7

翌日、王子一行はゲルを貸してくれた村長に礼を言い、フレッドを先頭としたアクロタリス第七竜騎士団と共に異界の扉を潜ろうとしていた。

その時、遠く後ろの方から声が聞こえた。

「待ってくれ!!」

そこに居たのは馬上のササンだった。

「お! なんだササン、見送りに来てくれたのか?」

ロクサスが大声で問うが、ササンはそれに答えず、代わりに馬を操ってロクサスの隣まで来た。

「俺も連れてってくれないか?」

これにはロクサスが驚く。

「へ?」

「いや、なんだか君たち面白くってさ、俺も役に立つだろうし、連れてってよ」

これにラシャドは少し怒りの調子を込めて言った。

「あのな、遊びに行くわけじゃないんだぞ。お前、界廊にすら出たことないんだろ? 足引っ張りかねない奴はお断りだ」

バッサリと切り捨てたラシャドだったが、それに異を唱えたのはこの軍のリーダーであるロクサスだった。

「いや、ササンの弓の腕は確かだし、俺としては仲間は多い方が良いな」

「さっすが王子さま! 話が分かるね!」

ラシャドはそれでも反対する。

「仲間が多けりゃリアムが帰ってくるって訳じゃないんだぞ? リアムの意志を尊重すべきなんだからな」

ロクサスはうーん、と頭を傾けた。

「でも界廊に大きな敵が居たらやっぱり助けは必要だし、俺たちの軍には弓兵が少ない。ササンは居てくれた方がいいと思う」

それを言われるとちょっと弱い。というのも、界廊の魔物は姿形を変えられるし、大きさも様々である

。よって、こちらにもそれなりの種類の攻撃できる人間がバランスよく居た方がいいのだ。

ラシャドはため息をついた。

「分かった、だが既に大人数だ。城から連れてきた一個小隊に、アクロタリスの竜騎士団。そして俺たち。この人数全員でフェアスに乗り込んだら相手側もびっくりするだろうし、警戒する」

「それは確かに」

王子は再び考えて、答えを出した。

「この中から一部の人だけでフェアスに入ろう。俺とラシャドと、ササン。それから……出来れば魔法が使える奴がいいな。この中で魔法が使える奴は居るか?」

ロクサスがアクロタリスの竜騎士団に問いかける。すると驚いたことにほぼ全員が手を挙げた。

「殆ど全員……!? 嘘だろ!?」

ロクサスが驚いていると、一人の少年が恐る恐る前に出てきた。アレクだ。

「驚きますよね、魔法使えるかどうかは本来は個人差ありますから。しかし、俺たちの世界カプサートは強い精霊の住む世界で、特定の地方に生まれた人は皆魔法の加護を受けているのです。アクロタリスは雪の精霊が住まう土地なので、ほぼ皆、雪の魔法が使えるんですよ」

