咲ちゃんと未来さん

三郎

プロローグ

1話:私が好きな人は

 私—松原咲まつばらさき—には好きな人がいる。笹原未来ささはらみらいさんという、眼鏡がよく似合う上品な美人。文学少女という感じの、頭が良さそうで大人しい人。

 歳は二つ上で、吹奏楽部の先輩。

 気弱で、声が小さくて、いつもおどおどしており、よく顧問に『はっきり喋れ』と叱られている。

『ごめんなさい』が口癖の彼女だけど、私の前ではその口癖はあまりでない。そして、同級生と居ることより、私と居ることが多い気がする。理由を聞くと『君の隣が一番居心地が良い』と花のように可愛らしくて柔らかい笑顔を浮かべながら細々と話してくれた。

 可愛い人だなと思った。守りたいと思った。

 好きだなと思った。彼女が男子から告白されたり、可愛いと評価されているのを見ると、モヤモヤした。

 だけど私と彼女は女同士。同性同士。

 だから多分、この気持ちは恋ではなくて憧れなんだと思っていた。


 違うかもしれないと気付いたのは、彼女が卒業して会えなくなってしまってからだった。

 心にぽっかりと穴が空いてしまったような感覚に陥った。それが初恋だったとようやく自覚した頃には、もう終わっていた。

 彼女の妹—あゆみちゃん—は同級生だが、それほど仲が良いわけではない。彼女の妹の恋人とは、部活が一緒でそこそこ仲が良いが、彼女と付き合ってからは自分からはあまり関わらないようにしている。変な勘違いされたくはないから。


 それから卒業までの二年の間で、一人の女の子に恋をした。一つ下の部活の後輩で、未来さんに似て大人しそうな女の子。私はこういう女の子がタイプというよりは、恐らく、彼女を未来さんに重ねていたのだと思う。

 その証拠に、彼女の大人しそうな雰囲気はただ単に人見知りをしていただけで、慣れてくると明るくハキハキ話す子だと知った—未来さんとは違うと気付いた—ところで、恋心は冷めた。

 未来さんが居なくなった後の二年間でした恋はそれだけ。異性に対して惹かれたことは一度もなかった。私は未来さん以外好きになれない。なれたとしてもその人は異性ではなく同性だと自覚はしたが、周りには言えなかった。

同性に恋をしている人は私くらいで、好きな人の話をするときはみんな当たり前のように異性の名前をあげる。私も合わせて適当な男子の名前をあげたりして異性愛者を装っていた。

 私は孤独な同性愛者だと勝手に思っていた。


 すぐ近くに、同じように同性愛者であることを隠して異性愛者のふりをしている男の子が居るなんて気づきもせずに。




 高校はLGBTに対して配慮をして制服をジェンダーレス化しているという青山商業高校を選んだ。寒い冬にスカートを穿かなくてもいいという点に魅力を感じたからと親には説明したが、本当は、LGBTに配慮をしているというここなら異性愛者のフリをしなくていいのではないかと期待したから。

 だけど、現実は違った。スカートを穿いて登校してきた男の子——一瞬女の子と間違えてしまうほど可愛いが、声や席で男子だと一眼でわかる——がひそひそされているのを見て『LGBTって本当に居るんだな』という、珍獣扱いするような声を聞いて、私は結局、自分が同性愛者であることに胸を張れないままでいた。スカートを穿いて登校してきた男の子は笑われても堂々としていたが、私には真似できなかった。


 LGBTに配慮するというなら、これからこの無知な彼らにきっちりと教育してくれるのだろうなと学校に対して期待していたのだが、一人の教師が森くんを女の子扱いし、それに対して森くんが「俺は男扱いしてくれて構いませんよ。性自認は男なんで」と返すと「LGBTじゃないなら男子の制服着てきなさい。紛らわしい」と叱ったことで、学校に対する期待は消滅した。教師でさえこれなのかと。好きな制服で登校していいと定めたのは学校側なのに。

 そもそも、LGBTと一括りにする時点で間違っているだろう。L・G・B・Tの4つはそれぞれ独立した別のセクシャリティだ。セクシャルマイノリティの仲間だが、違う特徴があるのだ。

