9
朦朧とする意識の中で、再びリアムは目を覚ました。
なんだかとても疲れていて、目を開けるのがやっとだった。
「神子様、おはようございます」
「……レ、ジー……ど……の」
リアムが目を覚ました先にはレジーがいた。レジーはなにやら右側の魔法器具を弄っている。
「明日は神子様を皆様にお披露目と儀式の日ですので、一旦血液の回収を辞めますね」
すると魔法器具は止まり、リアムの体の倦怠感も徐々に治り始めた。
「睡眠薬、効きにくくなるのが早い。さすが神子様です」
それを聞いてリアムははっとした。今は、今日はあれからどのくらいの時間が経った?
「レジー殿、僕はどれくらいの間眠っていたのですか?」
「7日間ほど。あ、ご安心を。栄養はこちらでちゃんと入れておきましたから食べなくても大丈夫ですよ」
「……七日……も……」
リアムは愕然としたが、直ぐに気を持ち直した。落ち込んでいる場合でもないのだということを感じた。
「明日、お披露目って、儀式ってなんですか?」
リアムは久々に起き上がる。
「お披露目とは、下界の民にリアム様から挨拶をして頂くことですよ。儀式は、リアム様がまた更なる力を手に入れるためにご自分の血を飲んで頂くことです」
「!?」
これにリアムはゾッとした。
「リアム様の力は落ちております。故に自らの血を飲んで再び神子としての強い力を取り戻して頂かなければ」
「い、嫌です!」
リアムは抗議した。
「やはり、僕はルシタル王国に帰りたいです。このままここに眠ったまま縛り付けられるのは……!」
そこまで言うと、レジーの目付きが一瞬変わった。いつもの優しげな目と違う。忌々しいものを見るような目でこちらを見たのだ。リアムは怖くなって口を閉じた。
しかし直ぐに元の表情に戻って、そして懇願するように言った。
「リアム様、我儘を仰らないでください。貴女様のお力がなければ、この国は……この世界は滅んでしまうかも知れないんです」
「…………」
それを言われると辛い。リアムだってこの国の人を、世界を、わざわざ見殺しになんてしたくないのだ。でも、ここに縛られ続けるのは嫌だ。とても辛い。一体どうしたらいいのか、リアムは分からなくなってしまいそうだった。
「さて、明日のお支度がありますゆえ、リアム様にはお部屋の移動をお願いします」
「……はい」
リアムは仕方なく従うしか出来なかった。
血を抜く針を抜かれ、止血はあっという間に終わった。当然だ。リアムの体質では、傷は瞬く間に治る。止血の必要など無いのだから。
リアムは最初に連れてこられた部屋をレジーの後について出て行った。この部屋以外の場所を見るのは初めてだ。
扉を開けると目の前には大きな窓が、左右には廊下が見えた。ここは円柱になっているのか、途中で廊下の先が両端ともだんだん見えなくなっている。
「こちらです」
リアムから向かって左の廊下を案内される。そこから三つの部屋の扉らしき物を通り過ぎ、次の扉の前でレジーが止まった。
「ここが衣装室です。リアム様に似合う物を女官に見繕うよう言ってありますから、ごゆっくりお選びください」
リアムは一瞬悩んだ。ここで逃げ出すか、従うか。
従えばまた眠らされて血を抜かれるのだろう。しかし、逃げ出すにしても、どこをどう逃げれば外に出られるのか見当もつかない。運良くここから逃げられたとしても、今のリアムにはお金も旅支度も、外の魔物に抗う術も何も無い。このままこの世界フェアスから遠い世界レクシアに戻るには、力も食べ物も何もかもが足りなかった。
「……分かりました」
リアムは逃げることを諦め、力なく頷いた。もう元の世界──レクシアに、ルシタル王国に、殿下の傍に戻ることは叶わないのだと思った 。
衣装部屋に入ると、女官達が数人でリアムの為の服を見立ててくれた。リアムはそれにも力なく答え、あとは適当に流した。
「お顔の色がすぐれませんね。大丈夫ですか?」
そこで一人の年若い女官に顔を覗き込まれた。リアムはやはり力なく首を振り、大丈夫です、と小さく笑って見せたが、その女官はやはり心配そうにしてくれていた。
「ずっとお勤めだったのに衣装あわせでお疲れですよね。今温かいお茶とお菓子をお持ちしますから、少々お待ちください」
そう言って女官は一度リアムの傍を離れ、直ぐに戻ってきた。
手に持っているお盆から茶器とお菓子を出される。ルシタル王国では見ない不思議なお菓子だった。
「考えたら何日も何も口になさってないんですものね。元気が出ないのも当たり前です。お茶を飲んで少し休んでください」
そうして温かいお茶を茶器に注いでくれた。