ササンが興味深そうに頷いた。

「ほう。そんな世界もあるんだね」

ロクサスが続ける。

「いいな! 魔法! 俺は才能なくって使えないんだ。アレクは雪魔法が使えるのか?」

アレクはこくりと頷くと、掌を上にして何か唱えた。

「ヴァイル・アート!」

すると少年の掌に小さな吹雪が現れた。

「雪魔法だとこんな感じですね」

ロクサスは初めて見る雪の魔法に興味津々だ。

「すげぇ!」

アレクは照れながら言う。

「他にも幾つかの魔法が使えますよ」

「なるほど、これは良さそうだな」

ラシャドも魔法は使えないらしいので随分感心している。

「じゃ、アレクも一緒に来てくれ! 飛竜も一緒だと心強いし、お前は親切で良い奴だから来てくれたら助かるよ!」

ラシャドもこれには賛成を示した。

「そうだな。お前が多少無礼な行動を取ってもアレクなら礼儀正しく収めてくれそうだ」

ロクサスは真面目に考えた。

「無礼な行動? そんな事しないぞ?」

ラシャドはため息をついて肩を竦めたし、ササンは吹き出していた。

「とにかく、もうリアムが──俺の友達が攫われてもう何日も経ってるんだ。嫌な予感は相変わらず消えないし、できるだけ急ぎたい。二人とも、よろしく頼む」

「わかった」

「えっ!? 友達が攫われているのですか!?」

アレクが驚く。

「言ってなかったっけ?」

何となく先日のやり取りに似ていてラシャドは再びアレクに同情した。

「聞いてません!大変じゃないですか!急ぎましょう!」

「うん、だから急ぎた──」

アレクはロクサスの話を全部聞かないうちにに後ろの方へ走って行った。

不思議に思って見ていると、彼は飛竜に乗って再びこちらに来た。翼からの風が凄い勢いで三人に吹き付ける。

「ロクサス殿下、ササン殿、ラシャド殿、そして俺。フェアスの中に入るこの四人だけでも先に進んだ方が良いと思われます! 俺の飛竜に乗ってください!」

通常、一個小隊や騎士団で動くとそれなりにお互いに歩調を合わせなくてはならなくて時間がかかる。アレクはそれを懸念したのか、そう提案してくれた。

風音に負けないように大声で叫ぶアレクに、ロクサスも腹から声を出した。

「分かった! ありがとう!」

アレクの飛竜は四人を乗せると真っ先に異界の扉を潜り、凄い勢いで飛んだ。

真っ白い世界だが、道があるお陰でとても早く進んでいるのが分かる。

ロクサスが感嘆を上げた。

「すげぇ、早い!!」

「飛ばしてますからね!」

ここでササンが何かを見つけた。

「……? 見間違いか?」

「どうした、よそ見してると落ちるぞ!」

ラシャドがササンに注意する。

「いや、界廊が壊れてたのが見えた気がしたんだけど」

「またか!?」

「また?」

「ああ、俺達もお前の世界にたどり着く前に見かけた。このアホ王子があっという間に直したがな!」

ササンが不思議な顔になる。

「界廊って壊したり作ったり出来ないって聞いてたけど、嘘だったんだね」

それをラシャドは直ぐに否定した。

「いや、その話は正しい。異常なのは壊れたり直したり出来ることだ。本来はそんなこと、神の逆鱗に触れる筈だ」

「んん?」

ササンは混乱している様子だ。無理もない。初めて界廊に出たのに異例続きなのだから。

ラシャドは敢えてササンの疑問を無視することにした。どの道分からない事だし、今は優先すべき事があるのだ。

「今はこっちに集中しろ!舌を噛むぞ!」

「はいはい」

軽い調子のササンの返事で、この会話は終わった。



ぐんぐん進む飛竜に乗って数時間。やっとリアムの居るであろう世界──フェアスの扉が見えてきた。

「あった!あれだな!」

石の扉の上には確かにフェアスと刻まれている。リアムはここに居るとロクサスは確信していた。推理などではない。彼の勘が確かにそう言っているのだ。

四人は飛竜から降りると、アレクは飛竜の体を触って彼の愛竜を労わっていた。

「ありがとな、よく頑張ったスピナー」

スピナーと呼ばれた飛竜はご機嫌な様子でアレクに撫でられていた。

「さ、入ろう!」

ロクサスの掛け声で四人は一斉に扉に向き合った。異世界通交手形を魔法陣に翳すと魔法陣と魔法石が反応して扉が開く。

四人はフェアスに足を踏み入れた。



扉を潜った四人は、またも草原に出た。やはり扉はむき出しで何にも守られていない。ラシャドが不思議そうな声を出した。

「前と似たような所だな……」

「でも風の匂いが全然違うね」

「そうだな、ここは食べ物の匂いも近いな」

ササンは風の匂いでここが自分の育った世界とは違うと確信していた。ロクサスのは本能みたいなもので正直ラシャドは呆れた。

「腹減ってんのか?」

「? いや別に」

「やっぱ君たち面白いね〜」

ササンが茶化す。そこにアレクの鋭い一言が刺さった。

「変なこと言ってる場合じゃない気がします! 殿下の友達を助けないと!」

「君、アレクくんだっけ、張り切ってんね。でもあんまり張り切りすぎてもダメだよ」

そう言ってササンはくしゃりとアレクの頭を撫でた。アレクの顔が赤くなる。

「こ、子供じゃありません! 撫でないでください!」

「はは、ごめんごめん」

そう言いつつササンは全然撫でるのを辞める気配はない。

ロクサスが鼻をきかせる。

「こっち、食べ物の匂いするから街がありそうだ。行ってみよう!」

ラシャドが方位磁石で確認すると、北西の方向を示していた。そこに、さっきまでアレクをいじっていたササンが地図を広げる。

「うん、この方向で正しそうだね。一番近い街はそこだよ」

「ササン、地図なんて持ってたのか!」

ロクサスが地図を覗き込む。

「うん、村長……父が持ってたからね。借りてきた。ただ、この地図はかなり古いみたいだから街の規模とか細かい位置までは分からないんだけどね」

「いや、あるとないとでは大違いだ。助かる」

最初、ロクサスは飛竜で飛んでいこうと提案したが、目立ちすぎると他三人に言われて却下された。髪をわしゃわしゃにされたアレクが髪を整え終わると、四人と一頭は街のありそうな北西へ向けて歩き出した。



