第485話 壊れる者
「..................は?」
ドサリ。ドラちゃんがまるで糸が切れた人形のように、その場に倒れる。
彼女の小柄な身体に突き刺さっていた黒い槍は霧散して、ドラちゃんの胸にぽっかりと丸い穴が空いていた。
血は流れていない。当たり前だ。この子は武具だから。
では、武具は死なないのか?
正確には武具は“死ぬ”ではない――“壊れる”だ。
僕はドラちゃんの方へ駆け寄ろうと起き上がったら、転んでしまった。
左足の感覚が無かった。
見れば、僕の左足は膝から下が無かった。少し離れた所に落ちている。
さっきの黒い槍は一本だけじゃなかった。他にも放たれていて、それが僕の左足を貫いて、千切れて飛んでいったんだ。
それだけのことだ。
僕は這いずりながら、ドラちゃんの下へ向かった。
「ドラちゃん......ドラちゃん......」
すると這いずることも難しいことに気づいた。
右腕が無かったんだ。二の腕の辺りから先が。
左足と同じ有様だ。
でも、ただそれだけのことだ。
「ドラ......ちゃん」
やがてドラちゃんの下へ辿り着いた僕は、左腕だけで少女を抱き寄せる。
ドラちゃんの目は......僕を見ていた。
「ごしゅ......じ............ん」
「ドラちゃんの胸に穴が......し、死んじゃ駄目だ......死んじゃ駄目だッ」
「は、は......しぬんじゃ......なくて......こわれ、だよ......」
ドラちゃんは息が絶え絶えになりながらも呟いた。
そうだ。武具は“死ぬ”じゃない、“壊れる”だ。
僕の脳裏に過るのは、過去のサースヴァティーさんとの会話である。
少し前のギワナ聖国は呪具を封印、もしくは破壊することを名目として、各国から呪具と呼ばれる<三想古代武具>を集めた。
そう、破壊できるのだ。
だから......武具は壊れるんだ。
だから“死”じゃない。
僕は震える手でドラちゃんを強く抱きしめる。
「ご、めん......僕は.........僕の我儘でドラちゃんを戦闘に――」
「ちがう......て............ごしゅじ、んは......おれのために......でしょ」
やがてドラちゃんの胸に空いた穴から光の粒子が漏れ出た。
少女は生物じゃないから血は出ない。でもその光がこのまま流れ出るのはマズいと思って、僕はその穴に手を重ねた。
「駄目だ......駄目だ駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ、こんなの駄目だッ!!」
それでも光の粒子はぽろぽろと僕の指の隙間から溢れ出ては消えていく。彼女から何かが薄れていくように、止め処なく光の粒子は溢れ続けた。
ドラちゃんが僕の頬に手を添えた。
「なんて......かおして、だ......」
「ドラちゃんッ」
僕は叫んだ。ドラちゃんの目端から涙が浮かぶ。それが溢れて、彼女の頬を伝って流れ落ちていく。
「いま......で..........ありがと......おれの....だいす......き、な......」
“ご主人”。
そう言い残して、僕の顔から<パンドラの仮面>が外れて地面に落ちた。
僕が死ぬまで外れることのない仮面だ。
でも僕は死んでない。
ドラちゃんが壊れた。
単純な話だ。
物は壊れたらその役目を終える。発動条件なんて意味を成さない。
そう、意味を成さないんだ。
「......。」
ドクン。
瞬間、僕の中に黒くてぐちゃぐちゃした何かが生まれた。
*****
「いやぁぁぁああ!! 王サマぁぁぁあああ!」
鈴木と闇の<大魔将>の戦場から少し離れた場所にて、ティアの狂気じみた悲鳴が響く。
否、ティアだけではない。
「王、死んじゃ嫌ッ」
「「マスター、パドラン!!」」
マルナガルムとインヨ、ヨウイも同じく悲鳴を上げていた。
その四人が絶叫するのも無理は無い。なにせ自分たちが仕える主人は、腕と足を闇の<大魔将>によって吹っ飛ばされたのだから。
ただ冷静で居られたのは、ヤマトとノルだけだ。
(小僧め、迂闊に出たな。初見の相手に慎重に出ないから手足を持ってかれるんだぞ)
ヤマトはインヨとヨウイが戦場に行けないよう、押さえつけた。
二人が武具化しても今の鈴木では、ろくにインヨたちを振るうことができないだろうと見込んだのだ。
それに何より......。
(このノルという鉄の塊......従者たちだけではないな。吾輩があの場に行くことも許しておらん。神獣たる吾輩に殺気を向けおって......)
