二つの家族
たかしま りえ
第1話 緊急事態宣言①
緊急事態宣言が発表されると、宗平は栃木と東京との行き来が難しくなった。令和二年一月中旬になり、日本でも感染者が出たとのニュースが飛び交っても、全く自分事とは思えなかったのだが、さすがに3月に入り専門家たちがワイドショーで檄を飛ばしているのを見るにつけ、自分はウィルスには強いと豪語していた妻の聡子も慎重になっていた。
「しばらくは東京には行かないでよね」
聡子が宗平の身体を心配して東京行きを反対しているのではなく、栃木に感染を持ち込むことを恐れての発言であることは明らかだった。
「わかっている」
少しだけ不快な表情を作って言ったつもりだが、聡子が気付く様子は微塵もなかった。
「仕事は大丈夫なの?」
「ああ、パソコンがあれば問題ないから」
「だったら、もう東京には行かなくてもいいのね」
「そんなこともないけれど・・・」
聡子の言うと通り東京に行く必要はもうすでになくなっていた。
大学時代から親友の君島玄太が起業した会社を手伝い始めたのは三十歳の時だった。あれから十五年が経つ。携帯電話のiモードに着目した君島の先見性は正しく、スマートフォンに進化した今となってはアプリの需要はますます高まっていた。
宗平が提案したアプリが最後にヒットしたのはもう十年以上前のことだった。創業メンバーである宗平は、代表取締役社長である玄太の親友ということで、会社にまだ席があるにはあるのだが、役員会議に出席はしても発言する機会も意欲もすでに失っていた。
別段、農家が嫌で東京で仕事をしているわけではなかった。そもそも農家といっても父親の代からすでに兼業農家だった。その父親が病に倒れ自分が稼ぎ頭となり、農家だけでは立ち行かなくなると判断した宗平は、君島の誘いに乗ったのだった。
本当なら農業だけで勝負をしたいと思っていた。近隣の土地を買収し、珍しい野菜を育てて出荷する道を模索してもいた。あの時、君島の誘いを断っていたらどうなったであろうかと、ふと考えてみるのだが、昨今の自然災害を目の当たりにすると、あの時の決断は間違っていなかったと確信するのも事実であった。
「仕事部屋に行ってくる」
そう聡子に告げて宗平は家を出た。仕事部屋とは自宅から歩いて数分のところに建てた会社名義の一戸建てだった。税金対策のようなもので福利厚生の一環で従業員が利用する目的で建てられたログハウス風の建物で、この辺りでは目立つ存在だった。一階には吹き抜けのリビングがありその奥の一室を仕事部屋として宗平は使用していた。二階にはベッドルームが三部屋あったが、会社の人間でここを使用する者は今では皆無だった。結局は宗平が管理をすることとなり、時々一人の時間を堪能するだけの家になっていた。
今日は午前十時から定例の役員会議のはずだった。リモートで参加する方法もあるが、そこまでする価値が自分にないことは、宗平が一番わかっている。会議に参加をしなくても誰も何も言ってこないことがその証だった。
仕事部屋に入りパソコンを起動させる。仕事はもとよりネットサーフィンすらする気になれなかった。最近文字を読むのも億劫で思考すら停止しているような状態だった。これがうつ症状というやつなのかもしれない。宗平は君島が買ったアーロンチェアの背もたれに身体を預け静かに目を閉じた。
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