ノクス・イデアル――偽名の理由

 拠点に戻ってから、ディーアは彼自身の事情を色々と教えてくれた。


 オレたちが思った通り、ディーアの本名はノクス――ノクス・イデアルというらしい。もちろん出身はヘルムバラドで、正真正銘マティーナの兄ちゃんだ。普段は服の下に隠れていて見えないけど、マティーナとお揃いのイルカのペンダントをちゃんと首から提げていた。


 引っ越し作業の休憩時間というのもあって、フィリアも加えてディーアが語る話に耳を傾ける。



「偽名を使ってるのは……もしヘマをして帝国に捕まるようなことがあったら困るからさ、帝国にヘルムバラドを攻める口実を与えることになっちまうからな」

「そっか、先に仕掛けてきたのはイデアルの長男なんだ、これは報復だ~ってやりかねませんね、帝国なら」

「ああ、……あの皇帝のことだ、大義名分を与えちまうと何を仕掛けるかわかったものじゃない。故郷と妹をそんな危険な目には遭わせられないさ、あそこには夢を見に大勢の人も集まるんだしな」



 なるほど、ヘルムバラドとマティーナのことを思っての偽名、か。マティーナの兄ちゃんってことは、国に戻れば最高責任者だろう。そういう立場のあるやつが表立って帝国に反発してるってのがバレたら、確かに帝国はヘルムバラドそのものを攻めそうだもんなぁ。



「……だが、お前はなぜそうまでして活動しているのだ?」



 すると、オレの隣に座っていたヴァージャが素朴な疑問を投げかけた。マティーナは確か、兄ちゃんはヘルムバラドの思想を広めるために旅に出た、みたいなこと言ってたよな。



「……ヴァージャ様は、ヘルムバラドをご覧になられましたか?」

「ああ、とてもよい場所だった」

「そうです、いい場所なんです、あそこは。才能や生まれに関係なく、誰もが平等でいられるまさに夢の国だ。けど、一歩外に出れば才能が全てで、右を見ても左を見ても力だの才能だのを持ってるやつが幅を利かせてる。ガキの頃に初めて島の外に出た時は地獄にでも来たのかと思いましたよ」



 地獄、か……才能とかまったく関係ない環境で育つとそう思うくらい、今の世の中ってひどいんだろうな。ヘルムバラドは本当にいい場所だった、居合わせる人たちみんな笑顔で、楽しそうで。生まれとか才能は関係なく、個人個人ありのままでいられるっていうかさ。



「俺がやってることはデカいお節介なのかもしれないし、結局何も変えられないのかもしれないけど……バカ言って、どうでもいいことで笑って、じゃれ合って、そうやってみんな肩肘張らずに生きれる方がずっといい世の中になりそうじゃないか」

「ディーアさん……」

「それに、皇帝はヘルムバラドの在り方を今の世には相応しくないと思ってるそうだし、遅かれ早かれ俺は帝国とはやり合うことになるんだろうさ」



 どうやら、オレたちが考えてたよりもずっとディーアの事情は複雑そうだった。これまで帝国は帝国で自分たちの領地――所謂「帝国領」で過ごしてたけど、皇帝がグレイスを世界中からかき集めて今よりもずっと力をつけたらどうなるかはわからない。ディーアの言うように、今の世界に相応しくない「誰でも平等」を掲げるヘルムバラドを目の敵にすることだって充分考えられる。


 ディーアのその話を聞いて誰よりも先に反応したのは、やっぱりフィリアだった。テーブルに両手をついて勢いよく立ち上がった彼女は、向かい合って座るディーアに詰め寄るように身を乗り出す。



「じゃあ、もしよければディーアさんも私たちのクランに入りませんか!? 私たちの最終的な目標は皇帝を倒して今の座から引きずり下ろすことですから、ディーアさんの目的から大きく離れてるってことはないと思うんです!」

「えっ?」



 またフィリアのやつ、久しぶりに直球でスカウトしたな。……オレもディーアのことは嫌いじゃないし、同じクランのメンバーとして活動できるなら心強いけど組織の副隊長をクランに引きずり込んでいいの? 大丈夫?



「ディーアって、他のクランに入ってたりはしないのか?」

「ああ、俺はずっと根なし草としてあっちこっち旅してたからさ。クランに入るとなかなか自由に動けないだろ。……けど、そうだな、皇帝を倒すのが目標か。ヴァージャ様がいるなら役に立てるかは微妙だけど、それでもいいならお邪魔するよ」

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」



 ディーアのその返答に、フィリアはそれはそれは喜んだ。目も表情もキラキラと輝いていて、いっそ眩しいくらいだ。エルが加入してからずっと四人でやってきたからなぁ、新しくメンバーが増えるのは久しぶりか。まあ、オレたちも普通に反帝国組織として動くことになるだろうから、今までとあんまり変わらない気がするけど。



「ふふ、面白そうね。私もお邪魔していいかしら。もちろん、リーヴェがよければ、だけど」

「え、サ、サクラも……!? いや、オレは別に……今更文句も反対する気もないけど……」



 すると、今度はヴァージャとは逆隣りに座っていたサクラまでそんなことを言い出した。さっきのあの一件でウロボロスからは完全に離反した形になってるだろうし、むしろサクラのお陰でマリーやハナに怪我をさせずに済んだようなものだから、今更「裏があるんじゃないか」なんて疑う気もない。彼女まで加入してくれるなら素直に有難い限りだ。


 でも、最終的に決めるのはリーダーのフィリアだから、と思って彼女を見遣ったものの、フィリアはフィリアで、オレの反応や顔色を窺うように期待に満ちた眼差しを向けてきていた。ばちりとかち合う視線に、思わず苦笑いが浮かぶ。


 それを了承と取ったらしく、フィリアはまた嬉しそうに、それでいて幸せそうに表情を破顔させてサクラに向き直った。



「もちろん! リーヴェさんがいいなら大歓迎ですよ!」



 ヴァージャもエルも、反対する気はないらしい。ヴァージャはいつも通りほとんど無表情だけど、エルの顔にも嬉しそうな色が滲む。

 また賑やかになりそうだな、ディーアもサクラも大人だからそこまで弾けることはないと思うけどさ。

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