 例えば、カラスも鳩も雀も鳥の一種だが違う生き物だろう。それと同じで、LもGもBもTも、セクシャルマイノリティの一種ではあるがそれぞれ違うのだ。何故それが分からないんだ。何故教える立場がそれを理解していないんだ。

 苛立ちは募るばかりで、口には出せなかった。私が当事者として一から説明してやりたかったが、そんな勇気はなかった。そんな自分が情けなくて、悔しかった。


 ある日のこと。学年代表をしていた鈴木くんがレズビアンだという噂が流れ始めた。


『まぁ確かにあいつレズっぽいしな。男みたいだし』


『けどガチかよ』


『ってことは心が男ってこと?』


 鈴木くんはいつもズボンを穿いていて、高身長で中性的な顔立ちをしているからパッと見男子にしか見えないが、戸籍は女子だ。森くんとは真逆のパターン。しかし、森くんがトランスジェンダーではないように、鈴木くんがトランスジェンダーとは限らない。

 レズビアンとトランスジェンダーは別なのだが、混同する人は多いようだ。私がカミングアウトしたら「レズっぽくないのに意外」とか言われるのだろうかと溜息が漏れた。


 教室は居心地が悪くて、休み時間が終わるまで時間を潰そうとぼんやり歩いていると、噂の彼女を見つけた。名前も知らない同級生が彼女を見て言う『レズの人だ』と。思わずその名前も知らない同級生の男子に「それ、周りが勝手に決めつけてるだけでしょ」と掴みかかってしまう。すると彼は「本人がそう言ってるんだよ」と苦笑いしながら答えた。


「本人が…?」


「そう。本人が自分で言ってる。疑うなら本人に聞いてみなよ」


「…ごめん。カッとなって」


「ははは…びっくりしたよ。殺されるかと思った…」


 彼から悪意は一切感じられなかった。カッとなってしまった自分が恥ずかしくなり、彼を離して彼女に声をかける。


「あ、あの…鈴木くん…さん…」


「ん?なぁに?可愛いお嬢さん。私に何かようかな」


「お、お嬢さん…?」


 同級生からそう呼ばれたのは初めてで戸惑ってしまう。


「えっと…あの…噂って…」


「あぁ、私がレズビアンって噂?本当だよ」


 彼女はあっさりと噂を認めた。それがどうかした?と首を傾げながら。


「…なんで…隠さないの?」


「隠す必要ある?」


「だって…隠さないと…変だって…」


「私は元々変な人間だから今更だよ」


 へらへらと笑いながら彼女は言う。


「…怖くないの?おかしいとか、気持ち悪いとか…エロい…とか…そういう…偏見の目で見られるの…」


「そうだね。怖くないと言えば嘘になるよ」


「なら…どうしてそんなに堂々として居られるの?」


 すると彼女は溜息を吐いてこう答えた。


「黙っていたら異性愛者にされるでしょう?それよりはマシだよ」


 苛立ちがこもった低い声だった。人を殺せそうなほど冷たい視線を向けられ、恐怖で思わず後ずさってしまうと、彼女はハッとして「怖がらせちゃった?ごめんね」と先ほどの殺気が嘘のような人の良さそうな笑顔を浮かべた。その切り替えの速さが逆に不気味で怖くて警戒を解けずにいると、彼女はその不気味な笑顔のままこう続けた。


「それに、隠さなきゃいけないことだとは思いたくないし、私が女性愛者であることなんて別に大したことじゃないでしょう?」


「…大したことじゃ…ない…」


「うん。私の恋愛対象が女性であることで困る人なんて、私を恋愛対象として見てる男性くらいじゃない?彼らにとってはむしろ、あらかじめ恋愛対象外だよって教えておいた方が余計な期待させずに済むでしょう?」


