イルカのペンダント

 ティラはもちろんのこと、ヘクセとロンプも、あのマックが子供に手も足も出ずに負けたということが信じられないようだった。三人とも絶句したまま、ただただマックを見つめるしかできずにいる。


 そりゃそうだ、オレだって未だに信じられないよ。あのマックがヴァージャ以外の――それも子供に叩きのめされるなんて。


 スターブルで暮らしてた頃はマックしか天才ゲニーを見たことがなかったから、そのマックより強いやつがいるなんて思えなかったし、ヴァージャがあっさりと勝った時は驚いたもんだ。けど、世界全体で見てみれば強いやつはたくさんいる。


 ……サクラの言うように、それでもティラたちはマックがいいんだろうか。



 シンと静まり返る中、一番に動いたのはティラだった。

 自分の手首を踏んだままのサクラの足に蹴りを叩き込むことで彼女を強制的に退かせてしまうと、落ちていた剣を拾って――あろうことか、こっちに飛び出してきた。剣が届くほどの間合いまで駆けてきたものの、さっきみたいに襲いかかってくることはなかった。



「リーヴェ……お母さんに、会いたくないの? コルネリア様はあなたのこと本当に心配してるし、会いたがってるわ……わたしと一緒に、お母さんに会いに行きましょう?」

「……」

「わたしもマックも、あなたをお母さんに会わせてあげようとしてるだけよ……」

「……会いたかったら、ティラの手を借りなくてもみんなと一緒に行くよ」



 会いたいと思ったら、ヴァージャたちと一緒に会いに行けばいい。マックやティラに助けてもらう必要なんてない、現在進行形で探されてるんだから。こうまでオレをコルネリアって女に会わせたがるのは、単純に金がほしいから、なんだろう。


 サクラをはじめ、エルとディーアがこちらに駆けてくるのが見える。でも、右肩をやられたティラがほとんど戦えないことはみんなわかっているらしい、誰も彼女に追い打ちという名の攻撃を仕掛けようとはしなかった。


 オレがそう呟くと、ティラは複雑な表情を浮かべる。泣きそうな、それでいてムカついているような。……彼女のこの表情には覚えがある、物事が思い通りにならないことに腹を立てる子供みたいな顔。



「……あなた、変わったわ。前はそんなふうに口ごたえする人じゃなかった。グレイスっていう力のせい? でも、勘違いしない方がいいわよ。周りがあなたを守ろうとするのも、大事にするのも、全部その力のお陰。を大事にしてるわけじゃない、その力がなければ誰もあなたになんて見向きもしないんだから」



 ……そうだな。ミトラやアンたちはずっと前から家族みたいに接してくれたけど、他のみんなはそうじゃないもんな。ヴァージャだって、オレのこの力が必要だから傍にいろって言ったんだし。



「……けど、今のオレにはどうしたってそういう力があっちまうんだ。力がなかったら、なんてもしもの話をしたってどうしようもないんだよ」

「――!」



 何をどう思っても、オレに周りを成長させる力があるのは事実なんだ。もしもこの力がなかったら~なんて話をしたって何にもならない。単純にオレを傷つけたかったんだろうティラは、その返答に驚いたようだった。


 そりゃあ、少し前までのオレなら、今の言葉で地の底まで落ち込んでただろうからな。そうならないように変われたのは、それこそヴァージャたちと出会えたからだ。その出会いがあったのは、そもそもこの力のお陰なわけで。


 この力目当てで周りが大事にしてくれる――じゃなくて、この力のお陰でみんなと出会えた、そう思いたい。どう思うかなんてオレの自由だ。



「そんなの……ッ! そんなの、わたしの知ってるリーヴェじゃないわ!」



 でも、それはティラにしてみれば面白くない返答だったらしい。そう声を張り上げて、手に持っていた剣を躊躇いもなく振るってきた。金が必要なら本気で襲ってくることはないだろうと思ってたんだけど、甘かったみたいだ。ほぼ逆上してるようなティラの表情に、思わずぎくりと身が強張る。


 けど、振られたその剣が直撃するよりも前に腹の辺りに腕が回され、身体が後ろに引かれたことで事なきを得た。いつだったかもこんなふうに助けられた覚えがあるから、今更誰かなんて確認するまでもない。



「――お前にとってはそうでも、私にとってはこれがリーヴェなのだ。従順な相手がよいなら人形遊びでもしていろ」



 頭上からすっかり耳慣れた涼しい声が聞こえてきたかと思いきや、目の前にいたティラの身が何かに殴られたかの如く大きく吹き飛んだ。ちらと顔を横向けて背後を見遣ると、そこには当たり前のようにヴァージャがいた。



「……ヴァージャ、あんたいつからいたんだよ」

「わりと前から」

「それなら黙って見てないで早めに出てこいってんだ」

「だが、言いたいことを言えてよかったじゃないか」



 ……まあ、うん。それはあるけど……もしかして、そのために傍観を決め込んでたのか。危なかったらいつでも助けに入れるような場所で待機して、好きに言わせてやろうって。少し離れた場所で、エルがホッとしたように胸を撫で下ろしているのが見える。焦ったんだろうな、オレもだよ。


 ヘクセとロンプはふらふらになりながら立ち上がると、マックとティラの傍に駆け寄った。その表情は複雑そうだけど、これ以上やり合おうって気はもうないらしい。マックの方は憎々しげにこちらを睨みつけてくるものの、エルの最後の一撃は余程効いたようだ。身体的にはもちろん、精神的にも。



「ク、ソが……ッ! おぼ、えて……やがれ……」



 その絞り出すような呟きを最後に、マックたちの身は白い光に包まれて消えた。ヘクセ辺りが使った転移術だろう、決して好きになれるタイプじゃないけど、彼女たちだって優秀な魔術師だ。……サクラの言葉、どう思ったかな。



「リーヴェさん! 大丈夫ですか!?」

「あ、ああ、ありがとな、エル。助かったよ」

「……あら? リーヴェ、これはあなたの落としものかしら」



 マックたちが消えてから数拍後、辺りに気配がなくなったのを確認してからエルが大慌てで駆け寄ってきた。ディーアとサクラもそっと安堵を洩らしてこっちに歩いてくる。その途中で、ふとサクラが地面に落ちていた何かを拾った。



「落としもの?」

「ええ、そこに落ちてたわよ。可愛いイルカね」

「あ、それ……」



 傍らに歩み寄ってきたサクラの手には、ヘルムバラドを出る時にマティーナに託されたイルカのペンダントがあった。さっき殴られた時に上着のポケットから落ちちまったのか。そのペンダントを受け取ろうとしたところで不意に真横から猛烈な勢いで強奪されてしまうと、そのまま止まるしかなかった。渡そうとしたサクラも、同じように固まるしかできずにいる。


 横からペンダントを強奪したのは、ディーアだった。そのまま痛いくらいの力で肩を鷲掴みにしてくるものだから、思わず軽く表情が歪む。



「……これ、……これをどこで!?」

「ヘルムバラドを出る時に、マティーナっていう女の子に託されたんだけど……」

「マティーナを知ってるのか!?」

「……あの、マティーナさんが言ってたノクスさんって、もしかして……」



 そのあまりの勢いに、エルがぽつりと呟いた。

 ……うん。マティーナの兄ちゃんの「ノクス」って、このディーアのことなんじゃないか。

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