第84話 自分の心が壊れていく感覚を味わった

 なんて声をかけようか。

 目の前にいるのは奈々なな本人。それは間違いない。

 普段は絶対に身に付けないような煽情的な赤紫のパンティに、上は前空きスケスケのベビードール。

 始めて見た彼女の乳房は想像していたよりずっと大きく……そして素晴らしい形であった。


「最初の日に帰ったよね? どうしてまだこっちの世界にいるの?」


 唇に指を充てる仕草。彼女の癖。いつもは子供っぽい仕草だが、今の妖艶さを漂わせた彼女がすると全く違った雰囲気になる。


「あ。ああ。その事でな。話せば長くなるんだが――」


「じゃあ帰ってくれない? 私、これから忙しいの」


 ――完全に想定外の言葉だった。

 いや、何と言うか全部想定外だ。どうしてこうなっている?


「いや、それどころじゃないんだ。聞いてくれ、奈々なな。この世界は、俺達が最初に説明を受けたような世界じゃなかったんだ。もっととんでもない所だったんだよ。とにかく一緒に行こう。話はその後でも大丈夫だ」


「聞こえなかったの? 私はこれから忙しいの。これからお互いの意識が飛んじゃうまで、ごう様と愛し合うの。何度も何度もね」


 そう、うっとりとした目でいう彼女の左手の小指には、見た事もない美しい指輪が嵌っていた。

 ごう……どこかで聞いた事がある気はするが、今は関係ない。

 というか”様”? 頭でも打ったのか?


「何を言っているのか分からないな。いいから行くぞ」


 一歩踏み出そうとするが、体が動かない。奈々ななに近づく事に対して、無意識に体が拒否している。どういう事なんだ。


「その指輪、どうしたんだ」


 代わりに、何とも場違いな質問が口から出た。

 我ながら情けない。


「これは隷属の指輪。これを付けていると、身も心も所有者のごう様の物になるんだよ」


 なんだ、なら話が早い。


「そんなものを付けられたのか。なら簡単だ、俺が外してやる」


「あはっ。あははははは。敬一けいいち君は変わらないね。ちょっと聞いただけで、もう全部分かったような気になっちゃう」


「俺が何か間違っているか?」


 自分でも気が付かないうちに、握った拳から血が滴り落ちていた。


「これは自分で付けたの。自分で付けないと意味無いの。そしてごう様も私の指輪を付けているわ。こうして互いが互いに隷属して、初めて効果が出るのよ。取るなんてとんでもないわ。これは私たちが選んだの」


 恋人を見るような……いや、それよりも心の底から崇拝する目で指輪を見る奈々ななの瞳は、今まで見た事のないものだった。

 ショックが大きすぎて、もう何をしにここに来たかもはっきりとしない。頭が痛い。吐きそうだ。


「……どうして、そんな事になったんだ?」


 絞り出すように、それだけ言うのが精一杯だった。


「その様子だと、敬一けいいち君は知らないのかな? もしかして、まだ童貞?」


 くすくすと笑う奈々ななに、何も言う事が出来ない。それを肯定と受け取ったのか、奈々ななは言葉を続けた。


「この世界だとね、私達は絶対に妊娠しないし、誰かを妊娠させることも出来ないんだよ。世界の法則が異なっているから、そうなるんだって」


「そんな理由で、その剛ってやつに抱かれたのか?」


「昔敬一けいいち君が話していたのを覚えているかな。一部の類人猿は、争いが起こると交尾して鎮めるんだって。確かゴルゴだったかな?」


「ボノボだな……」


「そうだっけ? ふふ。迷宮探索はね、思ったような簡単な話じゃなかったの。怖い事も沢山あって、チームの争いも日常茶飯事だったのよ」


「それで――」


「お姉ちゃんなんてね、初めての日に6人も相手したんだよ。凄いよねー」


 感心したように、楽しそうに話す奈々ななを見て、そして瑞樹みずき先輩の話を聞いて、俺の心の琴線が音を立てて切れた。

 もうダメだ、吐く。

 だけど抑える。気持ちを外す。そんな事をしている暇なんて無いんだ。

 でも外れない。奈々ななたちへの想いだけは外せない。歯を食いしばり、涙をこらえる。


「それでお前も、みんなとしたのか?」


 それだけの言葉を口にするだけで、一生分の精神を擦り減らしたような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る