Xloss/Dimension―クロス/ディメンション―

七瀬 恵凛

王子と赤毛の軍師

1

広い王宮の廊下には豪奢な青色の絨毯が敷かれている。しかし、その巨大な青をもってしても広大な城の廊下の全ては覆い尽くせはせず、端からは白い大理石が覗いていた。

絨毯の敷かれていない場所に一つ、靴音がなった。音を出した張本人である彼はビクリと体を強ばらせ、周囲を窺う。見つかる訳にはいかないからである。

幸いにも、近くに衛兵の姿は見つからない。彼は一息つくと再び歩き出した。しかし、城内を忍び足で徘徊する王子というのは如何なものだろうか。

ここはルシタル王国の王都レイズワースにある王城レイズワース城。勿論この王子、ロクサス・リドリア・ルシタルの住んでいる城だ。

王子は自分の住む城で、わざわざ忍び足を使い、中庭にこっそりと出た。広い芝生の中央には噴水があり、周りには美しい薔薇の生垣が咲き誇っている。王子はそんな花たちには見向きもせずに、衛兵に見つからないよう慎重に中庭の端を選んで進んだ。

王子なのに、である。衛兵など一言で黙らせることが出来るのだが、彼は誰にも見つかりたくはなかった。

今のこの王子の身なりとえば、麻の生地のシャツに履き物も質素な白いズボン、濃紺のジャケットというどこからどう見ても王子とは思えない格好をしていた。

目的はただ1つ──今日もまた、ほんの少しの自由を求めて城下町へ降りる為である。

すこし姿勢を低くして前へ進むと、城下町への秘密の近道がある。王子は一気にそこを駆け抜けた。

「よっしゃ! 脱出成功!」

景気よく声を上げた青年、ロクサス王子は今年十九歳という歳を迎えていた。十七歳で成人と認められるこの国では立派な大人なのだが、その顔つきにも雰囲気にも、どこか子供っぽさが残っている。いたずらに成功したような子供のようにはしゃぎながら城下町へ降りていこうとすると、不意に後ろから声がかかった。

「どこが“脱出成功”なんですかね?」

王子の背中が一瞬で冷える。よく聞き覚えのある声でだ。

「リ……リアム……?」

恐る恐ると振り返ると、そこには青い本を抱えた小柄な赤毛の中性的な子が白い門の前に立っていた。


緑のワンピースを重ね着し、薄い赤色の腰帯を巻いている。肩からは丈夫な生地のケープを付けて、更にその上から茶色のマントを羽織っていた。右耳のピアスと胸のブローチの赤がキラリと光る。今年十六歳になる、小柄な子だ。

リアムと呼ばれた子はジトッとした目でこちらを見ている。リアムはロクサスの従者で、一番心を許している相手だ。

「殿下! 城を出る時はちゃんと視察として、手続きをして貰わないと困ります! 何回言ったら分かるんですか!」

「う……」

小柄な従者にたじたじになる王子。これではどちらが立場が上か分からない。

リアムが続ける。

「さ、城に戻りましょう。ちゃんと手続きをしたなら一緒に城下町へ行ってもいいですから」

リアムはそう言うとさっさと城の中へ戻ってしまう。

取り残された王子はこれは勝てないと思い、肩を竦めながら今日のところは大人しく城に戻ることにした。

王子が小さな従者に追いつき隣を歩く。従者に歩調を合わせながら確認した。

「視察としてなら行っていいんだな?」

「ええ。 殿下、城下町に降りる為とはいえ、今日の分の仕事はほぼ片付けてますよね。 なら良いですよ」

「頑張った甲斐があったな!」

ニカッと笑う王子に、リアムは苦笑する。

責任感があるんだかないんだか、と小さく呟いたが、当の王子本人は既にご機嫌で鼻歌を歌っていて聞いていない様子だった。

この王子は幼い頃から自由や冒険を求める性質がある。それはとても広いはずの城内でも満足できず、視察と称しては城を抜け出し城下町や下町、果てはスラム街まで行く変わり者であった。

