幕間

雨の日の出逢いと思い出

 その日、ティラの胸はこれまでにないほどに踊っていた。

 ディパートの街で偶然目にしたギルドの仕事は非常に大きく重要なもので、この依頼を滞りなく済ませればこの辺りの統治権を持つ『ウラノス』に入ることだって夢ではないと思えるような。


 ディパートやスターブルに住む者たちにとって、ウラノスというクランは憧れである。彼らが統治権を持っているからこそ治安は保たれているし、魔物が暴れてもそれほど怖くないし、住まう者たちも平穏無事に暮らせるのだ。ウラノスなら、いつか一国を築くことだって夢じゃない――そう耳にしたことは、両手の指を使っても足りないほどにある。


 そんなウラノスの目に留まろうと、大きな仕事を受ける者は多い。この時、ティラもそのうちの一人だった。



 けれど、ティラはその大きなチャンスをモノにできずに終わった。

 彼女が受けた依頼は、ディパートの街とスターブルの街を繋ぐ街道に現れた『マンティスローム』という狂暴な魔物を倒すこと。ここ数日で行商人が何人も襲われているらしかった。ウラノスの面々がマンティスロームを討伐する前に倒してしまえば、当然ながら彼らから注目される。同じように考える者は多く、マンティスローム退治には多くの者たちが集まった。


 しかしながら、マンティスロームの強さは多くの者の想像を遥かに超えていて、二十人近く集まった者たちは、ティラを含めて全員が命を落とす寸前まで追い詰められたのである。


 クランメンバーと共に駆けつけたサンセールやエレナのお陰で死者は出なかったし、マンティスロームも彼らの活躍で無事に退治されたが、この一件はサンセールをはじめとするウラノスの面々の激しい怒りを買うことになった。



「手柄を立てることにばかり気を取られおって! そのような命知らずはウチには要らぬわ!」



 ウラノスはそもそも、この辺り一帯に住まう者の安全を第一に考えている。

 その彼らが自ら率先して自分の命を危機に晒したようなものなのだから、サンセールはそれはそれは激しく憤った。ウラノスのリーダーを務めるサンセールの怒りを買ったことで、マンティスロームの討伐に名乗りを上げた者たちの加入はほぼ絶望的となった。



「な、んでぇ……なんで、いつも……うまく、いかないのよ……」



 ティラはその足でスターブルの街まで戻ったが、宿で眠る気にはなれなかった。彼女は元々はスターブルの東にある小さな農村の出身で、田舎暮らしに嫌気が差して村を飛び出した身だ。


 華やかな生活をするには、お金、地位、名声、そして素敵なパートナー。

 それらを手っ取り早く満たせそうなのが『クラン』だった。この辺りの誰もが憧れるウラノスのメンバーになれば、きっと思い描いてきたような素敵な暮らしができると考えて、彼らの目に留まろうとひたむきに努力し続けた。


 しかし、どれだけ依頼をこなそうとウラノスからお声がかかることはなく、焦燥するばかり。それで受けたのがマンティスロームの討伐だったのだが、サンセールの怒りを買ってしまった以上は加入など認めてもらえない。それを考えると、底の見えない穴に落ちていくようだった。


 スターブルに着く頃には、空はティラの心情を反映したかの如く大粒の雨を降らせ始めた。バケツをひっくり返したように降りつける雨に打たれながら、ティラは路地裏で蹲った。ずっと目標としてきたものに拒絶されて、生きる希望さえ失っていた。



「……大丈夫?」



 そんなティラに傘を差し出して、心配そうに声をかけてきたのが――リーヴェだった。



 * * *



 薄暗い小屋の中、ティラは静かに目を開けた。

 エルたちに負けて撤退したウロボロスは、北の都アンテリュールの近くにある小屋で一夜を明かした。サクラにやられた右肩は一晩経って余計に痛みが増したようだ、静かに身を起こしたものの、決して無視できないような重い痛みが走る。



「(……サクラがおかしなこと言うから、随分と懐かしい夢を見たわね……)」



 最終的に自分がマックに選ばれる自信はあるのか――サクラのその言葉は、ティラの心を波立たせた。恐らくヘクセやロンプだって同じだろう。


 自信は――それなりにある。マックだってその気があったから自分をウロボロスに入れてくれたのだと、ティラはそう思っている。ほとんど最初からウロボロスにいたサクラやヘクセ、ロンプよりもずっとマックに求められているはずだとも。


 けれど――



「(……あのまま、リーヴェと結婚してたらどうなってたのかしら)」



 あの雨の日、リーヴェは失意の中にあったティラの面倒を甲斐甲斐しく見てくれた。男が女の世話を焼くなんて、どうせ身体目当てだろうと思ったが、手を出してくることさえなかった。雨に打たれて芯まで冷えた身体を温めるために作ってくれたスープは、今まで食べたどの料理よりもおいしかったのを今でも覚えている。


 あの頃のティラにとって、リーヴェの存在は何よりも優しく、暖かいものだった。誰でもいいから傍にいてほしかった、優しくしてほしかった。だから、リーヴェが喜びそうな女を演じたし、「大きなクランに入って無能でも普通に暮らせるような国を作りたい」とか、思ってもいない目標まで口にしたのだ。全ては、優しい人を傍につなぎ留めておくために。



 もし、マックの誘いを断ってあのままリーヴェと結婚していたら――きっと今よりもずっと強くなれていただろう。


 しかし、リーヴェには戦う力がない、クランのリーダーにはなれない男だ。だからティラにとって一番の理想は、マックとリーヴェが和解してリーヴェがこのウロボロスに入ること。だが、これまで反論などほとんどしてこなかったはずのリーヴェが自分に逆らったのだから、それが難しいことだというのはわかる。



「(……それなら、奪うしかないじゃない。あんな力があるってもっと早くわかってたら、他にいくらでもやりようがあったのに)」



 昔の思い出なんて、もう何の意味も持たない。ほしいものがあるなら、奪うだけだ。


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