51話:和解

 小学生の頃、やたらと私に意地悪する男の子が居た。


「笹原。何読んでんの?」


「あっ……か、返して……」


「ん? 何? 聞こえないなぁ」


「返して!」


 読んでいる本を横取りしてきたり、眼鏡を奪ったり。

 仲の良い、正義感の強い女の子が、私の代わりに先生に言いつけてくれた。彼女は、正義感が強すぎて周りから少し浮いていた。家庭の事情で彼女が転校することになった時は「やっと平和になる」と言った子もいた。確かに、彼女の一言で空気が悪くなることも少なくはなかったけど、私は彼女を尊敬していた。転校することがわかって、引っ越してしまう最後の日に家でパーティをしたくらい、仲が良かった。


「永遠の別れじゃないんだからさ、またきっと、いつか会えるよ」


 そう泣きながら笑い、彼女は私に背を向ける。

 行かないでと手を伸ばしたところで——。

 びぴぴ……と、アラームの音が鳴り響き、目が覚めた。


「……久しぶりに見たなぁ」


 彼女が転校したのは五年生の頃。もう六年以上経つ。彼女が転校したばかりの頃はよく見た夢だけど、何故このタイミングで夢に出てきたのだろう。

 もしかして、彼女と再会するという予知夢だったりして。そんなことをちょっと期待しながら、近所のスーパーに出かける。

 今日は土曜日。学校は休み。だけど、咲ちゃんは忙しいらしく、今日も明日も会えない。今週は会えなかった。寂しいけれど、だいぶ慣れてしまったし、毎日のように電話をかけてくれる。コミュニケーションはちゃんと取れている。


「……あれ?もしかして、笹原?」


 買い物を終えて帰ろうと、スーパーを出た時だった。一人の男性と目が合った。誰だろうと首をかしげると、男性は気まずそうに「小中一緒だった中村だよ」と名乗った。中村という苗字の男の子は中学には何人かいたが、小学校も同じだったのは一人だけ。

 今朝の夢も出てきた、私に意地悪してきた男の子。そして、その意地悪は構ってほしかったからだと、本当はずっと好きだったと、中学生の頃に告白してきた男の子。勇気を出して断ったら、しつこく付き纏ってきた男の子。

 思わず数歩下がって距離を取ると、彼は「そりゃそうなるよな」と悲しそうに俯いた。そして「ごめん」と小さく呟いた。


「……中学生の頃も言ったけど、俺、ずっと笹原のこと好きでさ。だから……謝って、許して貰いたくて……それ以上のこと望む権利なんてなかったはずなのに好きだとか付き合いたいとか言って……俺、余計にお前のこと傷つけたよな。……怖がらせて、ごめんな」


 どうやら、当時のことを物凄く反省しているらしい。


「……ん」


「……えっ、何?」


「……荷物。家まで運んで。それでチャラにしてあげる」


「……笹原……」


 彼に荷物を渡して、家に向かって歩き始める。彼は黙って走ってきて、隣に並んだ。


「……今はもう、俺のこと怖くない?」


「……反省してるのは伝わったから」


「そうか……」


「……うん。けど、君のことは好きにならないからね。絶対に」


「……分かってる。好きになって貰いたいなんて言わないよ。……今も駄目なんだろ? 男が」


「……うん」


「そうか。……なぁ」


「ん?」


「……その、噂で聞いたんだけどさ」


「噂?」


「お前さ、女と付き合ってるって、マジ?」


 思わず足を止める。どんな表情でその質問を投げかけたのか確かめるのが怖くて俯いてしまう。だけど、私は間違っていない。だから、堂々と言えばいい。


「……本当だよ。それがどうかした?」


 言えた。ちょっと震えてしまったけど、顔も見れなかったけど、言えた。

 すると、彼はため息を吐いてこう続けた。


「俺のせいなのか?」


 思わず顔を上げる。悲しげな顔をして彼は続ける。


「俺のせいで、男が苦手になったから?」


 確かに、今も男性から好意を向けられると怖いと思ってしまう。その元凶を作ったのは彼だ。しかし、私が男性不信になったのは、彼以上に、彼から私を守ってくれた一つ上の男の人の影響の方が大きいと思う。