「…」


「さっきは怖がらせちゃってごめんね。…ちょっと、色々あってね。…それで…間違ってたらごめんね。君も私と同じ…というか、似たような感じなんでしょう?」


「!…なんで…」


「私は人の心が読めるんだ」と彼女はニヤリと悪戯っぽく笑って言う.そこにもう不気味さはなく、優しい雰囲気に変わっていた。だけど、まだ警戒は解けない。


「…場所変える?」


 人目を気にするようにきょろきょろして、小声で彼女は言う。そして「私は、自身のセクシャリティをオープンにすることを強制することはしないよ」と優しく微笑んだ。警戒しなくても大丈夫だと、ようやく、本能がそう告げた。


 中庭に移動し、隣り合ってベンチに座る。

 そこで私は初めて人に自分がレズビアンであることをカミングアウトした。「君は一人じゃないよ」と笑って自分を指差す彼女を見て、涙が溢れた。

 私はずっと、孤独な同性愛者だと思っていた。同性愛者を居ない者扱いする世間に苛立っていた。

 だけど「私の周りにはセクシャルマイノリティの人が多いんだ」と、今まで出会ったマイノリティについて語る彼女の話を聞いて、居ない者扱いしていたのは、私もだったんだと気づかされた。

 LGBTについてはもう専門家のような気持ちでいたが、LGBTの四つ以外のセクシャリティについてはほとんど知らなかった。


「私がオープンにしてるのはね、異性愛者だと決めつけられたくないからでもあるんだけど、仲間を集めるためでもあるんだ」


「仲間を集めるため…」


「そう。君みたいに、自分は孤独なマイノリティだって思い込んでしまう人の居場所になりたくて。…というのは建前で、本当は私も寂しいんだよね。だから同じ悩みを持つ人を集めてるんだ。あ、ちなみに私は正確にはレズビアンではないんだけど、まぁ、細かいこと言うとややこしいからレズビアンでいいよ」


 彼女はそう、寂しそうに語る。


「…ところで、今更なんだけど君、何組の何さん?」


 そういえば名乗っていなかったことをようやく思い出す。


「4組の松原咲です」


「松原さんね。私は一組の鈴木海菜すずきうみなです」


「知ってる。有名人だから」


「あははー」


「鈴木くん…さんは…好きな人居るの?」


「鈴木くんでいいよ別に。好きな人は居るよ。そのうち付き合う」


「…そのうち付き合うって…今は?」


「まだ友達。でも絶対落とす」


 目がマジだ。


「…すごい自信」


「あはは。君は?」


「私は…」


 真っ先に浮かんだのはやはり未来さんの顔。彼女がどこの高校に進学したのか私は知らない。


「…中学生の頃に好きな先輩が居たけど…疎遠になってるんだ。どこに進学したかもわからなくて」


 知る方法はあったが、あえて知ろうとしなかった。知ってしまえば彼女を追いかけて、自分の行きたい高校を選べなくなってしまうから。


「そっかぁ。…私の情報網を駆使して探してみてもいいけど、どうする?」


「い、いや…ううん…いい…大丈夫。知ろうと思えば知れるんだ。でも…なんかそれしたら、ストーカーみたいじゃん…」


「あはは…だよねー。…その先輩とは仲良かったの?」


「…うん。卒業してから、好きだって気付いたんだ。他の女の子を好きになったことはあったけど…その子に対しても先輩の影を重ねてるだけだって気づいて…」


「…忘れるには時間かかるよね」


「…鈴木くんはそういう経験あるの?」


「うん。高校入って、好きな人が出来てようやく前の恋から解放されたんだ」


「前の人とは付き合ってたの?」


「ううん。その人には好きな男の子が居たから。両片想いで、見てるとイライラするから背中にドロップキックかまして無理矢理前に進ませてやったの」


「ドロップキックって…」


 爽やかそうな見た目の割には割と表現が暴力的だ。


「あはは。まぁ…恋を忘れるには新しい恋をするのが一番だと思うけど…そう簡単にはいかないよね。私には話を聞くことくらいしか出来ないけど、それでもよければ力になるよ」


「…充分だよ。ありがとう」


「どういたしまして。あ、連絡先交換する?」


「うん」


 こうして私に、初めての仲間ができた。異性愛者のふりをしなくていい居場所ができた。やはりこの学校を選んだのは間違いではなかったようだ。

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