合わないって嘘ついた。ごめん」
「えっ……夏祭り行きたくなかったの?」
「ううん……そんなことない。行きたかったよ。楽しみにしてた」
じゃあどうしてだろう。気にはなるが、別に怒りは湧かなかった。後から知っていたら流石に怒っていたかもしれないけれど、こうやってちゃんと約束を守ってくれたから。今はただ、彼女と一緒にお祭りに行けることが嬉しい。
きっと、何か嫌なことがあったのだろう。少なくともめんどくさくなったという理由ではないはずだ。彼女が私との約束をそんな理由で蔑ろにする人ではないことは分かっている。
「破ろうとしたのは事実だとしても、ちゃんと来てくれたじゃないか。約束守ってくれてありがとう」
「……未来さん……」
「嘘ついたのは良くないです。でも、ちゃんと正直に話して、ごめんなさいして、偉いね。嘘ついた理由も後で聞かせてね」
「うん……話します。ちゃんと」
「ん。よろしい」
「……好きです」
「えっ。う、うん。私も好きだよ」
「……うん。知ってます」
彼女はそう弱々しく笑った。そして、ぽろぽろと彼女の瞳から雫がこぼれ落ちる。近くのベンチに座り、彼女が落ち着くのを待つ。
「ごめん……ほんとごめん……私今日、情緒不安定で……」
「女の子だもんね。そういう日もあるよ」
「……あ、そうか……だからこんなにムラ——いや、なんでもないです」
言いかけたことはなんとなくわかったが,敢えて触れないでおこう。
「……今日、お祭り行くのやめる?」
「えっ。でも……」
「花火だけなら、私の家のベランダからでも見れるんだ。だから、今年は一緒にお家で花火みない?」
今日の咲ちゃんの様子を見ていると、その方がいい気がする。私も人混みはあまり好きではないし。
「……未来さんが良いなら、そうしたいです」
「うん。じゃあ、帰ろっか」
「……そのままお泊りしていい?」
「うん。良いよ。泊まって行って」
「……たくさん甘えても良い?」
「うん」
「甘えるって、えっちなことするって意味ですけど」
なんとなくそんな気はしていたが、改めて言われるとドキドキしてしまう。
「えっ……う、うん。大丈夫……です……」
照れながら答えると、彼女は何故か泣きそうな顔をして私を見て、そして俯いてしまった。
「……咲ちゃん。とりあえずお家帰ろう。話聞くから。ね?」
「……うん」
彼女を連れて家に帰る。こんな元気の無い彼女は久しぶりに見た気がする。
家に戻ると、彼女は甘えるように私の肩に頭を埋めた。部屋に連れて行き、そのまま座る。
「咲ちゃん。話したくないことは話さなくていいよ。話せる範囲で話せばいいからね」
「……大丈夫。全部話します」
私の肩に向かって、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。
数年前に亡くなった祖母の『咲ちゃんの旦那さんになる人はきっと、素敵な人だろうねぇ』という口癖、結婚して子供が産まれて幸せそうな従姉妹、彼氏の話しかしない従姉妹、結婚の話題——親戚のことは嫌いでは無いが、自分がレズビアンだと自覚してから疎外感を覚えるようになって親戚の集まりが辛くなったのだという。
「……そういう話されるとさ、嫌でも考えちゃうんだよね。……私はいつまで、未婚であることを許されるのかなって。……旦那さんと子供に恵まれて幸せそうな従姉妹見てると……心が、嫉妬で塗り潰されていくんだ。こんな真っ黒な私であなたに会いたくなかった。だから、嘘ついた」
彼女の気持ちはよく分かる。私の従姉妹も結婚していて子供がいる。祖父母も叔父叔母も当たり前のように私が異性愛者だと思っている。妹には彼氏が居る。妹はいつか、当たり前のように結婚するのだろう。その時が来ても私に遠慮なんてしなくて良いとは伝えてある。遠慮される方が嫌だ。異性と結婚する人達に罪はない。悪いのは結婚という制度を異性愛だけの特権にしているこの国の法律だから。制度を利用する人達には何の罪もない。異性と結婚する妹を素直に祝福出来るかと問われれば、その時にならないとわからないけど。妹はまだ16歳。今年で17歳。結婚はきっと、まだまだ先の話だ。