 私はその人に恋をしそうになった。だけど、ある日彼が裏で私のことをこう話しているのを聞いた。『ちょっと優しくすれば落とせそう』とか『ああいう地味な子が実は一番エロい』とか。その瞬間、私の初恋は、粉々に砕かれた。

 それから数ヶ月後に、私は彼から告白された。断ると、舌打ちされて、暴言を吐かれた。何を言われたかは覚えていないけれど『調子に乗るなよブス』とか、そんな感じだった気がする。

 だから、男性不信になったのは彼のせいではないし、なにより、そのことと私の恋人が女性であることは関係無い。


「……駄目なの?」


「え?」


「女の子が女の子を好きになることは、そんなにも、いけないことなの?」


 怒りがふつふつと湧いてくる。多分、彼は私を傷付けようとして言ったわけではないのだと思う。だけど『俺のせい』なんて、同性を愛した私を可哀想だと思っていなかったら出てこない言葉だ。彼の無意識の中に差別心や偏見があるのは明らかだ。

 彼はハッとして「ごめん!」と叫びながら勢いよく頭を下げた。

 悪気は無かったことなんて、見れば分かる。分かっている。だけど、許したくない。そう思う私は、まだ子供なのだろうか。


「もういい。荷物返して。後は自分で運ぶ」


 彼に預けていた荷物を取り返し、家に向かって歩く。彼は謝りながら追いかけてきた。

『何あれ痴話喧嘩?』とひそひそ聞こえてくる。


「ついて来ないで」


「悪かったって」


「……」


「なぁ、笹原」


「……」


「っ……頼むよ、待ってくれよ」


 腕を掴まれ、止められる。振り解こうとしてもびくともしない。


「悪かったって。だから、頼む。許してくれ」


「……どうして私が怒ってるか分かってる?」


「……それは……」


 振り返り、彼を見る。目が泳いでいる。自分が失言したことは理解出来ているが、何が失言だったのかまでは分かっていないようだ。教えてあげた方が良いのかもしれない。けど、今の私は彼にそこまで優しく出来る余裕は無い。


「……わかってないのに謝らないでよ。形だけ謝られたって許せないよ」


 彼の手から力が抜けて、解放される。振り返らずに家に向かってひたすら歩く。


「……咲ちゃんに会いたい」


 呟いても、都合よく彼女が現れたりはしない。足が止まってしまう。代わりに、涙が止まらない。

 すると、近くでバイクが止まり「未来ちゃん?」と私を呼ぶ声が聞こえた。

 ヘルメットを外して駆け寄ってきたのは桜ちゃんだ。


「どないしたん? 何があってん」


「……桜ちゃん……」


 泣いてしまって上手く話せない私に、彼女は「ちょっと待っとって」と言って、バイクで去って行った。そしてすぐに正面から走って戻ってきて、私の荷物を奪う。


「バイクその辺置いてきたから。歩いて家まで送ったるわ。荷物持ったるさかい」


「ありがとう……」


 そのまま家に向かう。後ろを振り返ると、棒立ちのまま動かない人影が見えた。恐らく彼だろう。追いかけて来る気配はない。


「……私ね。男の人にトラウマがあってね」


「……うん」


「……さっき、中学の同級生に言われたの。女の子と付き合ったのはそのトラウマのせいなの? って」


「……それは酷いな」


「……けど、彼も、悪気は無かったと思うんだ」


「……そないな言い訳、せんでええよ。未来ちゃん、それ言われて傷付いたんやろ?」


「……うん」


「なら、無理に許そうとせんでもええんとちゃう?……時には怒りを堪えることも必要かもしれんけど、我慢しすぎると、けったいなとこで爆発するで」


「けったい?」


「あー……変なって意味。不満が積もり積もって、変なタイミングで爆発するとその方が気まずいやん。言いたいことは早めに言ったほうがええよ。……まぁ、うちも人のこと言えへんのやけど」