歩いて数分で、何か赤い屋根に茶色い壁の塔のような物がササンの瞳に映った。

「お、街かな」

「え? なんか見える?」

ロクサスが食いつくが、何も見えない。

「俺にも何も見えませんね……」

アレクも不思議そうに言う。

「ササンは狩りをして生活していたんだ。俺たちより目が良くて当たり前だろう」

ラシャドが解説してくれる。なるほど、と二人が納得していると、徐々にササン以外の目にも塔らしきものが見えてきた。

しかし、まだ目の前は草原で、街の入口等は見当たらない。

「あれは相当高い塔かもしれないね」

ササンが言う。

「すげー技術だなぁ」

ロクサスも感心する。ルシタル王国では建物の数は多いが、あまり高い建物はなかったのだ。ササンも同意していた。

「俺の見てきた町にもあんなものはなかったな」

「でも、感心してる場合じゃないよな! 早く行かなきゃ、リアムが待ってるかもしれない!」

ここで走ろうとしたロクサスの首根っこをラシャドが捕まえた。

「走るな。焦る気持ちは分かるが、まずはなるべく気づかれないように街に入るぞ」

「何でだ?」

ロクサスが首を捻る。

「今の状況だと、リアムは攫われたから逃げたがってる可能性が高い。そこに俺たちがいきなり来て、返してください、で話が通ると思うか?」

「思わない!」

「うん、そうだな。まずは街の様子を聞いたり、リアムが居そうな場所を聞いたりするんだ。派手には動かず、相手に悟られないように。リアムの様子を見て、帰りたがっていたら何としても連れ帰る」

「ああ!」

「だが万が一、リアムが帰りたく無さそうなら諦めて俺たちは撤退する。分かったか?」

「……うん」

「そんな暗い顔すんなよ、いつもの元気はどうした。目立つのは駄目だが、元気まで無くせとは言ってないぞ」

ラシャドが苦笑して付け加えた。

「大事なんだな」

「うん」

「ならきっと待ってるね、ロクサス君のこと」

ササンも会話に入ってきた。

「ああ。あと心配なんだ。リアムが攫われてからずっと嫌な予感が消えなくて」

アレクが聞く。

「嫌な予感?」

「俺の直感みたいなもの。よく当たるんだ」

「お前は勘鋭そうだもんな」

ラシャドの声に王子は声を上げた。

「分かるか!」

「何となく、な。お前は直感で生きてる感じがする」

「そうなんだよ、だからこそ心配なんだ」

ロクサスは本当に焦っている様子だった。本当は走っていきたいところを、ラシャドの助言に従ってぐっと堪えている。

「落ち着け。とりあえず俺たちは小さな旅の傭兵団として街に入ろう。しかし、リアムの情報、どうやって得るかだな」

ロクサスはそこで謁見の間のことを思い出した。

「確か、リアムの叔父に当たる人は、リアムのこと神子って呼んでたぞ」

「神子……なるほどな。じゃあ俺たちは、この世界の神子を一目見たい、野次馬軍団ってところだな。その方針で行けばバレないだろう」

「ラシャド! 流石だな!」

「普通だ。お前が考えなさすぎる」

ロクサスは気にした様子もない。

「とりあえず今は昼だから、夕方くらいまでには着きたいな」

「そうですね、それに、夜の酒場は噂や情報の宝庫です。夕方に宿を探して、夜には落ち着いて情報収集をできるのが理想かと思われます」

アレクは流石旅の従騎士だった。旅慣れているのか、こういう情報の出処をしっかりと知っていた。

その後は殆ど話すことなく、四人は黙々と歩いた。意外と遠い街に焦りつつも、あくまでペースは乱さない。

途中から草原の中に道らしき物が見えたので、そこを歩く。街に繋がっている可能性が高いからだ。

そして、その日の陽光が橙色に変わり始めた頃、漸く街の門が見えた。

「あれが、この世界の街か……」

ロクサスがポツリと言う。

街は門も塀も木造だった。硬そうな焦げ茶の門と、同じ色の木の板で出来た塀。先程よりもくっきりと見える塔も、やはり木造なのか同じ色をしていた。よく見ると柱や梁は赤色だ。

