第32話・タケイルの出自。
デルリ村に新しい年が来て、厚く降り積もった雪も溶け始め春を迎えようとしていた。
白く雪化粧したウイス山麓の猪俣家の道場では、雪が積もっているのにも関わらずに大勢の者が訪れた。
武術大会でタケイルが優勝して以来、その数は確実に増えていた。何しろ同門のシュラも上位四名の中に残り、有名な女剣士のイシコロゲ・アランゲハもいるのだ。海の国一の有名な道場になったと言って過言ではなかった。
しかし猪俣家の庭の道場では、場所が狭いので多くの者を受け入れることは出来なかった。新しく通うことが許されたのは僅かな人数だけだ。
その者たちの中で、異色なのが王の嫡子・紗那王丸だった。彼は護衛と伴に、週に二日はザルタから通ってきて稽古していた。
素直な気性の紗那王丸は、道場を訪れる門弟とも打ち解けて、剣の腕も順調に延びて来た。
王都ザルタからの行き帰りの警護には、シュラが付き添っていた。シュラは十兵衛の取りなしで、将来は紗那王丸に仕える事が決まっていたのだ。これには、シュラの両親も大喜びした。
だがそんな猪俣家では嬉しいことばかり続いたのでは無かった。
春先に珍しく風邪を引いた父・十兵衛が、以降も体調が優れずに寝たり起きたりの生活をしていた。
十兵衛はタケイルが武術大会で優勝した後、長年背負ってきた荷を下ろしたかの様に穏やかな生活をするようになっていた。同時に、長年押さえ込んでいたものが一気に吹き出すかの様に、病気がちになり床につく事が多くなったのだ。
「タケイル、一人前の剣士となったお前に、過去の事を全て話す時がきた」
ある日十兵衛は、寝床にタケイルを呼んで長い話を始めた。
お前の本当の名前は、玄武次郎(げんぶじろう)という名であり、それを隠していたのは刺客から逃れるためだ。
次郞の父は、十兵衛の剣の師で玄武家の長・玄武道㠶(げんぶどうはん)、母は美幸(みゆき)と言う。
次郎が生まれた場所は、海の国から遠く離れたミキタイカル島という大きな島で、その島の表には、地の国・天の国という国々があって、島の裏側には山の国と呼ばれる国がある。
島の表は、昔は天の国が地の国も会わせて全てを支配していたが、今は天の国の支配力が急速に落ちて、地の国は四つの国に別れている。
その支配力が落ちた原因は、我々(十兵衛とタケイル)が遠く海の国まで逃れてきた原因と同じで、天の国に起った騒乱だった。
当時、天の国は将徳(しょうとく)と言う王が治めていて、島の裏側の山の国を統べる玄武家もその治政に参加していた。次郞の生家である玄武家は王家とは親族で、武術指南役として協力していたのだ。
その日、天の国の王宮では武術指南役の玄武道㠶の家族を迎えて、ささやかな宴を催していた。出席していたのは天の国に三つある町の代表と、王の家族と道㠶の家族だけだった。その宴は、タケイルすなわち玄武次郎誕生のお祝いの宴だった。
次郎を出産した母親の美幸が動ける様になってからの宴で、次郞には三才の一郎と言う兄がいるために、道帆の天の国での高弟・猪俣十兵衛が子守として付き添っていた。
その宴の日に、王の近衛隊の隊長・シャランガが反乱を起こしたのだ。シャランガは、王を殺して三つの町の代表と玄武家の家族を人質に取ろうとしたのだ。
シャランガの企みは、ほぼ成功した。王を始末して三つの町の代表を押えた。玄武道帆も特に抗うことなく、成り行きに任せて大人しくしていた。十兵衛もそれに従っていた。
ところが、予期せぬ事が起きた。
三つになるタケイルの兄・一郎が近衛兵の剣を奪って反抗したのだ。慌てた近衛兵が一郎を庇う母親共々切り伏せたのだ。
それを見た道㠶は、十兵衛に次郎を抱いて逃げる様に言うと、二百もの精強な近衛兵に素手で立ち向かったのだ。
風の奥義・五剣を使いこなす道㠶の技はおそるべきもので、その場に兵を吹き飛ばす嵐が巻き起こったと言う。