王子にしてみれば、こんな城は窮屈であり、王子という身分さえなければ、きっと今頃は自由剣士でもやっていそうな、そんな人物だった。


今日の視察はどこにするかを小さな従者と話し合いながら歩いていると、向かい側から凄い勢いで走ってくる人物が見て取れた。服装からして神官のようだ。

神官の男は王子を見つけるなり慌てて立ち止まり、一度礼をしてから話しかけてきた。

「おお、ロクサス殿下、いい所に! 大変なんです、例の宝剣に、ひ、ヒビが……」

走ってきたからか、かなり息を切らしている。

「宝剣ってあれ? 壊れると凶兆がどうのっていう……」

王子が聞き返す。

「そうです、何やら良くないことの前触れかも知れません。殿下、急いで神殿に来てください。私は国王様にこの事を知らせて参ります!」

それだけ言うと神官は再び走って行ってしまった。

「凶兆、ね」

この国にはいくつかの言い伝えがある。神殿に納められている宝剣に異変ある時、災いが訪れる──これもそのひとつなのだ。

小さな従者は不安そうに王子に声をかけた。

「殿下、行きましょう。 何かあったのかも知れません」

「んー、でもなぁ……俺はこの手の言い伝えはあんまり信じてないんだよなぁ」

王子は頭を掻きながら、あまり気乗りしないように呟く。

「確かに殿下はそういうお方ですけれど……あの宝剣は古から精霊が宿っていると言われています。 見てみるだけでも行ってみましょう。 僕も気になります」

リアムが言うと、うーん、とひとつ考えて、王子はそれなら行くか、と頷いてくれた。

神殿は丁度進行方向にあるので、二人はそのまま進む。しばらくすると神殿への扉があった。城の内部の装飾自体もかなり凝ったものだが、神殿の扉は輪をかけて繊細な作りだ。所々に金が施されている。

小さな従者は大きな扉をノックすると、両手で力いっぱい押した。扉自体とても重たいものなので、非力な従者の力ではゆっくりと少しずつ開いていくだけだ。

王子も手伝おうかと言ったが、そこは頑なに否定された。王族に扉を開かせるなど、とてもできない。こういうのは自分の仕事でもあるから、と小さな従者は真面目に言った。

「失礼します」

やっとの思いで小さな従者が人二人通れそうな道を作ると、彼らは共に神殿内に入った。

「宝剣にヒビが入ったって聞いたけど、本当か?」

中にいた神官達はこちらを向くと、一斉に王子に駆け寄り事情を説明した。

「ついさっき宝剣にヒビが入りまして……!」

神官の一人が言うと、立て続けに他の神官たちも報告してきた。

「私が今朝見た時には異変は無かったのですが……」

「と、とにかく見てください!」

王子は片手を上げて神官たちを黙らせると、宝剣の入った硝子の匣を見遣って、それから近づいた。

宝剣は大理石の台座の上、硝子の匣の中に、青いベルベット生地の上に丁重に置いてある。

シンプルではあるが見事な装飾が描かれている剣である。

この剣が宝剣と呼ばれる所以は、この国を作った初代国王、つまり王子ロクサスの先祖が愛用していたという精霊の剣だと伝えられているからだ。

宝剣の入った硝子の匣は精霊の加護で護られていて

、この匣自体もかなり頑丈な作りだ。専用の鍵が無いと開かない仕組みで、それを持っているのはこの国の国王ただ一人だが、国王がわざわざ皆に隠れて自らの国の宝剣にヒビを入れる理由がない。外部的要因がないとすれば、やはりこの宝剣に宿る精霊の仕業なのだろう。