が、それでも鈴木が本当にここで死にそうならば、ヤマトは乱入する気でいた。おそらく鈴木を連れて逃げるくらいなら、戦いを避けられると思っているからだ。
ティアが鬼の形相で闇の<大魔将>を睨みつける。
「殺すッ! あいつ、絶対に殺すッ!!」
『ガルアァァァァアア!!!』
ティアだけではない、マルナガルムも巨狼へと姿を変え、臨戦態勢に入った。
主人を傷つけられたとあっては黙っていられない従者たちだ。
が、それを止める者が二人の前に立ち塞がる。
「シュコー。行かせぬ」
「ノルッ! そこを退けッ!」
『ノルも食うよ!!』
頭に血が上ったティアとマルナガルムの殺気に当てられても、ノルに動じる様子は無かった。
ノルはどこから取り出したのか、大剣を前に突き立てて、ティアとマルナガルムに告げる。
「ならぬ。オウを見定める」
「あんたなんかに付き合ってられないって言ってんの! さっさと退かないとぺしゃんこに――」
「オウはまだ力を示していないッ!!」
「っ?!」
ノルがいつになく声を張り上げ、その気迫をティアたちにぶつけた。
ティアは肌がぴりぴりと強張る感覚を覚え、マルナガルムは全身の毛を逆立てた。
ノルは続ける。
「シュコー。この戦いは互いに闇を統べる者として力をぶつけ合う戦いだ。我らがオウは<大魔将>如きに負けぬ。負ければオウではない」
「そんなことッ――」
「たしかにあの少年は先代よりも多くの力を有しているかもしれない。が、何かを叶える力が今のオウには無い」
「っ......」
ティアは言い返せなかった。
たしかに鈴木は強い。他の人間と比べても、きっとあそこまで強力な個体はそういないだろう。
ただそれらの力はどれもが中途半端であった。
どれも圧倒的な力を有しているが、鈴木は何も極めていない。
故に“闇”という一点にのみ特化した闇の<大魔将>に押し切られてしまう。
得意な近距離戦も抑え込まれ、荒削りな遠距離攻撃を成す術もなく防がれ、数多くのスキルと武具による戦法も尽く崩される。
良くて初見のみ通じるゴリ押し。二度は通じない。相手の不意を突いて結果を得るのが、鈴木のやり方だからだ。
果たしてそれは......自分たちが仕える“王”の在り方として適しているのだろうか。
ティアはそれをよく理解していた。
「シュコー。先代が口癖のように言っていた。『“弱い”は罪。“強い”は正義』と。我々はそう教えられてきた」
故にノルだけではなく、ティアもマルナガルムも動けない。踏み出すことができない。
ノルは背を向け、再び鈴木を見やり、静かに告げる。
「ただ......」
「「?」」
ノルの続く言葉にティアとマルナガルムが耳を傾けた、その時だ。
刹那、戦場が禍々しい何かに塗り替えられる。
元々、闇の<大魔将>によって常闇の間と化した空間が、別の何かで塗り潰されたのだ。
その色は変わらず“黒”。何ものにも染まらない、光届かぬ、底の見えない深い深い暗闇。
それに抱く感情は“恐怖”。心がある限り、己が弱さを抱く限り、死ぬまで付き纏う負の感情。
その姿は“人”。この世に最も多く存在し、互いに助け合い、文化を創り、社会を造り、また――“王”を作った憐れな生き物。
王の定義は数知れず。またあらゆる種族の頂点に存在していた。
しかし共通して覆らないことが一つだけあった。
王とは唯一無二の存在であり、絶対である。
それだけだ。
ノルは続く言葉を紡ぐ。
「今代のオウは......悍ましいな」
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