第440話 微かな希望と、確かな怒りと

 「ぐ......」


 「スズキさん......」


 ここ、アーレス邸のとある一室で、鈴木は借りている部屋に居た。


 鈴木がアウロディーテから呪いを引き受けて数日が経った。呪いの凄まじさは、鈴木の表情がその苦しみが和らぐことはないと語っていた。


 アウロディーテの時のような全身が黒ずんだ紫色の肌となり、人の原形を止めていない肉塊へと変わっては居ないが、それは左腕という一箇所に集約されただけであって、何も改善はされていなかった。


 故に一刻も早く、苦しみから鈴木を救うことが好ましかった。


 そんな鈴木の傍らには、アウロディーテが居る。


 母や妹と同じく、白緑色の美しい髪を後ろに流した女は、先程から......否、かなり長い間、鈴木の手を握っていた。


 やはりアテラの姉というべきか、その容姿は妹よりも大人びており、呪いから解放された今となっては、世の男性の目を引く魅力があった。


 アウロディーテは青鈍色の瞳で鈴木をじっと見つめて、幾度となく涙を流した。


 自分の代わりに、呪いを引き受けた鈴木を見ていると心苦しくなり、また愛しく思っていたのだ。


 そんなアウロディーテに突き放すような口調で話しかける者が居た。


 『おい、さっきからうるせぇぞ。ご主人に纏わりつくな』


 ドラちゃんである。


 実は、あのままアウロディーテが王城に居ては、いつ、どこで、誰に姿を見られるかわからなかったため、一時的にアーレス邸で匿われていたのだ。


 無論、護衛としてアーレスが一日中側に居るため、最低限の安全は確保されている。


 当初、その事実を聞かされたアーレスとタフティスは驚愕を隠せないでいたが、極秘でグラシンバ国王とルウリ王妃から勅命を受けたことにより、<三王核ハーツ>の二人が動き出すことになったのだ。


 ちなみにアーレスはリビングで


 曰く、鈴木が起きたら美味いものを食わしてやる、とのこと。


 ザックがそんな上司を知ったら卒倒しそうなくらい、色々と信じられない言動だった。


 言うまでもなく、その料理はキッチンを破壊しているため、度々ウズメたちが止めに入っている。


 護衛とは、そんな疑問がロリっ子どもの胸中に留まっていた。


 アウロディーテは鈴木がかけている鈍色の眼鏡を見つめた。


 「ドラちゃんさん」


 『気安くドラちゃん呼びすんな』


 「ドラさん」


 『ちッ』


 「スズキさんはなぜ大して関わりのない私にここまで尽くしてくれたのでしょうか?」


 その問いは、アウロディーテが今まで聞こうとして聞かなかった問いだ。


 きっとあの絶望が渦巻く暗闇の中で、自身に手を差し伸ばしてきたのはこの少年なんだと、アウロディーテは確信していた。


 『ご主人はそういう奴なんだ。納得しろ』


 「......とてもお人好しなのですね、この方は」


 『..................まぁ、うん。そんな感じ』


 ドラちゃんは少なからず、自身が仕えている契約者の人となりを知っているため、上手い返事が思い浮かばなかった。


 自称美少女限定ヒーローのツケが返ってきた瞬間であった。


 こうした日々を繰り返していくうちに、特にすることもないアウロディーテは鈴木を付きっきりで看ていたのである。


 「ああ、そろそろ汗を拭わないと......」


 「「ぺろぺろ」」


 『いいって、そんなことしなくても』


 「いえ、せめてこれだけでもさせてください」


 「「ぺろぺろ」」


 「......ちなみに先程からお布団の中から何やら瑞々しい音が聞こえてくるのですが」


 『......ちょっと布団取ってみろ』


 アウロディーテはパドランの指示に従い、鈴木にかけていた掛け布団をバサッと捲った。


 「『っ?!』」


 「「あ」」


 鈴木しか寝ていないはずのベッドの上には、インヨとヨウイが鈴木をはだけさせて、その肌を舐めていたのだ。


 まるで樹液を貪る虫の如く、少女たちは四肢を鈴木に絡めて、執拗に汗を舐め取っている所だった。


 アウロディーテは顔を赤くしながら声を荒らげる。


 「な、何をしてるのですか?!」


 「「マスターの汗を拭き取ってます」」


 『舐めてんだろ!! なんて羨ましいことしてんだごらぁ!!』


 「ちょ、ドラちゃんさん!!」


 ロリっ子三人と王女の騒がしい声で、部屋は賑やかだった。


 しかしそれでも、時折、鈴木の口から漏れ出る呻き声を聞いては、女性陣は静かになった。


 「「マスター......」」


 『ご主人......』


 「早く......一刻も早く、スズキさんを苦しみから解放しなければ......」


 そう、少女たちは鈴木の身を案じるのであった。



 *****



 『姉者、まだ準備するには早ぇーぞ』


 ここ、王都の中で、王城を除けば一番高い建造物、時計塔の最上部に姉者は腰掛けていた。


 この塔は一日のうち決まった時間に鐘を鳴らすためにある場所だ。


 その時計塔から、王都の夜景を見下ろす魔族が一人居る。


 姉者だ。


 容姿は人間のそれと変わらないが、それでも眼下の夜景では及ばない美貌の持ち主でもあった。


 「......わかってます」


 『ったく、鈴木が心配なら近くに居りゃあいーだろ』


 「そういうあなたこそ、私について来ないで、鈴木さんの側に居たらよかったじゃないですか」


 『いーんだよ、今は』


 ちなみに姉者の右手には妹者の口がある。


 実は鈴木以外にも寄生先を移せるのだ。無論、それは姉者という既に肉体の情報を熟知している妹者だからこそ、こうして寄生先を移しても問題無く活動できるわけだが。


 ただ言うまでもなく、妹者が姉者の身体に移ったということは、鈴木はただの人間になったということになる。


 故に一度でも死んでしまえば、鈴木は生き返ることができないのだ。


 尤も、アーレスの家で大人しくしている現状だからこそ、こうして妹者は姉者についていくことができたのだが。


 姉者は静かに語った。


 「はぁ。今の鈴木さんを見ていられなくて......」


 『鈴木が望んだことだ。あーしらも納得した。気負うことは何もねぇー』


 「それはそうですけど......」


 『だぁー! うじうじすんな! あーしだってちっとは後悔してんよ! 同じ身体使ってるのに、苦しんでるのは鈴木だけだからな!! あたしも同じくらい苦しんでやりたかったよ!!』


 「............マゾですか?」 


 『ぶっ飛ばすぞ!!』


 妹とそんなやり取りをしたからか、姉者は肩の力を抜いて、クスッと微笑んだ。


 「私の弟が身体張って頑張ってるんです。絶対に犯人を捕まえてみせます」


 『おうよ!』


 そう、魔族の姉妹たちは固く決意するのであった。

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