王子に続いて小さな従者も恐る恐る宝剣を見た。確かに剣の先端から中腹に掛けてヒビが入っている。

「これまでこんなことはありませんでしたよね? 少なくとも僕は聞いたことがないのですが……」

リアムが言う。

「そうだな、俺が産まれる前もなかったそうだ。先代、俺のおじい様の時代には戦争の前触れでヒビが入ったことがあったらしい。それくらいしか聞いたことがないな」

小さな従者が不安げに尋ねる。

「戦争が起こるのですか……?」

「いや、今は隣国とは友好関係にあるし、北のナード大陸からも特にそんな報せは受けてない。 単なる精霊の気まぐれじゃないのか?」

王子はあくまでこういった事を信じようとはしない。

彼は昔からこうなのだ。迷信などは人間の誤った価値観や情報で作られることをよく知っていたので、こういう時に飛びついたりはしない。

しかし、その時一人の兵士が慌てて入ってきた。

彼は慌てて言う。

「大変です、王子! 北の街がナード大陸からの船に包囲されています。このままではシルシュア城が落とされます!」

「なんだって!?」

これには流石の王子も驚いた。北のシルシュアは防衛の要だ。

王子はすぐさま戦う決意をした。隣の小さな従者に目配せすると、頷き返してきたので、声に出した。

「行こう!」


王子は早速父親、つまり国王に出陣の許可を貰い、近衛兵を借りると、直ぐに馬に跨って馬首を北へ向けた。リアムも同様にして同行する。

王子を先頭とした一軍は北に向かって走り出した。


数時間かけて北の街に到着すると、北の城塞シルシュア城で防衛戦が行われていた。

シルシュアはルシタルの北の海の要である。

相手は船団だった。地の理はこちらにあるとはいえ、何せ敵の数が多い。陸から見ただけでも五隻の船が見える。

船を陸に着けられる前に撤退させる必要がありそうだった。

ここで小さな従者が作戦を考える。

リアムはこの歳にして天才的な頭脳を持っていた。王子ロクサスはリアムの才能を見出し、軍師に任命していた。この時もリアムはその才をいかんなく発揮し、作戦を王子に伝える。

「まずは油を用意してください。つぎに弓矢を。そして小舟を出して、そこから相手の船団の死角に入り、油を染み込ませた弓矢で火を放ってください。敵は混乱します。混乱したら更に追い討ちです」

「分かった。皆、油と弓矢を! それと小さめの船を漁師に借りてくれ!」

するとそこは流石王子だ。兵士たちは皆一斉に動き出し、彼の指示に従う。

準備が整うと早速リアムの考えた作戦が実行された。兵士たちは素早く小船に弓矢をかつぎ込んで、船団の死角からそっと出ていく。

「今だ!!」

王子の合図と同時に船団に火矢が一斉に撃ち込まれ、大陸側の船の上は大混乱に陥った。

中では北の兵士達が右往左往しながらも火消しを試みるが、後から後から火矢が船下の見えないところから出てくる。これはたまったものでは無いと、船は慌てて陸の方から離れる。

小さな従者が叫ぶ。

「そのまま火矢を撃ち続けてください! 相手が完全に諦めて撤退するまでです!」

王子軍の兵士たちとシルシュアの兵たちはこの指示を受けて更に陸からも火矢を撃ち込み、なんとかナード大陸の船団を追い払った。


一段落すると、王子たちは街の人々に話を聞いて回った。

相手は突然船団で現れたという。それまでは全く姿が見えなかった筈なのに、突如そこに現れたらしい。

空気の屈折魔法を使ったのかもしれなかったが、どうも腑に落ちない。


その夜、王子軍は港町に滞在することにした。

王子とリアムは宿屋に部屋を取り、二人で机に向かい合わせに座って話をしていた。

リアムは口元に手を添える。

「空気の屈折魔法……高度な魔法ですね。ナード大陸にはそんな強い魔道士が居るのでしょうか?」

小さな軍師は考え込む。しかし、そんな話は聞いたことがない。

「どうなんだろうな。 いずれにしても、また仕掛けてくるかもしれない。 気をつけよう」

「そうですね」

「ちょっと外の様子を見てくる」

王子が席を立つと、リアムも立ち上がった。

「ご一緒します」


夜の港町は昼間の喧騒が嘘のように静かだった。

「夜は静かな街なんだな」

王子が大きく伸びをする。

「そうですね」

リアムは本を抱えたまま海を見ていた。

その時、突然二人の周りを五人の白い鎧の兵士たちが囲んだ。王子が思わず声を上げる。

「何だ!?」

「お前がルシタル王国の王子、ロクサスだな。一緒に来てもらおう」

白い兵士が一人、じり、と近づいてくる。

「なんなんですか、あなた達!」

リアムも叫ぶ。しかし白い兵士たちは小さな従者には見向きもせずにロクサスだけを狙っていた。

「かかれ!」

白い兵士達が一斉にロクサス目掛けて突っ込んできた。王子も剣を背中から抜いて臨戦態勢に入ったが、その時一人の黒い装束の男が現れてロクサスを庇った。

「誰だ!?」

漆黒の髪をオールバックにかき上げ、長い部分の髪は短い三つ編みにしている。それに左頬の傷跡。青い服の上に短い黒いマントを付けていた。剣士のようであったが、この辺りでは珍しい格好をしている。

