第25話 これがわたくしのご主人様


「オッホッホ、先日の仕事もワタシの主人が見事にこなしましたのよぉ」

「シェルリィさんのご主人様は優秀ですものねぇ」

「羨ましい限りですわぁ」

「オッホッホ」



 人間の子供が幼くして亡くなると、死神になるか否かの選択肢が与えられる場合がある。

 その子供たちは立派な死神になるために冥界にある学校へと通うのだが――ここは、その死神の相棒となるための猫が集まる猫学校だ。あちらこちらから「にゃんにゃん」と猫の鳴き声が聞こえてくる。


 校庭の一角をトイフェルがするりと通り抜けようとした時、そんな会話が聞こえてきた。

 そして猫たちの猫目は、目敏くトイフェルの姿を捉える。



「あら、トイフェルさんじゃありませんこと?」

「あらまあ、ほんと」

「アナタ未だに野良なんてやっていますの?」

「ダメですわねぇ、アナタ野良歴はいかほど?」

「オッホッホ、まあアナタの場合はその毛のせいで誰もパートナーにしたがらないんでしょうけど」

「そうですわねぇ、真っ黒だなんて不吉ですし色気も何もありませんもの。その点、シェルリィさんは純白の毛並みでお美しいですわぁ」

「まったくです、まるで光り輝いているかのようではありませんか」

「イヤですわイヤですわ、そんなに褒めても何も出ませんことよ。オッホッホ」

「(口を挟む隙もない)」



 トイフェルはひと通り猫たちの自慢話を聞くと、特に何か言葉を返すでもなくさっさと校舎の隣に設置された猫寮へと入っていく。

 言葉を返そうにも返せなかったのだ。トイフェルが何かを言うよりも先に、シェルリィとその取り巻き猫たちは真っ白な毛並みを持つ大層美しいシェルリィを蝶よ花よと褒め称える。


 いつものことだ。シェルリィの主人は優秀な死神で、冥界ではそれなりに名の知れた一人だった。

 優秀な死神をパートナーに持つ猫は、冥界の猫たちから一目置かれる存在となる。実力のある死神に仕えるということは、猫たちにとって重要なステータスなのだ。



「(野良歴……と言われても、わたくしは主人など持ったことは一度もない……)」



 トイフェルは、これまで死神のパートナーになったことは一度もない。

 昔は――なんとかパートナーになろうと頑張ったものだ。気に入ってもらいたくて愛想を振り撒いてみたこともある。


 だが、どの死神もトイフェルの真っ黒な毛を見ると嫌な顔をしたり、苦笑いをしたりして立ち去っていった。そんなことを繰り返しているうちに、トイフェルはどんどんヒネくれていった。そして、達観と諦念が当たり前となってしまったのだ。


 自分を相棒にしてくれる死神なんてどこにもいないのだと――諦めた。

 その方が、頑張って愛想を振り撒くよりもずっと楽だったから。


 だから、自分は野良でいい。

 どんなに頑張っても見向きもされずに終わるなら、最初から頑張らない方が惨めにならずに済むから。



 * * *



「はあ……」

「どうした、お前が溜息など珍しいな」

「猫にだって溜息を吐きたくなるくらい憂鬱な時もあります」



 書斎で書類整理をするトートは、ふと鼓膜を揺らした溜息に気付いて視線を上げる。

 溜息の出どころは、窓辺でくつろぎながら惰眠を貪っていた相棒猫だ。ふさふさの尾はへにゃりと垂れていて、普段よりもなんとなく元気がなさそうだった。

 すると、トイフェルはちらりとトートを見遣り、いつものように優雅な足取りで傍まで歩み寄ってくる。



「トートは本当に変なお方だと思っていただけです」

「聞き捨てならんな」



 トートの足元まで歩み寄ったトイフェルは一度主人を見上げると、これまたいつものように椅子に座す彼の膝上へと飛び乗る。書類整理をしていようとなんだろうと、お構いなしに。猫は自由な生き物なのだ。

