学校外で会えるまで

蓮之助/Karhu

第1話 一目惚れ

 三月の暖かい気温によって早咲きしてしまった桜は、四月の入学式には散ってしまっていた。

 散った桜の花びらは校内を桜色に彩り、時々吹く強い風にのって舞い上がる光景を、二階の教室から椅子に座ったまま覗き込む。

 美しく、そして儚いその光景を見ながら、入学式で紹介されていた“らしい”担任の先生が来るのを待つ。


 らしいと言うのも、私は入学式の当日に寝坊し、遅刻しかけた。これからの三年間が楽しみで、不安で、想像しては胸を踊らせ、気づいたら空の色が濃い紫から、下へ向かって明るい水色になりかけていた。それをポジティブに捉え、朝焼け前の優しい色で、一日の始まりを優しく教えてくれる光景を見れたことに喜び、そしてすごく焦った。


 睡眠時間が流石に短すぎるとなんとか眠ったが、眠れた時間は三時間もなかった。

 そんな状態で入学式に出たため、校長先生の挨拶も、ポヤポヤした頭のせいで記憶に残っていない。


 担任の先生がどんな人か欠伸をしながら想像して待っていると、教室のドアが音をたてながら開いた。音に反応し他の生徒が喋るのをやめ、姿勢を正すのを横目に、私は入ってきたであろう先生へ、桜の花びらから目を移す。


 綺麗に切り揃え、天使の輪のできた黒髪のショートヘアを揺らしながら、緊張した顔で教卓まで進んでいく。

 その姿を鼓動の早くなった心臓を抑えながら見つめる。ポヤポヤしていた頭が不思議と冴えていく。目が離せない。何故か、さっき見た桜の花びらが舞い上がる光景を思い出す。


 教卓まで行くと、小脇に抱えていた茶封筒を置き、反対側の黒板を見つめながら深呼吸し、薄く艶のある唇を動かす。

「入学式でも自己紹介しましたが、改めて自己紹介をします」

 低めの透明感のある声で自己紹介を始める。

「これから一年間共にします、日和ひより花蓮かれんです。担当科目は国語です、よろしくお願いします」

 髪の右側を留めている、淡い黄色の楕円形のバレッタが、暖かい日差しをキラキラと反射しながら、右耳が赤く染まっているのを見せている。


(バレッタ、似合ってるなぁ……)

 右耳とバレッタを、私は自然と目で追ってしまう。

 目で追いながら、何故私は入学式に寝坊してしまったんだろうと、ものすごく後悔している。


 今、目の前で端正な顔を生徒に向けられず、視線が床や壁に向いている先生は、入学式では違った表情をしていたかもしれない。

 更に後悔し、先生から一時たりとも目を離さぬ意気込みで見つめる。

「四月のスケジュールを説明します、プリントを配りますね」


 茶封筒からプリントを取り出す手は、指先が少し赤くなっていて白い手の甲と相まって、色っぽく見え、その手が最前列の席からはよく見える。

 先生が一列の人数分、プリントを片手にとり、窓側に歩みだす。

 先生が近づいてくる。特別なことではないのに嬉しくて、ドキドキしてしまってずっと見つめていた視線を一瞬、先生から外す。


 「説明するので一緒に見てくださいね」

 少し硬い笑顔で、そう一言添えてから置かれたプリントを後ろに回す。

 先生がプリントを置くとき、ふわっと花の香りがした。優しい香りで、ずっと香っていたい香りだ。


 プリントを置くときにバレッタがよく見えて、少し濃い目の黄色で花の模様があしらわれていた。さっきは日差しを反射して、キラキラ光って見えなかったみたいだ。

 花が好きなのかな、花が好きならどんな花が好きなのか気になる。


 あまり見すぎても目立つため、一瞬、先生の後ろ姿を見てから、机に置いてあるプリントに目を通すが、一瞬見た後ろ姿が魅力的でプリントの内容がいまいち入ってこない……。

 スタイルのいい中性的な体が、黒いシャツも相まって更に、細く見え、腰の細さが際立っていた。スラックスも黒で統一感があり、遠目から見るとミステリアスな雰囲気だ。


 プリントをいじる音が響く教室に、先生が履いている革靴の靴音が響く。

 靴音を聞きながら、頭を左右に軽く振り、もう一度プリントに目を通す。

 四月のスケジュールは新入生ならではの行事ばかりだった。健康診断や部活紹介・見学、委員会説明など。今までの私だったら健康診断は気分が上がらなかったと思うが今は違う。