黒い男は答えずに、白い兵士たちを見遣ると剣を構えた。

「邪魔だ、どけ!」

兵士の1人は叫ぶと、剣を振りかざして男に斬りかかろうとした。──が、次の瞬間、血を流して倒れたのは、白い兵士の方であった。黒い装束の男は、一瞬で相手の剣を受け流しこれを切り伏せたのである。

「小癪な!」

もう一人がさらに黒い男に斬り掛かろうとするが、これもあっさりと受け流し返り討ちにする。白い鎧が赤く染まる。

「怪我はないか?」

男が王子達に振り返って尋ねる。

「大丈夫だ。 お前はいったい……?」

「……北のナード大陸の者だ」

「!!」

「敵!?」

ロクサスは驚きながら目を鋭くし、リアムも身構える。

しかし、男は首を振った。

「すまない、ナードの戦いに巻き込んでしまったようだ。 信じて貰えないかもしれないが、俺はこちらに……ルシタル王国に危険を知らせにきた」

「危険?」

ロクサスが緊張を解いて尋ねる。

「ああ、ナード大陸の奴らはルシタル王国を狙っている。 それを報せに来た。 それと」

さらに白い兵士が王子の後ろから襲ってきたので切り伏せる。

「この連中は危ない。 気をつけろ」

男がさらに剣を構え直すと、これは勝ち目がないと思ったのか、白い鎧の兵士残り二人は逃げていった。

「そうか。 助けてくれてありがとうな。 お前名前は?」

王子はさっきの鋭い眼光が嘘のようにニカッと笑って言った。

男はまだ少し幼さが抜けきらない相手のくるくる変わる表情に少しだけ驚きながら、彼もまた短く答えた。

「ラシャドだ」

「俺はロクサス。ロクサス・リドリア・ルシタル。ルシタル王国の王子だ」

ここまでずっと真顔だった男の顔が、初めて変わった。びっくりしたような顔である。まさか助けた相手が王子だとは思わなかったんだろう。それくらい、ロクサスの格好はラフなものだった。

「それは失礼した、私はラシャド。今は亡きサタグルの騎士だった者だ」

リアムが首を傾げる。

「騎士だった?」

「はい。 サタグルは蹂躙され、私の仕えるべき主人はこの世を去りました。 その主人の言いつけなのです。 ルシタル王国にこのことを伝えて欲しいと……かの王には恩があると。 だから危険を報せて欲しいとの最期の言葉でした」

ロクサスは深く頷いた。

「そうか、感謝する」

「王子と仰いましたが、国王はやはり王都に?」

「そうだ。 今は俺がこの軍を率いてきた。 王都に行くなら一緒の方がいいだろう」

「信じるのですか?」

リアムが王子に問いかける。

彼はラシャドと名乗った男を見て言った。

「さっき助けてくれたし、何となく嘘ではないと思う」

「何となく、ですか」

「ああ」

ラシャドは申し訳なさそうにリアムを見た。

「すまない、いきなりこんな事を言われて信じろという方がおかしいとは思うんだが、今は何も証拠はなくてな。 怪しいと思うなら縄で縛って行って貰っても構わないが……」

「そんなことはしませんけど……」

ちょっとだけ頬を膨らませるリアムの背中を王子が叩いて笑った。

「そんな拗ねるなよ。 ラシャドは俺たちに本当に信じて欲しいだけだと思う。 お前が野蛮なやつに見えた訳では無いと思うぞ」

「重ね重ねすまない、少年。 気分を悪くさせる気はなかったんだが……」

黒い装束の男が詫びると、リアムは目を逸らして一言、別にと言った。それを見て王子にがまた少し吹き出して、ラシャドに向きなおった。

「こいつのことは気にしないでくれ、少しばかり気難しい奴なんだ」

ラシャドは再びリアムに向かって頭を軽く下げたが

、小さな従者はまだ少しむくれているようだ。


その後数日は港町に留まり様子を見たが、もう船団が襲ってくる様子はなかったので、ロクサス達王子軍は港町をシルシュア軍に任せ、連れてきた近衛兵の一部とラシャドを伴って王都まで引き返す事にした。

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