懐かしの故郷へ

 驚くしかないレベルに成長した元子猫の姿をまじまじと観察する暇もないまま、元子猫――ブリュンヒルデの背中に乗って、遥か南へと飛んだ。文字通り空を。それにしても、やっとブリュンヒルデって名前がしっくりくるようになったな、前のあの愛くるしい姿だと名前負けし過ぎてたもんな。


 雲よりも更に上を飛行するブリュンヒルデの背から地上を見下ろしてみるけど、あまりにも高過ぎてほとんど何もわからなかった。海とか森みたいな場所ならわかるけど、村はもちろん街だって全然視界に入らない。ここから落ちたら即死だろうなぁ。



「落ちたくないなら大人しくしていなさい」

「わ、わかってるよ……空なんて飛んだことないから珍しいだけで」



 ヴァージャは俺の後ろに座って、落ちないように腹の辺りに片腕を回して支えてくれてるんだけど、如何せん距離が近い。そういう意味で落ち着かないっていうのもある。落ちたくないから離れろとか暴れたりはしないけど。


 ヘルムバラドの宿から見た景色は絶景だったけど、これは比較にならないな。完全に別物だ。これがあれか、俗に言う「神の視点」みたいなやつか。



「そういや、オレたちだけで来てよかったのか? フィリアとエル置いてきちゃったけど……」



 いつも四人で行動するのが当たり前になってたから、二人旅ってのも落ち着かないもんだ。旅に出たばかりの頃はヴァージャと二人だったのになぁ。朝の仕込みもそのままにしてきちまった、エルが上手い具合にやってくれるといいんだけど。



「あの二人には別のことを頼んである」

「別のこと?」

「家族なり友人なり、帝国の被害を受けるのが心配な者がいるなら拠点まで連れてきておけと言っておいた。フィリアはともかく、エルはボルデの街に両親がいるだろう。他のメンバーにもそういう者がいるかもしれない」



 ああ、そう言われてみればそうだな。フィリアの親は帝国領にいるから大丈夫だろうけど。エルなら一度行ったことのある場所には術で飛んでいけるし、適任ってわけか。帝国兵がこれからどういう行動に出るかはわからないけど、あの港街でのことを思えば、無能狩りついでに無関係の人にまで手を上げるかもしれない。邪魔をするなら、特に。


 それにしても、連れてきておけって言うくらいだから……ヴァージャが言う要塞ってオレが思ってるよりずっとデカそうだな。



 * * *



 徒歩だと長い時間かかった移動も、空からならほんの数十分で辿り着いた。眼下に懐かしい街並みが見える。オレがどこの人間だって関係ない、オレにとっての故郷はやっぱりこのスターブルなんだ。


 まさか街中に降りるわけにもいかず、近くの林の中に降りてから徒歩で街へと向かう。その道中、身の丈五メートルはあろうかというブリュンヒルデの巨体は見る見るうちに成猫ほどの大きさに縮んでいった。



「お前、縮めるのかよ。便利な猫だな」

『ヴァージャ様が人型になれるのと似たようなものです。ちなみに、わたくしのコトバはヴァージャ様と、巫術を会得されているリーヴェ様にしか通じませんので、孤児院のみなさま方の前ではただの猫として扱ってください』



 じゃあ普通の人には猫がにゃうにゃう言ってるだけにしか見えないってことか……正直そっちの方が断然可愛いと思うんだけど。純粋に羨ましい。そういや、話そうと思えば普通の動物とも話せるのかな、機会があればやってみるか。



 スターブルの街は、相変わらず和やかな雰囲気が漂っていた。旅に出た時と変わらず街のみんなは楽しそうだ。あれ以来マックたちがやってくることもなく、統治クランはウラノスのままのようだ。街の連中はヴァージャに気付くなり、パッと表情をより明るくさせてあちこちから声をかけてくる。


 ……そういや、ヴァージャって街の英雄扱いだったな。しばらく離れてたけど、ちゃんと覚えててくれるものなんだ。



「……さすがにここまではまだ帝国兵も来ていないようだな」

「ああ、神さまが現れたって話も届いてるかどうか……行商人が結構来るし、噂くらいなら届いてると思うんだけど……」



 スターブルは南大陸の南側に位置する小さな街だ、ヘルムバラドからはそりゃもう確認するまでもなくメチャクチャ離れてる。あちこちを旅してる行商人がわりと頻繁に来るから、誰かが聞いてそうな気もするんだけどなぁ。

 それにしても、ここにもいずれ帝国兵が来るのか。それを考えると気が重い。



「……リーヴェ?」

「え?」

「――! やっぱりリーヴェとヴァージャだ! 旅終わったの? おかえり~!」



 懐かしい声が聞こえてきたのに反応して振り返ると、そこには赤茶色の髪をした女の子が――アンが立っていた。いつもおさげにしていた髪は後ろに流す形で下ろしていて、ちょっとお姉さんっぽい。アンはオレたちの姿を確認するなり、その顔を嬉しそうに破顔させて飛びついてきた。


 その勢いに軽くよろけつつ抱き留めてやると、アンは喜色満面といった様子で顔を上げる。それにつられて、思わず表情が弛んだ。



「旅はまだ終わってないけど……なんだよ、随分と大人っぽくなったんじゃないか?」

「えっへへ~! だって、学校に通ってるおねーさんだもん! ヴァージャも久しぶり、元気だった?」

「ああ、特に問題ない」



 お姉さんって自分では言ってるけど、こうやって嬉しそうに笑うとやっぱりまだ年相応の可愛らしさがあってホッとする。ちょっと旅に出てる間にメチャクチャ成長されてたら色々と後悔しそうだ、ブリュンヒルデがいい例だよ本当に。


 続いてヴァージャにも元気よく挨拶したアンだったものの、何を思ったのか驚いたように目を丸くさせるなり、オレの腕を掴んで引っ張ってきた。そのまま内緒話よろしく軽く背伸びしてくるから、それに合わせて軽く屈んでみる。



「ねえ、ねえ! 何かあったの?」

「なんで?」

「だって、ヴァージャってあんなふうに柔らかく笑うタイプだったっけ……?」



 その言葉を聞いてちらと視線だけでヴァージャを見遣ってみると、確かに――言われてみると出会った頃とは随分と印象が変わったと思う。いつも一緒だと全然気づかないけど。「何かあったのか」と聞かれて思い浮かぶことはそう多くない、多くないけど、アンに言うのは色々とマズい。



「……別に何もないよ」

「えーっ! あっやし~い! ねえねえ、孤児院に寄っていけるんでしょ? ミトラたちもきっと喜ぶよ、行こう行こう!」



 寄っていけるんでしょ、とは言うけど、問答無用に手を引いてくるものだから選択肢なんてないようなものだ。ヴァージャを振り返ってみると、言葉もなく小さく頷いた。……まあ、孤児院でみんなの顔見てから洞窟に行ってもいいか、まだ時間も早いんだし。


 ……これまで何も考えてなかったけど、ヴァージャとのこと、ミトラにだけは話しておいた方がいいのかな。でも、なんだろう。結婚前の挨拶みたいな雰囲気になりそうな気がする。


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