グラナイト
@amane_katagiri
喫茶店で (1)
「で、今日こうやって私が紹介して、それでミカが買ってくれたら私に十パーセントの配当があるから――」
セントラルラインに乗ってわざわざ二時間かけてやってきた喫茶店で、私はなぜかマルチ商法の勧誘を受けていた。十パーセントの配当がもらえるから、何人に売れば回収できて、半年もすれば何百万円になるから……どこかで聞いたような話ばかり。
今日は全てがおかしい。数年ぶりに旧友に呼び出されていることも、私がそれに応えてここまで来てしまったことも。そのせいでおかしな儲け話に巻き込まれそうになっていることも。
そして、目の前の旧友が綺麗になっていることも。
アルバムで見慣れていたはずの彼女の顔は、まるで人が変わってしまったようにさっぱりと垢抜けている。その表情は都会じみた空気をまとっているものの、悪く言えば個性がなくなっていた。
ふと目線を落とすと、茶色い合成木の四角いテーブルに置かれたタブレットが延々と動画を流し続けている。妙なパースの3Dグラフや資金繰りを示す折れ線が、大きく広がったり上に伸びたりしているのを見ていると、視界がぐにゃりと歪む気がした。
「最近のオススメはこっちかな。サプリメントも悪くないんだけど、使用期限がないから廃棄が少なくて――」
そうやって商品を説明する声も、あの頃の気弱な彼女とは全く違う。本当に儲かると言わんばかりの自信に満ちたその声は、やはり同じ人とは思えないほど変わっていた。まるでスピーカーから流しているように安定した声は妙に明るくて、聞いているだけで私たちの温度差がぐんぐん広がっていくように思えた。
でも、上野でリニアを降りて地下深くからエスカレーターで改札まで上がる間、楽しそうに話す彼女はやはり昔と変わらなかった。私が先に入った一人用のパラキンにわざわざ乗り込んできた彼女は、確かに懐かしい空気をまとっていた。
【パラキン: エスカレーターのステップに取り付けられた昇降用のかごを指す。】
そうだとしたら、私は何をもって彼女を彼女だと思ったのだろう。どうしてあの日の彼女を懐かしんだのだろう。
「どう? 悪い話じゃないと思うんだけど」
そう言いながら、マミはオフホワイトのトートバッグから分厚いパンフレットを取り出して机に置いた。
胡散くさい笑顔で手を取り合う男女の写真が刷られた表紙には、儲かるだとか確実だとか根拠のない自信が(おそらく法律に抵触しない範囲で)散りばめられている。
「ちょっと待ちなさいよ」
その表紙をひったくるように裏返すと、マミの困惑した視線が私に突き刺さった。
「マミ、今日の話ってこれのことなの?」
「うん。でもこれだけじゃないよ。他にもいろいろ話したくて、だから呼んだの」
他に用事があったって、このネットワークビジネスのために呼んだのなら意味がない。私が聞いているのは、何の目的で呼ばれたのかってことだ。
「えーと、あのねぇ……」
要領を得ない彼女の発言に、私は思わず額に手を当ててしまう。マミもいらいらした時の私のくせは覚えていたらしく、パンフレットをバッグにしまってから取り繕うように笑った。
「でも、リニアってすごいよね。すぐ会えるんだもん」
「そうね。超電導って本当に素敵な技術だわ。今すぐにでも帰ってみんなにも教えてあげたいくらい」
新型の超電導リニア特急がソーラーパネル畑の間を駆け抜けていく様子はそれなりに爽快だったし、あんな田舎からすぐに東京まで出られるのだって、確かに素晴らしいことなんだと思う。
でも、こんなことになると知っていたら来なかったのに。的外れな期待をした私がバカみたいだ。
「私を騙したの?」
「騙してないよ。話があるから来てって言っただけ」
確かに、マミは私に会う目的を告げなかった。言いにくいことなのかもしれないと、直接話さなきゃいけないことでもあるのだろうと、深読みして勝手に盛り上がっていたのは私の方だ。
だから、私が勝手に勘違いしていただけ。そうなのかもしれない。でも、そんなのただの言い訳だ。
「ミカ?」
マミは困った表情に曖昧な笑顔を混ぜて「ごめんね?」と、理解しているのかしていないのかよく分からない様子で私の顔を覗き込んだ。
「まぁ、いいわ」
溜息を吐く。冷静に考えれば、マミが私を騙そうとするわけなんてない。彼女だってそのうちおかしなビジネスに巻き込まれていたと気付くだろう。
それに、今さら怒ってもどうしようもないし、言った言わないの水掛け論でマミを困らせたいわけでもなかった。もう私に契約するつもりがないことはマミだって分かっているだろうから、後は話を合わせて適当なところで帰ればいい。
氷が解けて薄くなったカフェラテを、カップの角からゆっくり飲み干してテーブルに置く。落ち着いたら、さっきまで意識の外にいた目の前の奇妙な料理のことが気になり始めた。
「で、これって何のお肉なの?」
メニューに「ステーキ」とだけ書かれていたこの料理は、色や形こそ焼かれた厚切りの牛肉に見えるけど、レアもウェルダンもない噛み心地と、溢れる消毒液のような香りはまともな食べ物とは思えない。
とっても美味しくないんだけど、と小声で告げると、マミは意外そうな顔をする。同じ料理を頼んだ彼女がそんな顔をするなんて、きっと舌でも手術したんだろうと思うくらい、例えるならカルキ漬けの肉というのにふさわしい味だった。
「なんだろうね? 認証は通ってるみたいだし、ただの合成肉だと思うけど」
そう言ってから、マミはまた「ステーキ」を一切れ頬張った。もぐもぐ、ごくん。そして、別に美味しいけどなーと首を傾げる。ふざけているつもりはなさそうだ。私が口に手を当てて驚くのさえ、彼女には不思議らしい。
メニューを見ると、店名や営業時間の情報と共に正方形のシールが貼られている。マミの言う「認証」というのはこれのことだろうか。その横に印刷されたハラール認証のマークは知っているけど、フラスコの中に歯車を置いた金色のロゴに「A7相当」と記されたマークは見たこともなかった。
「口に合わなかったら自然肉にする? 言ったら変えてくれると思うよ」
そういって「すいませーん!」とウェイターを呼ぶマミを慌てて止める。私には「国産自然肉ハンバーグ」の代金を払えるほどの持ち合わせはなかった。また妙なお肉が出てきても困るし。
ため息をつく。マミってこんなに強引なやつだったっけ。
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