四人は木造の門を潜り、無事街に入ると、早速宿を探そうとしたが、そこは宿場町なのか、沢山の宿屋が並んでいた。道の右にも左にも、ズラリと並んだ宿屋はなかなか圧巻だった。

ロクサスはもう居ても立っても居られないと言わんばかりに、一番近くの宿屋に入っていった。

今は宿屋はどこでも良かったのだ。早くリアムを探さなければ、と気持ちばかりが焦る。

ロクサスが入った宿屋はこぢんまりしていたが、内装は白い壁が綺麗な宿屋だった。

早速手続きを済ませると、二人部屋を二つ用意してくれた。ロクサスとラシャド、ササンとアレクがそれぞれ部屋に入り、一休みすることになった。時計の長針が半周したら、同じ部屋同士の二人で酒場の聞き込みに行くことになった。時計の短針が十二を指す頃に再び宿に戻ってきて互いの情報を交換することで話が纏まった。

ロクサスは荷物を置くと、ベッドに体を投げ出した。

「ひ、久々のベッドだ……!」

ラシャドもベッドに腰掛けると、安堵の息を吐いた。

「そうだな。ゲルでは雑魚寝だったもんな」

ゲルは広いとはいえ、十六人がびっしりと寝ていたのでそれほど休めなかったのは事実だ。リアムには申し訳ないが、今は少しだけ眠い。

「ラシャド、俺少しだけ寝てもいいか?」

「ああ、分かった」

ラシャドも時計を確認すると少しだけ横になることにしたが、それもほんの五分ほどで、起き上がると荷物を出した。保存用の軽食を取り出して、軽く腹ごしらえをする。

あっという間に時計の長針が半周したのでロクサスを起こした。

「おい、時間だぞ」

「ん〜〜」

ロクサスはうつ伏せになって顔を枕に預けたまま動こうとしない。

「リアム探しに行くぞ」

「あっ! そうだ!」

その一言で飛び起きた。ラシャドからするとなんて分かりやすいんだろうと思ってしまう。少しだけ微笑ましくすらあるが、今はリアムを無事助け出さなければならない。気を引き締める。

