元婚約者同士
遠くの空が明るくなり、夜明けが近くなってきた頃。皇妃様から聞いた情報を頭の中で反芻して、思わずため息が洩れる。
皇帝は以前から世界征服を企んでいたらしく、皇妃様はその都度反対を述べていたそうだ。周りも彼女に賛同することが多かったようだけど、今回グレイスやカースの存在もあって、これまで反対派だった者たちも乗り気になってしまったらしい。
カースたちは城の地下深くに監禁され、ほぼ洗脳状態にあるとのこと。
満足に食事を与えず、日々暴力を振るわれ、罵詈雑言を浴びせられながら「お前たちがそれだけ苦しまなければならないのは神のせいだ」――繰り返しそう聞かせては、神こそが悪だと信じ込ませ続けているらしい。
「(……そうなると、ヴァージャがこの城に来るのはマズい)」
皇妃様の話では、皇帝は来たるべき神との戦いに備えてカースたちの力を高め続けているそうだ。いくら神でも、カースの力の影響は受ける。並々ならぬ憎悪の力を複数人から向けられれば、ヴァージャがどれだけ規格外でも……きっと危ない。
と言っても、オレはこの部屋から出してもらえないみたいだし、目を覚ました時に確認したようにこの部屋はとんでもなく高い場所にある。皇妃様が逃げ出す方法を考えてくれるそうだけど、あまり悠長なことも言っていられない。
取り敢えず窓を調べてみるけど、窓の外はバルコニーがあるわけでもないし、外の窓枠部分に非常に細い縁があるだけ。つま先立ちになればギリギリ歩けそうだけど、……どうかな、行こうと思えば行けそうか?
「ん?」
そんな時、不意に部屋の扉を叩く音が聞こえた。皇妃様かシファさんが来たのかと思ったけど、それにしては扉の叩き方があまりにも乱暴だ。まさか皇帝……と思ったけど、あの男にノックをするような可愛げがあるとは思えない。わざわざ来訪を知らせるよりも問答無用に扉を開けてくるようなやつだろう。じゃあ誰だ。
扉まで歩み寄って開けてみると、開いた隙間から腕が伸びてきて胸倉を掴み上げられた。
「なん……ッ!?」
「てんめぇ……! 陛下の相手をしなかったとは、どういうわけだ!?」
その突然の来訪者は、リュゼだった。リュゼはオレの胸倉を掴み、体当たりでもかますような勢いで部屋の中に押し入ってきたかと思いきや、普段は胡散くささしかない顔にありありと憤りを乗せて声を荒げた。どうやら、オレが皇帝にいいようにされなかったことに腹を立てているらしい。一応ノックらしきものはしたけど、こいつにも可愛げなんてないな。
「……別に、あんたには関係ないだろ」
「そういうわけにゃいかねえんだよ。お前さんが陛下に気に入られないと、こっちが困るんだ。皇帝陛下に従え、服従しろ、誰よりも気に入ってもらえるように媚びろ!」
なんだなんだ、いったいどうしたんだよ。リュゼという男はこちらを小馬鹿にしたようなタイプの文字通り胡散くさい男だと思ってるけど、こうまで激昂する意味がわからない。自分が連れてきたグレイスが皇帝に気に入られないと、何かペナルティでもあるのか?
よくわからないけど、このリュゼの様子は普通じゃない。遠慮も何もなく胸倉を掴まれているせいで地味に苦しいし、どうすべきか。
「……何やってんだい!」
そこへ、凛としたよく通る声が響いた。リュゼの肩越しに見えたのは、朝食を持ってきてくれたシファさんと、皇妃様の姿。シファさんは青い顔をしてるし、声を上げたのは間違いなく皇妃様の方だ。リュゼは彼女たちの姿を確認するや否や、幾分か表情を引き攣らせて慌てたようにオレの胸倉を解放した。
けど、皇妃様はその綺麗な顔を歪めて大股で歩み寄ってくるなり、オレとリュゼの間に割って入る。そうして、片手を突き出してリュゼの身をドン、と押した。
「ご、誤解だ、誤解なんだよ。俺はお前のためを思って……」
「あたしのため? リーヴェを
「そうじゃない! そいつが陛下に気に入られれば、お前は自由になれるかもしれないんだぞ! そうなったら街に戻ってイチからやり直そう、俺はまだ……」
そのやり取りを聞いて、ふと思い出した。
リュゼとはル・ポール村の人さらい騒動の時に初めて会ったわけだけど、あの研究所で確か――
『……ふむ。“ユーディット”というのは、お前が焦がれる女の名か? 随分と執心しているようだが』
ヴァージャがリュゼの頭を覗いて、そんなことを言っていたはずだ。オレはその時に皇妃様の名前を知ったわけで。それに、皇妃様は婚約者がいたって話だし……そうか、そういうことか。このふたりは、元はそういう仲だったのか。それが、皇妃様を皇帝に奪われて……婚約者を奪われる気持ちは痛いくらいよくわかるから、何も言えないや。
そんなことを考えていると、皇妃様が片手を振り上げて思いきりリュゼの頬にビンタをかました。室内に乾いた音が響き渡り、オレが叩かれたわけでもないのに胃の辺りがぐっと縮こまるようだった。
「……あんた、このあたしが人様を犠牲にして喜べるような女だと思ってんの!?」
「い、いや、そんなことは……」
……そうだな、まだ知り合って間もないけど、皇妃様はなんていうか……姉御肌の女性だ。快活で正義感が強く、曲がったことがメチャクチャ嫌いそうな。皇妃様の地雷を思い切り踏み抜いてしまったリュゼは忌々しそうにこちらを睨みつけてくるけど、オレは何もしてないだろ。
ピリピリと空気が張り詰めたこの状況をどうしたものかと思っていると、不意に身体が揺れたような気がした。一拍ほど遅れて、爆発音のようなものまで聞こえてくる。
「な、何事だ!? くそッ、ユーディット、あとでまた話そう! すぐ戻る!」
突然の揺れに、リュゼは早口にそう告げると皇妃様の返答も待たずにバタバタと部屋を出て行った。シファさんは皇妃様の傍に寄って、不安そうにその顔を曇らせる。
慌てて窓の方に寄って外を見たものの、状況は思っていたよりもずっと悪そうだった。
この城の出入り口方面からもくもくと黒煙が上がっている。何らかの攻撃を受けたようだけど、帝都に攻撃を仕掛けてくる連中なんて他にいない。遠くを見れば、この帝都を包囲するように黒い何かが展開している。ジッと目を凝らして見てみると、それはどうやら人の塊のようだった。……多分セプテントリオンの連中だとは思うけど、あの組織にあんなに人いたっけ? 帝都を人の群れで包囲できるくらいとなると、軽く考えても千近くは必要そうだけど……。
いや、そんなことより――ヴァージャをこの城に近づけるわけにはいかない。
「ちょ、ちょっと! リーヴェ、どうするつもり!?」
「悪いけど、オレにだって大事なやつがいるから大人しくしてるわけにはいかないんだ、窓ぶち破って逃げたとでも言っといてくれ!」
近くにあった豪華な造りの椅子をひっくり返す。それを見て、当然皇妃様が声をかけてきたけど、止まるわけにはいかない。両手で椅子を持ち上げると、躊躇いなく大窓にぶち当てた。直撃を受けた大窓は派手な音を立てて綺麗に崩れ、辺りに破片が散乱する。
オレは塔の上のお姫さまじゃないんだぞ、ここで大人しくしてられるか。
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