第444話 三日会わざれば刮目せよ

 「そろそろ作戦開始ですね」


 『ああ』


 王都内で一番高い建造物である時計塔の最上部にて、姉者は陽の光に照らされている眼下の景色を見下ろしていた。


 ここは周りに風を遮る建物が無いからか、姉者の銀糸のような髪は絶え間なく靡いている。


 眼下の王都はどこもかしこもお祭り騒ぎであった。なにせ死んだはずの第一王女アウロディーテが生きていたのだから、国民の誰もがその朗報に歓喜していたのだ。


 そしてそのアウロディーテのご尊顔を拝もうと、多くの民は王城へ向かっていた。王城ではそんな民衆に向けて、アウロディーテの姿を見せるという演説の場が設けられている。


 無論、その場に立つアウロディーテは偽物で、正体はルホスが【固有錬成:異形投影】で化けたものだ。


 また言うまでもなく、全ての国民がアウロディーテと直接会える訳では無い。アウロディーテが姿を見せる時間も短いため、満足のいく結果は得られないだろう。


 だがそれでも、そこから噂は瞬く間に広がっていく。


 本当にアウロディーテが生きていた、と多くの者に知れ渡る。


 そしてそれは――アウロディーテに呪いをかけた者にも知らされる情報だ。


 「この王都のどこかに術者が居る......」


 『リラックスしろよ。肩に力が入り過ぎてんぜ』


 「......すみません」


 アウロディーテに呪いをかけた術者が王都に居る確証は無い。そのためにこの作戦は決行された。


 呪いの術者は、自身が失った力を未だに取り戻せていないことから、アウロディーテが死んでいないことを知っている。


 呪いに苛まれているアウロディーテが、醜く変わり果てたアウロディーテが、民衆の面前に立てるなどと思っていないはずだ。


 故に今回の騒動で確かめるはずである。


 なぜアウロディーテが人前に立つことができるのか、を。


 自分がかけた呪いはどうなったのか、を。


 そして――再び第一王女を如何にして壊そうか、と。


 アウロディーテの地獄のような苦しみの一切を引き受けた鈴木の気も知らずに、その黒幕の正体が暴かれるのだ。


 「吾輩、そろそろ派手に暴れてもいい?」


 静かに怒りを募らせていた魔族姉妹を他所に、同じく時計塔最上部に居た者が口を開いた。


 その者は艶のある褐色肌が目立つ美女であった。


 女が纏うのは黒を基調としたタイトドレスで、黄金色の蝶が舞う絵柄が特徴的だった。豊満な乳房はこれでもかというほど谷間を見せつけており、思わず目を奪われてしまう程の美貌の持ち主である。


