あの時の言葉をもう一度
アンに連れられて向かった孤児院で、それはそれは熱烈な歓迎を受けた。
ミトラはもちろんのこと、旅に出る時に比べてちょっと大きくなったガキどもに前後左右から引っつかれて潰されて、ひどい目に遭った。
オレがいない間に孤児が増えたような様子はない、それは喜ばしいことだ。この調子で孤児なんて悲しい境遇の子供が減ってくれるといいんだけどな。
積もる話を聞いて、話して、あーだこーだしてるうちにすっかり陽が暮れちまった。昼頃には一度街を出て洞窟に向かう予定だったのに、予定は未定とはよく言ったもんだ。まいったなぁ。ヴァージャは「別にいいだろう」って言ってたけど、いいの? 本当に? ……まあ、一日くらいならいい、のか?
「久しぶりの手料理は口に合ったかしら?」
「ああ、もちろん。やっぱミトラの味は出せないんだよなぁ」
「ふふ、熟練度が違うもの♡」
二十一時を回る頃には、ヤンチャ盛りのガキどももすっかり夢の世界に旅立った。以前のように、ヴァージャはその子供たちを寝かしつけに寝室まで同行している。今頃、まだ寝たくないって駄々捏ねられてるかもなぁ。
ミトラと二人で台所に立って洗い物をしながら、久方振りに軽口を交わす。懐かしいな、ちょっと前はこういうやり取りが当たり前だったんだっけ。
「ねえ、リーヴェ。ヴァージャ様とは上手くいってるの?」
「…………え?」
やっぱりこのスターブルにはほとんど話も噂も届いていないようで、ミトラもアンも今の世界で起きてることを何も知らなかった。
夕食の仕込みをしてる時にミトラには大体の事情を話したけど、ヴァージャとのことは何も伝えていない、まったく触れなかったはずだ。不意打ち気味に向けられた言葉に思わず声が上擦った。
隣に並び立って洗い物をする彼女を恐る恐る見遣ると、当のミトラはどこか得意げに笑ってみせる。
「わかるわよ、何年あなたを見てきたと思ってるの?」
フィリアもそうだけど、本当に女の勘ってやつは恐ろしい。ヴァージャみたいに頭とか心が覗けるならわかるけど、そういうわけでもないのになんでこんなにわかっちまうんだ。……バレてるならバレてるで、いいか。下手に言い訳したってミトラにはどうせ通じない。
「う、上手くいってるとは思うけど……これでいいのかなぁ、ってちょっと思ってる」
「あら、どうして?」
「……オレはミトラのこと母さんとか姉さんみたいに思ってるけどさ、そういう人には普通、あの……子供とか見せたいって思うだろ」
でも、オレも男だし、ヴァージャも男だし。当たり前だけど子供なんかできないわけで、そういう付き合い自体まだ全然してないけど。……いったい何を考えてんだ、オレは。
悶々するオレとは対照的に、ミトラは「バカねぇ」と言って笑った。その声色はなんだか嬉しそうだった。
「そういう気持ちはとっても嬉しいけど、リーヴェが幸せであることが大前提なのよ。だから、周りのことをあれこれ考えて自分の気持ちに嘘をついちゃダメ、わかった?」
「う、うん……でも、なんでそんな嬉しそうなの?」
「ティラのこと何年も引きずるんだろうなぁ、って思ってたからね。またリーヴェが誰かを愛せたことが嬉しいのよ、当たり前でしょ♡」
そう言って笑う彼女は、本当に嬉しそうだった。思わず見惚れてしまうくらいに。ミトラには、きっと一生敵わないんだろうなぁ。
* * *
洗い物と朝の仕込みを終わらせてから久しぶりの家に帰ると、時刻は既に二十三時を回っていた。旅に出てる間はミトラが管理してくれていたらしく、部屋の中は充分すぎるほど清掃が行き届いている。彼女には頭が上がらないことばっかりだ。
ブリュンヒルデは孤児院の用心棒――という名の飼い猫になってるため、いつものように子供たちの布団に潜り込んで眠ったらしい。だから、今は正真正銘ヴァージャと二人っきりだ。
寝る支度を終えてから、寝室の窓を開ける。南大陸の南側に位置するこのスターブルは比較的暑い、夜はこうして夜風を入れると気持ちよく眠れるんだ。
「明日こそ洞窟に行かないとな、まさか一日潰れるとは思わなかった……」
「だが、ミトラたちに会えて少しは気分転換になっただろう。……ヘルムバラドを出てから色々あった」
「……なあ、もしかして先に街に寄ったのって……そのため?」
北の大陸に渡る船に乗った時から、本当に色々なことがあった。
金儲けの連中にジロジロ見られたかと思いきや、港街に着いたら無能狩りなんてものに巻き込まれるし、しかもオレを捨てた母親らしき女が今度は金を懸けてまでオレを探してるみたいな話もあった上に、穴には突き落とされて、トドメが今朝のリスティだ。正直、精神的にキツかった部分はある。
寝台に座るヴァージャを見遣ると、当の本人は否定も肯定もしなかった。
……そういうとこなんだよ。見目がよくて反則級に強くてさりげない気遣いもできるって、こんなやつ他にいるか、いないよ。エルは将来有望だけど。
オレが精神的にちょっとキツいのを知った上で、洞窟に行くよりも先にミトラたちに会わせてくれたんだろう。それを理解するなり、顔面に熱が募るのがわかった。困ったことに、ほんのり気持ちいいくらいの夜風じゃ一向に冷めてくれない。
どうしようか内心でひっそり考えていると、後ろで動く気配がした。そちらを振り返るのと、いつかの時と同じように顔の横に手が添えられるのはほぼ同時のこと――明かりの落ちた室内でヴァージャの黄金色の眸がほんのりと光る。
「リーヴェ、もう一度言ってもいいか」
「……何を?」
「私の伴侶になれ。他の誰でもなく、お前でなければ駄目だ」
……懐かしいなぁ、そういやこの台詞から始まったようなものなんだっけ。最初はただの不審者にしか思わなかったけど。あの時と今とじゃ、場所以外は色々なことが違い過ぎる。
あの時は、こんなことになるなんて夢にも思わなかった。
……こんなに好きになるなんて、思わなかった。
横髪に触れる手に片手を重ねて、手の平に頬を寄せる。触れる箇所から伝わる体温がいつもより少し高いような気がした。こいつも緊張してんのかな。
「……ああ。大事にする」
「……それは私が言うことなんじゃないのか」
「うるさいな、オレだって男なんだよ。好きなやつ大事にして何が悪い」
照れ隠しにそう答えると、ヴァージャはふっと薄く笑った。そのまま静かに降った口付けはいつも通り、ただ触れるだけのものだったけど、充分だ。充分過ぎた。
こんなに幸せでいいんだろうかってくらい、とにかく幸せでどうしようもない。
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