50話:一人じゃないから
それから数日後経っても、雛子の笑顔はまだ少しぎこちない。私は失恋の経験はないが、未来さんへの恋心を自覚した時は失恋したような気持ちだった。当時はまだ同性への恋はどうせ叶わないという偏見も強かったからというのもあるが、卒業した後だったからというのもある。去年未来さんと再会しなかったら、鈴木くんと出会わなかったら、今でも失恋気分だったのだろうか。
そう思いながら廊下を歩いていると、購買の前に雛子を見つけた。私を見つけると、彼女は購買の袋を振りながら駆け寄ってきた。
「聞いて聞いてー!このイチゴクリームパン、最後の一個だったんだ。新作なんだってー」
嬉しそうに語る雛子の背後で「ごめんね。イチゴクリームパンは今さっき売り切れちゃったんだ」と、購買の人の声が聞こえてきた。それを聞いて雛子は振り返り、とぼとぼと残念そうに歩き去ろうとする女子生徒を追いかけた。
「ねぇ、イチゴクリームパン、良かったら半分食べない?」
「えっ……でも……いいの?」
「いいよ。半分くらい。ヒナ、美味しいものこそみんなで分け合って食べたい派なんだ。まぁ、まだ食べてないから美味しいかわかんないけどね。お昼に一緒に食べよう。中庭で待ってるねー」
雛子が声をかけた女の子と目が合う。ぽっちゃりめで、大人しそうな女の子。
「パンちゃんだ」
思わず呟いてしまうと、彼女はペコリと頭を下げた。
「パンちゃん?まっつんの知り合いなの?」
「いや、うん」
バレンタインデーにラブレターをくれた子だ。本名は知らない。
「
「ヨネダさん。米の田んぼで米田?」
「う、うん。下の名前はそのまま小麦粉の小麦」
「へー。なんか、美味しそうな名前。小麦ちゃんだからパンちゃんなの?」
「いや……LINKのアカウント名がクリームパンだから」
「えー。なにそれー。見せて見せてー」
雛子に彼女のアカウントを見せる。
「わっ。アイコンまでクリームパン。よっぽどクリームパンが好きなんだねぇ」
「うん。それもあるんだけど……似てるって、よく言われるんだ」
「クリームパンに?」
頷いて、彼女は拳を突き出した。ふっくらとした赤ちゃんみたいな可愛らしい手は、確かにクリームパンみたいだ。
「ふっ……ふふ……何それ。パンちゃん、超面白いね」
腹を抱えて笑う雛子。こんな楽しそうに笑う彼女は久しぶりに見た気がする。
「えっ、そ、そう?」
「ふふふ。でも、確かに似てる。可愛いね」
「私のチャーミングポイントだと思ってます」
ドヤ顔するパンちゃん。なんだか、LINKで話した時と全然印象が違う。こんな面白い子だったんだ。もっと気弱だと思っていた。
「ふふふ。ヒナ、パンちゃんのこと気に入ったかも。あ、ヒナってのは私の名前ね。雛子っていうの。三木雛子。デルタってバンドでドラムやってまーす」
「えっ、あ、ドラムの子!?そっか。なんか見覚えあると思ったら。なんかこう、もっとクール系の子だと思ってた」
「クール担当は雫だよ。ギターの子。ヒナは、癒し系担当」
「……癒し系なのは見た目と喋り方だけじゃない?中身緩くないじゃん。雛子」
「そんなことないですぅー!」
「あ、ごめん。褒めてるつもりだったんだけど。見た目と中身のギャップが姐さんみたいで」
「……まっつん、ほんと姐さんのこと好きだよね」
「敬愛してます」
「姐さん?」
「七組の月島さん」
「あぁ……もしかして、告白してきた男子を背負い投げしたっていうあの……?」
「いや、あれは正当防衛だから」
噂をすればなんとやら。姐さんがしれっと会話に参加してきた。
「正当防衛って言っても背負い投げは無いと思う」
そう苦笑いするのは星野くん。そういえば彼は声優の星野流美の弟らしいが、それを知って改めて見るとなんとなく似ている気がしてきた。目が合ってしまい、逸らす。
「いやいや、だってさ、私が誰も好きにならないの知ってて『俺が恋を教えてやるよ』とか言って迫ってきたら投げるだろ普通」
「うっわっ!キモっ!」
「それは確かに怖いが……普通は投げないな……」
「男ってだけで女より上だと思ってる勘違い野郎はこれくらいしなきゃ直らん。むしろ、生かしてもらえるだけありがたいと思え」
「……噂には聞いてたけど、見た目と中身のギャップえぐいね」
パンちゃんが苦笑いする。
「でも投げたくなる気持ちは分かるよ。ヒナもよく勘違い男に告られるから……『俺のこと好きなんだろ』で、壁ドン。みたいな」
「股間蹴り上げてやれ」
「それはやめてあげて……マジで死ぬほど痛いから……」
青ざめた顔をして首を横に振る星野くん。女には分からないが、一説によると出産と同じくらい痛いとか。比べようがないから確かめようもないが。
「無防備に弱点ぶら下げてる方が悪い」
「ぶら下げたくてぶら下げてるわけじゃないんだよ……生まれた時からそういう構造になってんだよ……」
「下品な話するなよ」
「振ったのそっちだろ!」
相変わらず仲がいい。
「また夫婦漫才やってる」
「星野、ハーレムじゃん」
すれ違いざまに同級生達が揶揄いながら去っていく。
「女子といるだけでああいう揶揄い方されるのやだな……ほんとに……悪気は無いんだろうけどさ……」
星野くんがため息を吐く。
「ほんとにねー。てか、ヒナとまっつんは男に興味無いし」
「あ、私もそうだよ。男っつーか、恋愛に興味が無い」
「えっ。ヒナちゃんと月島さんもなの?」
「お。パンちゃんも同士なの〜?」
「う、うん。私、レズビアンだと思う」
「ヒナもー!わーい!仲間だねぇー!」
パンちゃんに抱きつく雛子。この学校にいると、こんな感じで、趣味を打ち明けるノリでセクシャリティをカミングアウト出来てしまう。この学校はもうほとんどそんな感じの雰囲気だ。むしろ、それをおかしいと笑う人の方が少数かもしれない。凄く居心地が良い。だから時々、この学校から卒業して社会に出る日を考えると、少しだけ怖くなってしまう。この国全体が——世界全体がそうなるまでは、後何年かかるのだろうかと、考えない日はない。
だけど大丈夫。世界は必ず変わると私は信じている。人が変われること、私はもう知っているから。私はもう二度と、自分が同性愛者であるということだけで絶望したりはしない。私はもう、一人じゃないから。
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