言われるままにお茶に手を伸ばして、一口、飲んでみる。身体がとても温まる。安心する香りがするお茶で、リアムはほっと一息つくと、不意に一粒、涙が出てしまった。
それを見た女官はギョッとして、慌ててリアムに問いかける。
「だ、大丈夫ですか!? リアム様! お気に召しませんでしたか?」
リアムは首を横に振った。久々の、本当の人の温もりに触れた気がして、再び涙が溢れてきてしまった。
「僕は……っ、僕は元の世界に帰りたいです……っ!」
そう言いながら手で顔を覆って泣いてしまった。
本当はこんなこと、この世界の人に言ってはいけない。この世界を見捨てるような発言をしてはならないのに、もうどうにも止められなかったのだ。
この女官もきっと怒るか、呆れるか、諭すのだろう。あのレジーのように。そう思っていたが、降ってきた言葉はそれとは違うものだった。
「……リアム様、お辛いのですね……お務めを果たされる方を見るのは、私も初めてです。何年もこの国には神子様が居ませんでしたから……」
そして女官はリアムの頭を優しく撫でてくれた。リアムは少し戸惑ったが、やがて女官の腕の中で泣いてしまった。
「大丈夫です、きっと。鳥神様が見守っていてくれるこの世界ですから、きっとリアム様の事も守ってくださいます……」
暫くそうして泣き続け、やっと落ち着くと、リアムは女官にお礼を言った。
「……すみません、みっともない姿を……でも、ありがとうございます」
すると女官は微笑んで、そしてちょっと悪戯っぽい微笑みをしてこんな提案をしてきた。
「……本当はダメなんですけど、二人でお外を歩いて見ましょうか。リアム様、この世界に来た時も眠ってらしたから、お外、知らないでしょう?」
これにはリアムがびっくりした。
「え、そんなこと、良いんですか?」
「ええ、ちょっとだけ息抜きしましょう。半刻も居られないとは思いますが、それでも宜しければ」
女官は屈託のない笑顔でリアムに言うと、自分の唇に人差し指を指を立てて、内緒ね、と付け加えた。
女官とリアムは適当な口実を付けて他の女官に許可を得ると、一度部屋を出ると言って廊下に出た。
来た時と同じ向かって左を歩いていくと階段があった。
「リアム様、足元お気をつけくださいね、何日も横になっていたので感覚が鈍っているでしょうから、私の手を握ってください」
有難くリアムが女官の手を握ると、二人はゆっくりと階段を降りていった。
「レジー様は恐らく今頃は執務室に籠られていますから、出会うこともないと思いますが……見つかったら二人で迷子になったことにしちゃいましょうね」
「……はい!」
なんだろう、このやり取り。なんだか久しぶりにする気がした。そうだ、この人はなんだかロクサス殿下に似ているんだ。ちょっとイタズラ好きて、だけど大きな優しさを持った人。リアムは嬉しくて、また少しだけ目が潤んだ。
殿下に会いたいなぁ……。
何段も何段も階段を降りていく。途中別の女官に会うことがあったが、二人は当たり前のように堂々と会釈をして通り過ぎたから、逆に怪しまれることはなかった。
「さ、ここが一階です。表口は門番が立っているので裏口から出ましょう。久々のお外ですね!」
そう言うと女官は階段左の小さな扉を目指し歩いて行った。
リアムは自分の心臓が大きく鳴るのが聞こえた。久々に外に出られると思うと、なんだかドキドキしてしまう。
そして扉が開け放たれると、そこは石畳の地面に、青い空がどこまでも広がっていた。
「うわぁ……!」
久々の外の空気に、思わずため息が出る。深く吸い込んで、吐いて。ゆっくり深呼吸すると、緑の匂いや、食べ物の匂いがした。ここは街だったのだと、改めて認識する。
「表の人達に見つからないように少しだけお散歩しましょう! こっちに隠れてください」
女官は茂みに隠れてこっち、と手招きする。リアムもそれに倣って茂みに隠れる。
こんなことをしていると、やはり思い出してしまう。小さい頃は殿下と、よくこうやって遊んだっけ。
その時、風が強く吹いて、リアムの髪を掻き混ぜた。思わずその方向を見ると、一瞬、独特の紫色の髪が見えた気がした。
「あれっ!?」
「どうかなさいましたか?」
しかし、次の瞬間にはもうそこには何も無かった。
紫色の、ロクサスの髪の毛が見えた気がしたのだ。
「……気の所為、か」
女官が首を傾げていると、リアムは再び向き直った。なんでもありません、と言い、女官と短い散歩に出かけたのだった。
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