 トートは手にしていた書類とペンを机の上に置くと、腰掛ける椅子の背もたれに身を預けて寄りかかった。



「トートはなぜ、わたくしをパートナーにしてくださったのです?」

「お前が言い出したんだろう、これからは自分が傍でサポートすると……」

「ですが、断るという選択肢もあったはずです」



 突然の問いかけに、さしものトートも相棒の言わんとすることを計り兼ねて眉を寄せた。

 トートとトイフェルが相棒になったのは、トートが冥界案内人を育て上げる学校を卒業したその日だ。今後は自分が傍でサポートするから、と自然な流れで相棒になったのをトートは記憶している。断るべきだったのかと、ゆるりと首を捻った。



「……冥界案内人は、簡単に言うなら死神です。死神は不慮の事故で殉職する際、魂そのものが消滅してしまいます。それは文字通りの死です。魂はそれ以後は永遠に巡らず、完全に消失するのです」

「知っている」

「だから、死神は不吉に感じられるものを傍に置きたがりません。……わたくしのこの毛を見てください、真っ黒です。黒は死を想起させる色として忌み嫌われてきました。こんなわたくしを好き好んでお傍に置いてくれる死神なんて、今まで誰一人いなかったのですよ」



 淡々と語られる言葉の中には、戸惑いや悔しさ、悲しみなど様々な感情が感じられた。

 トートはこちらに背を向ける相棒の後頭部を暫し無言で眺めた末に、改めて書類に手を伸ばして仕事に戻る。その様をちらりと横目に見遣り、トイフェルは目を細めた。


 本当は話すかどうか、悩んだのだ。もしこの話をして、トートが自分を見限ったらと――そう思うと恐ろしかった。それでもこうして打ち明けたのは、安心がほしかったからかもしれない。

 居心地の悪い沈黙に珍しく黙り込みながら、トイフェルは尾を垂らす。



「俺は逆に、お前のその色を気に入ってるんだがな」

「は?」



 痺れを切らしかけた頃、まるで思い出したように声が掛かった。トートのことだ、特に答えなど必要していないと思っていたのかもしれない。本当に返事を忘れていた可能性さえある。

 けれども、その返答はトイフェルにとってはあまりにも意外過ぎた。今まで誰にも気に入ってもらえなかったこの色を、なぜこの主人は気に入っているのだろうかと、トイフェルは怪訝そうな様子でトートを振り返る。

 すると、当のトートは書類に目を向けたまま、至極当然のことのように口を開いた。



「黒はそう簡単には他の色に染まらない。だからお前は今後も変わらないものだと思っているし、そんなお前だからこそ信頼しているつもりだ」



 トートのその言葉に、トイフェルは猫目をまん丸くさせた。

 そうして、一度自分の身体を見下ろす。どこまでも真っ黒い毛で覆われた身体を。



「(……わたくしの、こんな毛を……そんなふうに……)」



 今まで、誰にも気に入ってもらえなかった。

 不吉なものだと忌み嫌われて、いつだって見向きもされなかったのに。

 ふと起こした気まぐれが、こんな結果に結びつくとは思わなかった。あんなにも小さくて幼かった子供が、今や言葉にし難い安心を与えてくれるようになったとは。


 そこまで考えて、トイフェルは今し方乗ったばかりのトートの膝の上から降りて、再び窓辺へと戻っていく。



「……トートはやはり、これ以上ないくらいの変人ですね。手に負えない変態レベルです」

「なぜそうなる、聞き捨てならん」



 そんなふうに毒づくことだけは忘れずに。

 窓辺で丸くなると、心地好い睡魔に襲われた。これならもう嫌な夢は見ないだろう。


 今やトートの活躍は、冥界で知らない者はいないほどのものになった。つまり、トイフェルの主人であるトートは、それほどの力を持つ優秀な死神なのだ。

 今度冥界に戻ったら、シェルリィたちになんと言ってやろうか、どう自慢してやろうか。これまで散々皮肉を言われてきたのだから、今こそ見返してやりたい。


 そこまで考えて、やめた。

 馬鹿らしい。自分の自慢の主人のことを、ひとつたりとも周りになんて教えてやるものか。

 大好きな主人のことは、自分だけが知っている――謂わば二人だけの秘密の共有だ。それをなぜ不特定多数に教えてやる必要があるのか。



「(噂で聞いて散々想像すればいいんです、トートがいかに優秀で素晴らしい死神であるのかを。わたくしは何ひとつ教えてなんてやりませんから。トートに関する情報は、全部わたくしのものです)」



 それは、相棒である自分だけの特権。

 ささやかな優越感に浸りながら、トイフェルは再び昼寝を始めた。

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