《親》
サクラに呼ばれて皆が集まる方に足を向けると、そこには目を覚ました帝国兵たちがいた。全員後ろ手に両手を縛られて座り込んでいたが、敵意のようなものは感じられない。私たちの姿にいち早く気付いたディーアは、こちらを捉えるなりその顔に安堵を乗せた。
「ヴァージャ様、ご無事でしたか」
「ああ、お前は……あまり無事には見えないが」
「はは、このくらい、少し休めば大丈夫ですよ。……それより、フィリアちゃん。あのおじさんって、もしかして……」
こちらに駆け寄ってきたディーアの身は、ボロボロと称すに相応しいほどにひどいものだった。身に纏っていた紺の長コートは上半身部分がほとんど原型を留めておらず、半裸に近い。むき出しになっている肌にはいくつもの傷が確認できる。手当てもまだまったくと言っていいほどにされていないようだ。その傍らでは犬が――召喚獣のトロイが疲れたように腹這いになっている。
しかし、当のディーアはそれらの傷を気にした様子もなくフィリアに向き直るなり、人だかりの方を指し示した。
ディーアが示した方向には、見慣れない一人の男の姿がある。白銀の髪を後ろに流した、精悍な顔つきの男だった。甲冑に身を包んでいるところを見ると、この帝国の騎士だろう。私やエルにはその男に見覚えはないが、フィリアは違うようだ。その男の姿を視界に捉えると、一切の動きを止めてしまった。
「ま、まさか……本当にフィリアなのか……!?」
それは男の方も同じだったようで、男はフィリアの姿を認めるなり精悍な顔を泣きそうに歪め、ふらりふらりと覚束ない足取りでこちらに歩み寄ってくる。その目が潤んでいるように見えるのは――恐らく、気のせいなどではないのだろう。エルと共にフィリアを見てみれば、彼女もほとんど同じような様子だった。信じられないと言わんばかりの様相で、ふらふらと男の方に歩み寄る。
「ぱ……パパ……!? パパぁ!!」
「おお、フィリア! こんなに美人になって……!」
その男は――フィリアの父親のようだった。
今よりも幼い頃に、皇帝によって無理矢理に親と引き離されたフィリアにしてみれば、これ以上ないほどに嬉しいことだろう。父に飛びつき、涙を流して喜ぶ様からは普段のませた様子は微塵も感じられない、今はごく普通の少女だ。……父娘の感動の再会と言ったところか、一番この光景を見せてやりたい男がこの場にいないということが、歯痒くてどうしようもない。
「……リーヴェに見せてあげたかったね」
「……ああ」
傍にいたグリモアが、静かにそんなことを呟いてくる。この男も人の心を覗けるのか、それとも思うことが同じだったのか――恐らく後者なのだろう。
静かにもらい泣きするエルの傍で、ディーアが疲れたように軽く横髪を掻き乱す。あちこち傷だらけではあるが、取り敢えずは元気のようだ。
「いや~……フィリアちゃんの親父さん、つっよいわ……」
「あ、じゃあ、ディーアさんのその怪我ってフィリアのお父さんに……」
「そ、マジかよってレベル。リーヴェに法術かけてもらってなかったら負けてたと思う。まあ、向こうはこっちを殺す気はなかったみたいだけどさ」
リーヴェの法術があっても全身傷だらけということは――グレイスの力を練り込んだ特殊な法術でも防ぎきれないほどの力の持ち主だったのだろう。並の相手ならば、ディーアの身に傷ひとつつけることさえ難しいはずだ。それを聞けば、フィリアの父がどれほどの手練れなのかは容易にわかる。
帝国にはフィリアの両親がいることを危惧していたが、この分だと彼女の親とは戦わずに済みそうだ。こうしている今も、父娘どちらも涙を流して再会を喜んでいた。
* * *
その後、フィリアの父は現在の帝国のことを事細かに教えてくれた。
彼はヘール・シュヴェーレンといい、帝国の騎士団に所属しているとのことだった。現在、この帝国フェアメーゲンは皇帝の世界征服を全面的に支持する強硬派と、現在のまま変化を求めない穏健派に分かれているらしい。フィリアの父であるヘール殿は穏健派に属し、無理矢理に連れてこられたグレイスやカースたちの姿に胸を痛める日々を送ってきたという。
今回、彼がこのアインガングまで来たのは、スコレット家が献上するグレイスを迎えるためだったそうだ。どれだけ変化を嫌っても、今のこの――強者こそが絶対である世では、言葉はほとんど意味をなさないのだろう。皇帝のやることに本気で反対だと言うのなら、力でその皇帝を超えるしかないのだ。
「我々は、皇帝のやり方には従えませぬ。ましてや、帝国領の外さえも支配しようなどと」
「そうです! お願いパパ、皇帝を支持しないなら私たちに協力して! 力とか才能とか、そんなの関係ない世界にしたいの!」
サンセール殿の言葉に即座に続いたのは、やはりフィリアだった。ヘール殿は隣に座る愛娘の頭を大きな手で軽く撫でてから、疲労が滲む顔をくしゃりと笑みに弛める。その後、すぐにしっかりと頷いた。
「無論、そのつもりです。帝都に潜入するのならば、私がご案内しましょう。お仲間が連れて行かれたとのことですが、グレイスを収容する場所は数多くありまして、その中のどれかかと……」
詳しい場所は不明……となると、やはりヴァールハイトで攻撃を叩き込むわけにはいかない。帝都もろともリーヴェも消し炭になる。冗談ではない。
ヘール殿は地面に帝都の簡単な図を描いて造りを教えてくれたが、そこへけたたましい笑い声が届いた。反射的にそちらを見てみれば、リーヴェと似た髪色をしたけばけばしい女の姿。後ろ手に両手を縛られたまま、愉快そうに高笑いを上げている。……この女がコルネリアか。
「アハハハっ! バカねぇ、私が産んだリーヴェはこれまでにないほどのグレイスの力を持っているのよ、他のグレイスどもと同じ場所になんているわけがないでしょう!? 私が、この私が産んだの! 我が子が陛下のお力になるのよ、お前たちは全員おしまいよ!」
「……」
「陛下にこれまでにないほどの力を与えるグレイスは、私が産んだ子! 私の子! 私の子供が、陛下を世界を治める覇王にするのよ! この、私の子が――」
「黙れ」
矢継ぎ早に喧しく言葉を連ねる女の声は、ひどく不快なものだった。この女、結局は我が身のことしか考えていない。皇帝の力になれるほどの子供を産んだ自分は優秀なのだと、そう言っているかのようだ。文字通り一言で黙らせると、女は憎々しげにこちらを睨みつけてくる。正直、そんな目をしたいのは私の方だ。
「リーヴェのあの力は、貴様があの子を捨てた後に時間をかけて育まれたものだ。貴様からの影響などひとつもない」
「な、んですって……!? そんなはずないわ! あの子のあの力は、私から生まれたお陰よ!」
まったく話にもならん。この女とは言葉を交わすだけ無駄だ。
……人間たちは婚姻を交わす際、互いの親に許しを求めて挨拶に赴くと言うが、全てが終わった後に私が挨拶に行かねばならないのはこの女ではなく、ミトラだ。この女がリーヴェの親だなどと、いくら事実でも認めたくもない。
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