「儂はその隙をついて、馬でひたすら逃げて湊で船に乗ったのじゃよ」
十兵衛は、その時を思い出し悲しそうな表情で話した。
「そんな事があったのですか。父と母と兄が一度に亡くなった・・」
タケイルは衝撃を受けた。
「ここ海の国へ逃げて来て、お前が十の年までは何事も無く平和に暮らせた。このまま何事も無く暮らして行けるかと、平和ぼけした頃に刺客がやって来たのだ。やはりシャランガはまだ諦めていなかった。十年経とうとも逃がしたお前を探し求めていたのだ。それほど、シャランガはお前の事を恐れているのだ」
「どうして、小さい子供だった俺を恐れるのだ?」
「それは、お前が山の民・玄武の血を受け継ぐ者だからだ。山の民の兵数は僅かだが恐ろしく強いのだ。お前が山の民の兵を率いれば、多くの者が味方に付きシャランガは到底敵わぬと見ているのだ」
「そんなに山の民は、強いのか?」
「ああ、強い。と言っても実際には見たことは無い。天の国・地の国の者は、山脈を越えて山の国に行った者はいないのだ。表側に住む者にとって、島の裏側にいるのは謎の国と民なのだ。
儂も山の民の者は、道㠶師の他に僅かな者しか知らぬが、皆桁外れに強い。この地で聞く風の噂によれば、未だに天の国・地の国はあの騒乱から立ち直れずに治まっておらぬ様だ。お前が行ってケリをつけるのだ」
「俺が、そんな大それた事が出来ようか?」
「今のお前ではまだ無理だろう。だが、この事を道㠶師は見越しておられたか、地の国に散らばる高弟に風の五剣の奥義を授けておる。
お前は、騒乱の地の国を巡り、奥義五剣と風花の剣を会得して、山の国に向かうのだ。
風花の剣だけがお前の身分を証明してくれると儂は聞いた。それがどんなものかは儂には解らぬが、五剣を会得してゆく内に自然にわかるものだと思う。
ともかく風花の剣を会得して山の民に会い、風の洞窟と言う所で修行する。
それがお前の定めなのだ。本当は儂が案内をするつもりであったが、どうやら儂はもうすぐ寿命が尽きるようだ」
十兵衛は、おのれの寿命が尽きると明言した。
「そんな・・」
タケイルは絶句した。
十兵衛ほどの者が言う事だ。間違いはないだろうが、タケイルにとっては実に辛い言葉だった。今日まで十兵衛を実の父親だと思って来たのだ。
「刺客の群れる見知らぬ国を旅するのは危険だが、地の国には道㠶様の高弟の方々が居られるし、天の国・ザウデの町には母の美幸様の縁者がおられる。
そして山の民には、父・道㠶様の縁者がおられる。多くの血を分けた身内がお前を待っておるのだ」
血を分けた身内は今まで、父と思っていた十兵衛と一人っきりだと思っていたタケイルにとって、他に多くの身内が存在していると聞いても、すぐにはピンとこなかった。
「実はのう、この事は識見の広いガランゲどのには打ち明けていたのじゃ。するとガランゲどのは易を立てて、お前の目的は無事かなえられる。と言われたのじゃ。
天の国に平和をもたらして、将来ここ海の国の平和にも貢献するとな。ガランゲどの予知は外れた事が無いと聞いた。タケイルも志を高く持って進むが良い」
(・・将来、海の国の平和に貢献する?)
そう言えば、初めてガランゲに会った幼い時にも、その様な事を言われたのを思い出した。
「解りました。それが私の定めなら従いましょう。では、いつ地の国に向かえば良いのでしょう」
「それは、お前次第じゃ。お前が行こうと思った時が好機なのだ。自らの感覚に従うが良い」
そう言われたタケイルは、沈思してみたが、
「俺は、父上から習った多くの事が未だに身についていませぬ。もう少し、ここで修行してからかの国に向かいます」
タケイルの言葉を聞いて十兵衛は黙って頷いた。
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