妹が結婚する頃には同性同士で結婚出来る様になっているかもしれない。決して、あり得ない話ではないと思っている。現状を見ると辛くなるが、時代が変わりつつあるのもまた事実だ。同性婚が出来る国は少しずつ、少しずつ増え続けている。いつかは日本も変わる。いや、変えなければいけない。
「……嫉妬はしょうがないよ。私もね、親戚と会って、結婚の話とかされると考えちゃうよ。……私は君と違って、異性を愛せないわけじゃない。咲ちゃんに告白されなかったら、もしかしたらいつかは男性と結婚していたかもしれないって」
「……そんなの嫌です」
「うん。ごめんね。嫌な話して。だけど大丈夫。それはもしかしたらの話だから。今の私にはもう、自分が男の人と結婚式を挙げてる想像が出来ないんだ。結婚式を挙げる想像をしようとするとね、どうしても相手が君になっちゃうの。母親になる想像をしてもそう。隣に君が居る。私にはもう、君以外の人と未来を歩む自分が想像出来ないんだ。……それくらい、君が好き。……離したりしないよ。私はもう、誰に何を言われても、
と、言い切ったところで、なんだか恥ずかしくなってしまい、彼女の肩に頭を埋めて隠す。すると彼女は、何も言わずに私を抱きしめた。しゅるりと帯が解かれる音、そして、パチンとホックが外れる音が耳に響く。
「えっ、あ、あのー……」
戸惑ってしまう私を、彼女は何も言わずに抱き上げ、ベッドに降ろし、部屋の電気を消して、私の浴衣の帯を外した。
「えっ、ちょ、ちょっと待っ——」
言葉は途中で呼吸と共に奪われて、浴衣を乱される。
「さ、咲ちゃ——んっ……」
彼女は何も言わない。発する言葉は私の名前のみ。だけど、肌に触れる熱い指先から、舌から、私を呼ぶ色気が混じった熱くて切なげな声から、苦しくて泣きそうになるくらい激しい愛が伝わってくる。
「未来さん……っ……」
「咲ちゃ……ん……っ」
こんなにも激しく求められたのは初めてで、少しだけ怖い。怖いけど、いつも以上にドキドキしている。
「!……」
ふと、カラフルな光が部屋を照らし、彼女の手がぴたりと止まる。思わず窓の外に目をやると、夜空にカラフルな花火が咲き、消えていった。遅れて、花火の打ち上がる音が届き、次々と花火が咲く。「綺麗」と思わず呟くと「うん」と彼女も短く相槌を打った。その顔は、窓の外に向けられていた。だけどすぐに私に視線を戻して「だけどやっぱり、花火よりあなたの方が綺麗です」と泣きそうな顔で笑った。窓から差し込む花火の光に照らされたその顔は、花火とは比較にならないほど美しくて、思わず見惚れてしまう。今この瞬間の彼女の美しさに勝るものを——これほどまでに胸をときめかせるものを、今の私は知らない。いや、一生知ることはないだろう。そう言い切れてしまうほどに美しくて、思わず手を伸ばす。伸ばした手は彼女の長い指に絡め取られ、ベッドに縫い付けられる。
「……私も、あなたを手離したりしませんからね」
そう囁いて、彼女は私の手を強く握りしめた。熱い吐息が身体に吹きかかるたび、体温が上昇していく。エアコンの冷たい風がぬるく感じてしまうほどに。
彼女はそのまま、花火が終わったあとも止まらずに、夜が明けるまで私を求めた。そして、やがて私の方が先に力尽きて眠ってしまった。私と花火を見る約束は結局守ってくれなかったけれど、これはこれで素敵な思い出になってしまったから怒るに怒れなかった。
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