 行事のある無し関係なく、先生に会える。それが嬉しい。ホームルームで会って、授業でも会える。想像するだけでも、ワクワクしてくる。

 ワクワクし、軽く体を左右に揺らしながらプリントを見ていると、先生がプリントを配り終え、教卓に戻ってくる。


「プリントをみてください」

 その場でプリントを見ながら、四月のスケジュールを読み上げ、細かく説明していく先生を見つめる。

 先生がいる教卓からは最前列があまり見えないため、きっと席替えまでバレないだろう。

 そのことに、また嬉しくなり、顔が緩むのを自覚する。

 先生がスケジュールを説明し終え、先生が見ていたプリントから顔を上げる。


「何か質問はありますか」

 先生の言葉に、私含め数人が首を横に振った。

「分かりました。……他クラスより少し早いですが今日は、これで解散です。下校の準備を始めてください」

 教室が少し騒がしくなる。下校の準備に入る他の生徒にならって、私も準備をするが、机に出してあったペンケースやプリントをリュックに仕舞うだけですぐに終わった。


「下校準備が終わったら、下校して平気ですよ」

 この高校は新設されてから十七年と、近くの他校より短く、他校とは違う仕組みを色々と設け、生徒が通いやすいようにしている。

 その内の一つが、授業の前後に挨拶がないこと。入学前の学校説明会で言っていた。そのため、その言葉に数人が立ち上がり、先生に軽く会釈してから教室を出ていく。

 その流れに続くように立ち上がり、先生を数人の生徒が囲んで、質問を始めていた。


 その輪に入ろうかとも思ったけれど、“質問しにきた生徒”の一人になってしまうのが残念な気がして、結局リュックの中身を見ながら会話を聞いてしまう。

 質問の内容は、バレッタを何故付けているのか、年齢は、身長は、といった具合だった。

 質問の答えは、バレッタはお守りで、年齢は二十六歳、身長は百七十センチだと答えていた。


 聞きたかったことを聞かれてしまい悲しみながらも、両親の年齢差と同じ十歳差だと知り、両親に許容されやすそうだと、心の中で舞い踊る。身長差も五センチ程度で、顔をよく見える身長差で良かったと、舞い踊る私に、桜の花びらが頭上から舞い落ちてくる。


 バレッタがお守りなのはなんでだろう。

 先生に質問していた生徒が、教卓に脚をぶつける大きな音が響き、その音で少し冷静になる。

 改めて考えると自分でもわからない、心の中で舞い踊るほどに先生を好きになった理由。それを知るために、これから沢山話してみないと。そう思い、一度深呼吸をする。

 質問を終え満足した様子で教室を出ていく生徒を見送り、リュックを持ったまま先生に近づく。


 いつの間にか他の生徒は帰っていて、私と先生の二人きりだった。

「日和先生」

 心の中でも言うのが勿体ない気がして、言わなかった先生の名字を、ゆっくり弾まないように、でも結局、弾んでしまった声色で呼ぶ。

「はい、どうかしましたか」

 少し首を傾げながら、先生が私の目を見て、何か質問ですか、と優しい声色で聞いてきて、その姿に顔が緩みそうになるのを必死に抑え、通常の笑顔に留める。

「質問じゃなくて、先生を見てから伝えたいことがあって」


 緊張して早まる鼓動の音を気にしないよう、口を開く。

「そのバレッタ、とっても似合ってます。淡い黄色が、日和先生の綺麗な黒髪にあっていて」

 綺麗だと似合っていると、そう言うだけに、ここまで緊張するとは思わなかった。心臓の音がさっきより大きくなった。

「…………」


 先生からの反応がなくて、俯き後悔する。先生相手とはいえ、生徒が褒めるような行動は良くなかったかなと思い、一度目を瞑り、先生の顔を仰ぎ見る。

 先生の顔を見ると、先生は耳と頬を真っ赤に染めて、目を見開いていた。

 「……ありがとうございます。似合っていると言われたことがなかったので、戸惑ってしまって」


 そう言い俯く先生を見て、先生に対して失礼かもしれないがとても可愛いと思った。言われ慣れていないのなら、失礼にならない程度で沢山いいと思うことを先生に伝えようと、心に誓う。

 顔を上げた先生が、こちらを見るのを待ち、質問はないことを伝える。

 リュックを背負い、教室のドアへ向かう。

「さようなら!」

 そう挨拶し教室を出ると、後ろからさようなら、と少し大きな声で返ってきた。


 教室から少し離れた場所で顔を手で覆い隠し、その場でジタバタする。この嬉しくて、楽しくて、舞い上がってときめく心に比例して、体が動いた結果だ。

 一目惚れだ、誰がどう言おうと一目惚れ。とっても大事で綺麗だと思う人に出会ってしまった。

今日、出会うことは運命だったのかもしれない。


 恋は理屈じゃない、そう言っていた人がいたがその意味をやっと理解できた。

 好きな理由は説明できない、だけど好きだ。

 今から学校生活が楽しみで仕方がない、目標も沢山できた。

 先生の担当科目を得意科目にし、クラス内でいい点を取ること。先生とたくさん話すこと、先生とお昼をともにするなど、上げ始めたらきりがない程に出てくる。


 その中での一番の目標は、先生を三年間で恋に落とすこと。

 これから三年間、先生と話す機会はいくらでもあって、いくらでもつくれることに心を弾ませ、実際に少し跳ねながら下駄箱へと向かった。

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