第9話 「ただ知りたかったんです」


「待ってください!」



 学園からマンションへと戻ったトートは、不意に聞こえた声に反応して後方を振り返る。自分に掛かったものとは思わなかったが、何かしらの騒ぎかと思ったのだ。

 けれども、振り返った先にいたのは――ほぼ間違いなくトート本人に用があると思われる少女だった。


 有栖川奏恵ありすがわかなえのいじめ被害に遭っていたあの女子生徒、西園寺だ。息を切らせているところを見ると走ってきたのだろう。――どこから、とはトートの知るところではないが。



「あ、あの、有栖川さんのこと……もしかして、あなたがやったんですか?」



 思っていた通りの問いに、トートは無表情のまま彼女を見つめ返す。肯定でも否定でもないその様子に、西園寺は暫し黙り込んでいたが、数拍の沈黙の末に脇に下ろした拳をきゅ、と握り締めて視線を下げた。

 トートの肩に乗っていたトイフェルはぴょん、と地面に降り立つとふさふさの尾をゆったりと揺らしながら代弁するように口を開く。



「そうだと言ったら、どうなさるのです?」

「……どうも、しません。ただ知りたかったんです」

「知りたい? 何をです?」

「どうしてそんなことをしたのか、とか……色々なことです……」



 トイフェルの問いかけに、西園寺の言葉は段々と勢いを失い尻すぼみになっていく。


 いじめという行為を受ける者は、その期間が長ければ長いほど自分に対する自信というものを失っていく。この西園寺も例に漏れずそうなのだろう。自分の発言がどう思われるか、そう思うがあまり徐々にその勢いを失くしてしまうのだ。

 トートはそんな彼女を暫し眺めていたが、そもそもの疑問をそのままぶつけた。



「……尾行してきたのか?」

「……えっ? い、いえ、あの……私もこのマンションに住んでるんです。帰ろうと思ったらあなたの姿を見つけて……」



 西園寺の返答に、トートとトイフェルは言葉もなく一度ちらりと高層のマンションを見上げた。

 都心にほど近い場所に建つマンションだ、交通の便は当然良い方だと言える。彼女がこのマンションに住んでいても、別におかしいことはない。


 しかし、なんとも奇妙な偶然だと思った。少し脅してやれば、不用意に近付いては来ないだろうとトイフェルは西園寺に向き直ると、猫目をぎょろぎょろと輝かせながら改めて言葉を向ける。こほん、とひとつ咳払いを挟んでから。



「いいですかお嬢さん、我々には関わらない方が身のためです。確かに有栖川奏恵を処理したのは我々ですが、それは単純にお仕事だったから――それだけです」

「お仕事……有栖川さんを、殺す……ことが?」

「彼女はこれから先の未来でも多くの者を虐げ、その者たちの命を脅かす危険人物の一人として冥界が警鐘を鳴らしたのです。それゆえに、現世を生きる者たちを守るために彼女を処理させて頂きました」



 いくら自分をいじめていた者と言えど、カナの死は彼女にとって大きな衝撃となっただろう。夕陽に照らされてあまり分からないが、その顔色は多少なりとも蒼褪めている。見るからに調子が悪そうだ。

 淡々と告げるトイフェルの言葉をどれほど理解できたかは定かではないが、西園寺は程なくしてか細い声で再び言葉を紡ぐ。



「あなた……たちは、一体何者なんですか……?」

「冥界案内人。一言で説明するのなら――死神です」



 死神――世界規模で恐ろしいものとして認識されている存在だ。

 こう告げれば、誰もが近付こうとはしない。これまで彼女のようにトートやトイフェルの姿を視認できる者は多少なりとも存在はしたが、そう告げてやれば真っ青になって逃げ出して行ったものだ。


 だが、それでいい。辺りをふらりと死神が歩き回っているなど、人間が知る必要はないのだから。


 そんな時、「あや!」と、遠くから女性の声が聞こえてくる。

 その声に反応して西園寺はそちらを振り返った。すると、手を振りながら小走りで駆けてくるひとつの姿。



「お母さん!」

「彩、今帰ってきたの? お腹すいたでしょ、すぐ晩ごはん作るからね」



 それは西園寺の母親だった。彼女も今、勤め先から帰ってきたばかりなのだろう。

 そこでハッとなって西園寺はトートの方を見たが――そこには、既に誰もいなかった。まるで最初から誰もいなかったかのように。



「(死神……でも、私にとっては……)」



 カナがあのような無惨な姿で亡くなって、彼女とてショックは受けている。

 けれども、どこかホッとしている自分もいるのだ。そのことに自己嫌悪しているし、どう思うのが正解なのかも分からずにいる。

 彼に理由を聞けば納得できるかもしれないと思ったが、結局答えは出ないまま彼女の心はグチャグチャだった。



「彩? どうかしたの?」

「……ううん、なんでもない。お母さん、ごはん作るの私も手伝うね」

「ふふ、ありがとう。さあ、帰りましょ」



 母の不思議そうな言葉に西園寺は一度小さく深呼吸をすると、その顔に笑みを浮かべて振り返る。

 そうして帰宅すべく、母と共にマンションの中へと入っていった。

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