「……彼と、話をした方が良いかな」


「未来ちゃんはどないしたい?」


「私は……できれば、自分で気付いてほしい」


「じゃ、ほっとこ」


「うー……」


「なんやねん。もー」


「私、彼の連絡先も住所も知らないから……ここで別れたらもう、話せないかも……」


「話したいなら話してといでよ。後ろ、見てみ」


 後ろを振り返る。目が合った彼がサッと電柱に隠れるのが見えた。


「あれやろ? さっき喧嘩したっていう同級生」


「……うん。荷物置いたら話そうって、言ってくる」


「ん。まっとったるさかい。はよ行き」


 彼の元へ駆け寄る。


「荷物置いたらまた来るから。……話そう。ちゃんと。君には散々意地悪されたし、さっきも酷いこと言われたけど、許したいんだ。ちゃんと」


「……笹原……」


「あそこの公園で待ってて」


「……分かった」


 近くの公園で待ってもらうようにお願いして、桜ちゃんの元に戻る。


「……ありがとう。桜ちゃん」


「ん。どういたしまして」


 家に帰り、食材を冷蔵庫に詰めて、桜ちゃんと別れて公園へ向かう。ベンチに彼の姿を見つけた。少し距離を空けて、隣に座る。


「……私、彼女が好きなんだ。背が高くてカッコよくて、優しくて……凄く、素敵な子なの。……彼女と付き合えて、幸せなんだよ。だから……って一言が、まるで、私が道を踏み外したって言われてるみたいで……嫌だったんだ。……好きになったことを、否定されたみたいで」


「……そうか……そう……なんだな……」


「……うん」


「……」


「……私の友達には沢山いるよ。同性同士で付き合ってる子。みんな、普通の人だよ。君と変わらない。普通の人間」


「……そうか。俺は……お前の幸せを否定したんだな。だから怒ったんだ」


「そうだよ」


「……ごめんな」


「……うん。分かってくれたから許してあげる」


「……ありがとう」


「ううん。……そうやって、自分の過ちを認められるところ、君の良いところだと思う」


「そ、そう……か……?」


「子供の頃より素直になったね。構ってほしくて私に意地悪してた子供の頃より」


「う……それは本当に……すまんかった……」


「いいよ。今の君はもうしないだろうし、水に流してあげる。はい。この話はもうおしまい」


「……笹原も、変わったな」


「私?」


「昔はもっとボソボソ喋ってたのに。はっきり喋るようになったな」


「……そう……かな」


「……そうだよ。変わったよ」


 今でも人見知りはする。けど、確かに以前よりは人と話すことに慣れたかもしれない。咲ちゃんと付き合って、鈴木さん達に出会って、少し自信がついてきたのかもしれない。


「……彼女って、さっき一緒に歩いてた子?」


「ううん。彼女は友達。恋人は違う女の子」


「そうか……」


「うん。さっきも言ったけど、可愛くてカッコいい、自慢の彼女だよ」


「そう……か。……そうなんだな」


 ため息を吐き、俯き、そして顔を上げて私を見て、再び俯いて「酷いこと言ったな。俺」と呟いた。


「気付いてくれれば良いんだよ。……あと、一つ、忘れないでほしいことがあるんだ」


「何?」


「世の中は、異性愛が当たり前じゃないってこと。……目の前にいる人が異性愛者かそうじゃないかなんて、本人に確かめるまで分からない。……ちゃんと、頭に入れておいてね」


「……あぁ。……分かった」


「約束だよ」


「約束」


 彼と小指を結んで約束を交わした。大嫌いだった彼とこうして和解出来る日が来るなんて思わなかった。鈴木さんに出会わなかったら、咲ちゃんと付き合わなかったらきっと、私は彼と向きあおうなんて思わなかっただろう。彼の言った通り、やっぱり私は昔の私とちょっと変わったのかもしれない。だけどそれはきっと、良い変化なのだと私は思う。

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