君と僕の冷却期間

しんじょー

第1話

幸せな夢を見ている。

なじみ深い近所の風景と目の前を駆ける少女の背格好から判ずるに、恐らく小学生の頃の思い出だろう。


満開の向日葵のような笑顔を浮かべる幼馴染。楽しそうに、くるりくるりとバレエでも踊るかのように軽やかにステップを踏んで、暖かな夕日が照らす河川敷を歩いている。


きらきらと赤く揺らめく河川に、現実と虚実を織り交ぜたような茜色の光景。


世界を構成する全てが、キミを飾り立てる為だけに存在しているように見えた。


後ろから着いて歩く僕には、その光景があまりに美しく幻想的で、思わず立ち止まってしまったんだ。まるでこの世のものとは思えないほどの輝き。絵画や彫刻に関する造詣は無に等しいけれど、そんな僕でもこの風景を永遠のものにしたいと願ってしまう。この瞬間、絵を習い始めようかなと独り言ちる程度に、キミはいっそ冒涜的なまでに魅力的だった。


キミは僕が口を半開きにして呆けていることに気付いたのか、こちらの方にゆっくりと歩み寄ってくる。一歩一歩着実に距離を詰めてくる顔には悪戯を思いついた子どもみたいな愛嬌があった。


「ねえ、透」


キミは腰の後ろで両手を組んで、ほんの少し上体を傾けた。何とも愛らしい姿勢になった彼女は、腰まで伸びた濡れ羽色の髪を振り乱してこう言うのだ。


「私たち、いつになったら結婚するんだろうね」


さも遠くない未来の確定事項であるかのように語るキミに、僕は顔を赤らめた。心臓が痛くなるほど鼓動を鳴らし、全身が真っ赤なタコみたいに茹で上がる。


でも、僕はそれが恥であるとは露ほども思わなかった。


キミは、誰もが見惚れるであろう綺麗な笑みを浮かべていたのだから。


スッと通った鼻梁に、知性と優しさを感じさせる淡い漆色の瞳。神さまが組み立てたのではないかという与太話でさえ納得してしまいそうな黄金比の顔立ち。顔だけではない、そこらの女性ならば並び立ちたくないと叫びだすほどに荒れやくすみとは縁遠い絹のような肌。日ごろの綿密な習慣が生んだ、小学生というには不相応な細く長い手足にきゅっと引き締まったウエスト。夕日で象られるキミの陰でさえ、人としての理想の姿をしていた。


世界で一番美しい女性はモナ・リザだって言うけれど、少なくとも僕にとっては、キミこそが美の女神だった。


ふわりと細められた相貌が僕の方へと近づいてくる。思わず一歩下がってしまうけれど、キミは二歩分詰めてきた。


「ねえ、答えて?」


吐いた息が直接肌に感じられるほどの距離。キミと僕の吐息が絡み合って、なんだか変な気分になりそうだった。口よ動け、動け、と念ずれど体は完全に硬直してしまっている。あわあわと口の形状が変わるのみだ。


キミはそれを予想していたかのようにアハハ、と可愛らしく笑って駆けだしてしまった。


僕はそれに手を伸ばそうとしてーーーーー




目が覚めた。


心地よい漆色の視界に一筋の紅い線が描かれたことにより、まるで水中から引き上げられるように意識がゆっくりと浮上してくる。


「……んー」


断腸の思いでもぞもぞと体を動かして、生気の無いゾンビを思わせる唸り声をあげながらも気合で身体を起こす。カーテンの隙間からは朝日が射し込んでいた。

 

机上に立てかけてある時計に視線を滑らせると、時針は朝の七時を示している。朝食の時間には間に合ったようだ。過ごしやすい春の気候に当てられてか、窓辺に巣食う野鳥たちの鳴き声がやけに大きく響いている。


こうして日光を一身に浴びながらレムレムするのも中々に魅力的な提案なのだけれど、生憎そうもいかないのが実情だ。


布団への未練を振りきるように一度頭を大きく振り、歩き始める。寝室を後にしてリビングの扉を開けると味噌の蠱惑的な香りが鼻腔をくすぐった。匂いの根源を辿ると、自然と朝ごはんを調理している少女の姿が映る。

僕の足音に気が付いたのか、少女は流麗な相貌をふわりとやわらげた。


「おはようとおる。もうすぐ出来るから座ってていいよ」


「おはようみやび、いや、先に食器洗っちゃうから気にしないで」


雅は目をぱちくりとさせると、柔らかに「ありがとう」と微笑みを溢した。こちらが朝ごはんを作ってもらっている立場なのだからお礼を言う筋合いなどないと思うのだけれど、こういった丁寧な礼儀も彼女の魅力の一つだ。「こちらこそ、今日はありがとう。雅の料理は毎日食べたいくらい美味しいから楽しみだよ」と感謝を伝えながら、炊飯器の蓋をパカリと開き、内蓋と釜を取り出して雅の隣に位置する水道へと移動する。


服飾系統に無知な僕でも一目見て上質だとわかる布地のエプロンを身に着け、味見のために小皿へとみそ汁を掬いとる雅を横目に盗み見た。

美人はどんな服を着ても似合うという言葉は的を射ているようで、エプロンに身を包んで小皿を傾ける雅は非常に絵になっていた。


何気ない所作に漂う気品を見せつけられる度に、改めて好きだなあと感じてしまう。


さて、今の独白からも見て取れるように、僕こと雨宮あめみやとおるは幼馴染たる少女ーー青木あおきみやびに淡い恋をしている。


まだ告白こそしていないけれど、小さな頃から僕は雅のことが大好きだ。

それが家族に対する親愛とは異なるベクトルであると気が付いたのは一ヶ月前のことだけど、気が付いてしまったからには気持ちを抑えることが出来ない。


だから、昔、それこそ幼稚園ぐらいの時に雅が語っていた理想の告白プロポーズとやらを行うために着々と準備を拵えていたんだけど……ここで、予想外のことが起こった。


「ねえ、雅」


「なに?透」


「……なんか、遠くない?」


「気の所為じゃないかな。きっと寝惚けて目が疲れてるんだよ。もう少し眠ってきたら?」


「そうかなぁ……」


絶対違う。

なにせ、僕が横に立ってから3歩ほど横に避けた。試しに1歩近づいてみれば、雅は僕と同調しているかのように、更に1歩横へと移動する。


僕は正直に白状すると、脈はあると思っていた。仮に好意を抱かれていないにしても、俗な言い方になるけれど『ありよりのあり』程度の好感度は稼いでいると自負していた。


なにせ、両親が出張の際には進んで料理を作りに来てくれる。それに雅が僕以上に長く、そして親密な時間を過ごしている相手など見たことが無い。同性、異性含めてだ。


だから、告白に対しては楽観視していた。

けれどもしかしたら危ないのかもしれない。


先程のようにそれとなく距離を離されるのは今日が初めてではない。日常の中で僅かに、本当に僅かにだけれど、記憶にある以前よりも距離が離されているのだ。


それは、嫌悪されていると感じるほどあからさまな行為ではない。

それは、無関心な他人に取るような素っ気ない態度ではない。

それは、好意を抱いている相手に見せるような親しげな所作ではない。


朝ごはんは無事完成したようで、雅はそそくさと鼻歌交じりに食器を取りに行った。後ろ姿はどこかご機嫌だ。嫌われている訳では無い。それは確信している。さりとて、好かれているとも確信出来ない。


「本当に、何でなんだろうなあ」


最近何故か、幼馴染が微妙によそよそしい。

ぽつりと零れた僕の独り言は、蛇口から流れる水の音に掻き消されて誰の耳にも届かなかった。




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