 時折見える八重歯や切れ長の目はどこか肉食的で、気の強さも感じられるほど荒々しい。声音は妙齢のもので、涼しさを感じる魅了さえあった。


 姉者の隣に並び立つその者は......人の姿に化けた神獣ヤマトであった。


 ヤマトを横目に、姉者は言葉を返す。


 「はい。私も行動します。タイミング的にも、第一王女に化けたルホスちゃんが演説している今がベストでしょうし」


 「よし!」


 「あ、くれぐれも人的被害は――」


 「わかっておる!!」


 そう言って、ヤマトは意気揚々と時計塔を立ち去った。


 翼など有していないのに、軽やかに宙に浮いて移動するヤマトを見て、姉者は何らかの魔法を使って自身を浮かしているのだと察した。


 そんなヤマトを見送った姉者は、近くの柱に背を預けて気を失っている鈴木の下へ向かった。


 鈴木は呪いにかかってから相変わらず苦しそうに呻いている。左腕から絶え間なく流れ落ちる血は、包帯を巻いただけでは意味が無かった。


 「......鈴木さん、今、楽にしてあげますね」


 姉者は右の手のひらにある口から妹者の核を取り出して、鈴木の口の中に押し込むようにして入れた。


 鈴木がそれを飲み込んだことを確認してから、姉者は再び歩を進める。


 そして姉者はゆっくりと両手を広げた、その時だ。


 第一王女の存命を盛大に祝う王都が―――


 「保って三十秒と言ったところでしょうか......【固有錬成】――」


 途端、王都上空に数多の円環術式が一定間隔で構築された。


 その色は漆黒で、何人たりとも解することを許さないほど複雑だ。


 それらの陣が口を開くようにして、あるものを一斉に吐き出す。


 「――【鉄鎖生成】」


 突如、それは雨の如く王都に降り注いだ。


 降り注いだのは――鉄鎖だ。


 まるで錨を打ち込むように放たれた鉄鎖は、王都に居る人々に混乱と恐怖を与えたが、誰も傷つけることはなかった。


 そんな自身の前に次々と降り注ぐ鉄鎖を目の当たりにした者たちは、皆一様に驚愕の声を上げた。


 「きゃぁぁぁあああ!」


 「な、なんだこれ?! 空からなんか降ってきたぞ!」


 「く、鎖? 鎖が降ってきたっていうのか?!」


 王都各地から聞こえる人々の混乱と悲鳴は、時計塔に居る姉者にまで届いた。


 しかし姉者はそんな声を気にすることもなく続ける、その時だ。


 「ぶわーはっはっはっはっは!! 人間ども! 吾輩は今からこの町を滅ぼすぞぉぉおお!!」


 神獣ヤマトの大音声が聞こえてきたのは。


 人化したヤマトは天高く突き上げた片腕に、巨大な魔法陣を展開して、そこから稲光の如く眩い光を放ち始めていた。


 派手さに特化しているとはいえ、仮にその魔法陣が発動してしまったら、眼下の王都一角など消し炭と化すことだろう。


 (あの虎......本当に手加減するつもりあるんでしょうね。私の代わりに目立ってくれるのは助かりますが)


 そんな姉者の心配は、妹者の一言で切り替わる。


 『姉者! そろそろやるぞ!!』


 「はい!」


 鈴木の中に戻った妹者は、右腕を自在に動かすことができた。すぐさま【双炎刃】を生成して、一対の双剣のうち一振りを鈴木の胸の前に置く。


 その先端は鈴木の心臓を的確に狙っていた。


 『鈴木! あーしは今からお前を殺す! 殺して呪いを解いてやっから、ちゃんと戻ってこいよ!!』


 そんな妹者の懇願は、果たして鈴木に届いているのだろうか。


 そして――遂にその時は来た。


 鈴木の胸に【双炎刃】を突き刺したと同時に、妹者が叫ぶ。


 『姉者ぁ!!』


 「いきます!」


 妹者の合図を受けて、姉者が【探知魔法】を発動する。


 それは時計塔に居る姉者から発せられるのではなく、王都中に張り巡らせた鉄鎖全てから連鎖するようにして発動していった。


 この作戦は、姉者が王都各地で鉄鎖を通して【探知魔法】を発動させ、その探知範囲を拡大させるという大胆極まり無い作戦だったのだ。


 またこの作戦は呪いの特性を利用することで成り立っていた。


 一般的に、呪いはかけた者に解かせるか、殺すか、で解呪される。


 そして解呪と同時に、術者には呪いをかけた分の力が戻ってくる。


 その魔力の流れを、姉者が王都各地で展開した【探知魔法】で辿るつもりであった。


 が、王都各地に魔法を並列して展開することは、同時に各所から情報を集めることを意味し、姉者に膨大な負荷がかかっていた。


 「ッ......」


 『姉者!!』


 姉者が吐血する。耳や鼻から血を流し始める。


 自身の肉体を取り戻したとは言え、まだ本調子とは言い難い姉者にとっては、負担が大きかったのだ。


 それでも、


 「弟が命張ったんです! 私だって!!」


 姉者は諦めなかった。


 やがてその時は―――遂に来た。


 「ッ!! 見つけた!!」


 姉者はその者を捉えた。


 鈴木を殺したと同時に、圧倒的なまでに膨れ上がった禍々しい魔力が、術者の在り処を示す。


 姉者に――特定される。


 姉者は血を吐きながら、大声を出した。


 「南西!! 噴水のある広間付近の路地裏に、術者が居ますッ!!」


 姉者のその声は、王都に張り巡る鉄鎖を通して、この国に居る全員に聞き届けられた。


 住民にも、巡回する騎士にも、王城に居る者たちにも――誰彼かまわず聞き届けられる、姉者の必死な訴えであった。


 無論、その声は――。


 「そこか」


 ――赤髪の女騎士にも届いていた。


 「絶対に逃さねぇぞ、クソ野郎」


 ――巨漢の騎士にも届いていた。


 また、


 「ひひッ。まさか私をはめるための罠だったとは」


 術者本人にも届いていた。


 故にこの作戦は、術者を如何に早く捕まえられるか、逃げ切られるかの瀬戸際にあった。


 「あとは......おねが............しま、す」


 そして役目を果たした姉者は、力尽きてその場に倒れそうになったが、その身を何者かによって支えられた。


 その者は黒目で冴えない見た目の――の少年だった。


 姉者とは違い、銀糸のような美しさはなかったが、陽の光に照らされて光り輝いていた。


 姉者は薄れゆく意識の中、霞む視界にその少年を映して、安堵の声を漏らす。


 「おかえり......なさい............鈴木さん」


 その少年は――鈴木は笑みを浮かべた。


 「うん、ただいま。......さ、ここから逆転するよ」

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