部屋の扉を開けると、宿屋の廊下でササンとアレクが立っていた。

「お、ちょうど良かった。ノックしようとしてたんだよ」

ササンが片手を上げて挨拶をしてきた。

「わり、ちょっと寝てたんだ」

ロクサスはそれに答えつつ、慌てて準備を終えた。時計と筆記用具とお金を、小さめの鞄に入れて持ち出す。

「行きましょうか。開店の早い酒場だとそろそろ開いてると思います」

アレクの言葉通り、この時間から開き始めた酒場もそこそこあるようだ。泊まっている宿屋を中心に、東側をロクサスとラシャドが、西側をササンとアレクが回ることになった。

ロクサスとラシャドは並んで歩きながら、人が多そうな酒場を探す。しかし、まだ開店したばかりでどの店もさほど多い人数は入っていない。

「まだピークの時間じゃないのかな。人がいねぇや」

ちょっと残念そうに言うのはロクサスだ。

「そうだな……こういう場合は人の良さそうな店主に聞いてみるのもありかもな」

「なるほど!」

ラシャドの提案を早速実行することにしたロクサスは、言われた通り人の良さそうな、引いては話が上手そうな人のいる店を探した。窓から中の店主の

様子が伺える店が幾つかあるから、その中から選べばいい。ひとつの店の前でロクサスの足が止まった。

「ここにしてみよう」

周りの建物と同じく焦げ茶色の木の建物の中に入ると、品の良さそうな紳士が一人、開店したばかりの店の酒類を並べ替えていた。

「おや、こんにちは」

店主から話しかけてきてくれた。当たりみたいだ。

「こんちは、ラム酒を一杯くれ」

「かしこまりました。そちらのお兄さんは?」

「俺は……そうだな。ビールを」

すると直ぐに酒類が用意された。ついでに豆類のおつまみも出される。

「お兄さん達は……異世界から来た旅の人ですか?」

「ああ、そうだ。一応剣士やってる」

ロクサスはさらりと嘘をついた。王子なんて言え

る訳もないが、あまりに自然な嘘にラシャドがちょっと驚く。ロクサスは嘘が苦手だと思っていたから意外だった。

「そうですか、ではかなり幸運な時に来ましたね」

「幸運?」

「はい。つい最近まで、この世界は病に侵されていました。日に日に感染者は増えるし、治療法もまだ見つかってなかったのです」

どこかで聞いた話である。確か、レジーがそんなことを言っていたような。

「しかし、ずっと行方不明だったこの世界の神子様を、レジー様が見つけ出してくだ さって」

リアムのことだ、とロクサスはラム酒を手に黙って聞いていた。

「この世界の神子は、その血の一滴で万病を治すことができるという伝説がありましてね。いやしかし、伝説などではなく事実なのです。確かに一滴で……という訳にはまいりませんが、少し体内に注射で入れるだけで本当にどんな病も治ってしまうのです。それからは病に怯える人も少しずつですが減ってきましてね。私達も安心して暮らせるようになったのですよ」

ロクサスは深く何度も頷き、カウンターからぐいっと店主の方へ身体を乗り出した。

「へぇ、神子様、ねえ。それは是非一目見てみたいな」

気をよくした店主は更に喋り続ける。

「そうでしょう。実は、次の満月の夜に神子様が下界に降りてきてくださるとか」

「下界?」

「下界とは、私どもの住むこの地上。普段は神子様や神子様の世話係は、ほら、そこの窓からも見えますでしょう、あの塔に住まわれているのです。高い塔ですからね」

なるほど、とロクサスは一気にラム酒を煽った。そうか。リアムはあそこか。ロクサスの目付きが鋭くなったのをラシャドは見逃さなかった。

ラシャドもビールを飲むが、一気飲みなどはしなかった。それを見てか、ロクサスは指を机にリズム良く叩きつけている。

「焦るな」

ラシャドは小声でロクサスに釘を刺した。本当に今にも飛び出して行きそうで心配だった。

それからラシャドはころりと表情を変えて、ロクサスににこやかに言った。

「今日は奢ってやるよ。酒、好きだろ?」

「う、うん」

ロクサスは突然の提案がよく分からなくて、とりあえず返事をしてしまったが、その時にはラシャドの注文で2杯目のラム酒がロクサスの目の前に用意されていた。

「どういうつもりだよ、ラシャド」

今度はロクサスが小声でラシャドに問いかけた。ラシャドも小声で返す。

「いいか、この世ってのは広いんだ。本当にこの世界のこの街の神子がリアムかわからん。だから次の満月まで待て。そしてそこに現れたのが本当にリアムなら、返して貰おう」

「でも、そんなんじゃ……!」

「心配なのは分かる。だが焦っては駄目だ。確信を得て行動しろ。いいな?」

それからラシャドは再び店主に向き直ると、さりげなく次の満月の日を聞き出した。

店主は店のカレンダーをめくると、明後日だと教えてくれた。

「明後日!?」

ロクサスはつい大声を出してしまった。ラシャドに思い切り足を踏まれて我に返る。

再び小声で二人で話す。

「明後日って、そんなに待てねぇよ!」

「仕方ないだろ、それに、明後日にお披露目ってことは、少なくともそれまでリアムは優遇されてる可能性もある」

「でも……」

そんな水面下のやり取りをしているうちに店にお客が増えてきて、マスターも忙しそうにしていた。もうこちらの話を聞く暇も無さそうだ。ただ、あちらこちらから“神子”の話題が上がっていた。それくらい、この世界の人にとっては神子は大事な存在なのだろう。

ロクサスは浮かない顔で二杯目のラム酒をゆっくり飲み干すと、ビールを飲み終わったラシャドを連れて店を後にした。

空を見上げると、白い月が出ていた。たしかに満月に近い上弦の月だった。

ぽつりとロクサスが零す。

「ラシャド……リアム、帰りたがるかな」

「どうしたんだ、急に弱気になって」

ロクサスは夜の冷たい空気を吸い込んだ。

「リアムはこの世界では神子って呼ばれて、みんなに慕われる存在なんだなって。だけど、俺の国では正反対だ。リアムはみんなに除け者にされて、母親にまで捨てられた。リアムのためにどっちがいいかなんて……」

そう言って俯くロクサスの背中をラシャドは強く叩いた。

「やっぱ馬鹿だな、お前」

「……?」

「どっちがいいかを決めるのはお前じゃなくてリアム本人だ。そこはちゃんと確かめようぜ」

「……そうだな」

その後も幾つか酒場を回ってみたが、大体の話は同じであった。ただ、一つ気になる情報も得た。

赤い鼻のおじいさんが酔っ払いながら教えてくれたのだ。

「先代の神子様は、神子であることに苦痛を感じてこの世界から逃げたんだ。神子様は常に血を皆に分け与える存在。辛かったのかもしれんな」

それを聞いてロクサスの背中がぞくりとした。リアムも同じ目に遭っているかもしれないと思ったのだ。

ロクサスの不安そうな顔を見て、流石のラシャドも少しばかり戸惑った。思ったよりも楽観的な状況ではないのかもしれない。

とりあえず時計の短針が十二を示したので、今日はもう宿屋に戻って報告することになった。



宿屋では既にササンとアレクが帰ってきていた。

「おかえり」

「お帰りなさいませ」

手をひらひら振ってるササンと、きちんと畏まって礼をするアレクはなんだか正反対だ。

「ただいま、どうだった?」

ロクサスは早速報告を聞き出す。

ササンが答えた。

「うん。多分概ねそっちと同じじゃないかな。どこの酒場でも同じ話題で持ち切りだったから」

「そうか、はやり明後日の神子のお披露目……儀式か」

「そんな感じでしたね」

あ、それから、と言うとアレクは一枚の紙をロクサスに手渡した。

「これ、神子様の特徴らしいです。どれも一瞬見たと言う人の噂なので、全部本当かどうかは分かりかねますが……」

そこには箇条書きで幾つかの特徴が書かれていた。

深紅の髪の毛。長い髪。金色の瞳。ストレートヘア。リアムの特徴とほぼ一致で間違い無さそうだ。

「そうか、ありがとうアレク。これはとても助かる。俺の探してるリアムの特徴と一緒だ」

「本当ですか!」

ロクサスは頷いた。ササンも一つ提案をしてきた。

「じゃあ、お披露目の明後日に備えて明日は休息日にしようか」

「えっ」

それは今すぐにでもリアムに会いたいロクサスの考えとは真逆の提案だった。

「これだけ条件揃ってるのに明後日まで待つのかよ!?」

これにササンはやんわりと首を振った。

「焦るのは分かるけどね、ロクサス君。君、今物凄いヘトヘトでしょ。さっきだって短い時間を利用して眠っちゃうくらい」

「それは──」

「だからちゃんと一度寝ないと駄目だ。万が一の時に頭も身体も動かなかったら困るからね。そして万全の状態でリアムくん? を助け出すんだ」

「それがいいな」

ラシャドも同意した。

「お前には少し休みが必要だ」

「いや、そんなことはらいぞ?」

「それに、今は酒で酔ってる。舌も回らなくなってきてるじゃないか。今日と明日でしっかり休め。そして万全の状態でリアムの今を見極めろ」

「でも……」

そう言いつつもロクサスの目はもう半分以上閉じかかっている。ラシャドはため息をつくと、ロクサスに肩を貸してやって何とか部屋まで歩かせた。

「それじゃ、ササン、アレク、明日の朝はどうする?」

一度振り返って確認をとる。ササンとアレクは顔を見合わせて、アレクが切り出した。

「ロクサス殿下はお疲れでしょうから、明日は俺たちだけでなるべく情報を集めてきます」

「また何か分かったら報告するから、ラシャドはロクサス君についててあげてよ」

「分かった、助かる」

そう言うとラシャドはロクサスを連れて部屋に入った。

ベッドに倒れるなりロクサスは直ぐに眠ってしまった。余程疲れていたんだろう。野宿続きに連戦もさせた。無理もない。ちょっと剣の稽古を厳しくしすぎただろうかとラシャドも反省した。

それでも、この数日でロクサスの剣の腕は確かに上がって行った。きっと無駄ではないと信じて、ラシャドも疲れた身体を横たえた。

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