夢の国の一夜

 その後、マティーナによって神が再臨した旨が大々的に発表されることとなった。

 ちょうどヘルムバラドを訪れていた観光客たちの反応は、歓迎する者や困惑する者、否定的な目で見る者など様々だ。この分だと、瞬く間に世界中に噂が広まりそうだな。


 マティーナはオレたちのことを暈して発表してくれたため、好奇心に満ち溢れた民衆に詰め寄られるなんてことはなかったけど、ヴァージャにしてみれば居心地は悪いみたいだ。そりゃあ、今まで神さまなんていないっていうのが当たり前の認識だったんだから、いきなり神さま神さま言われても反応に困るだろうよ。


 あと、数日滞在することになっちまったから明日からのことを考えると気が重いんだろう。せっかくだからアトラクションを全て制覇してから北の大陸に向かうんだとフィリアが張り切ってたから、オレも明日からのことを考えるとちょっと怖い。



 夕食と湯浴みを終えて寝る支度を済ませてから、今日も宿から夜景を眺めていた。

 神さまが再臨したっていう知らせの影響か、今夜は昨日よりも街の明かりが多く、より賑やかに見える。このヘルムバラドで「神さまが現れた」って広めてくれるなら、オレたちがどうこうしなくても勝手に話が広がっていくだろう。そうなれば、信じるか否かは別としても、ヴァージャの力もすぐに元通りになってくれるはずだ。


 ……けど、ちょっと心配な部分もある。

 疲れたように寝台に転がるヴァージャを見ると声をかけるのも憚られるけど、有耶無耶にするよりはハッキリさせておきたい。



「……なあ、今更だけどさ。神さまってバラしちまってよかったのか?」

「そろそろ頃合いだろう、あの研究員たちやリュゼの記憶も直に戻る。そうなった際、世界中にいるグレイスやカースたちからできるだけ目を逸らすには、それよりも目立つ何かがいればいい」

「まさか、そのためだけに……?」



 そりゃ、他の何よりも神さまって存在の方がインパクトがあるから、大勢の目と関心を惹きつけることはできると思う、思うけど。中には神さまに戦いを挑んできたり、神っていう絶対的な存在を打ち負かすことを目標にして襲ってくるやつもいるかもしれない。何しろ、この世界は強いやつが絶対だ、神に勝ったとあればそれはそれは素晴らしい自慢になる。



「そうだな。しばらくは問題ないだろうが、今後の旅の中で私の正体が知れた場合はそういう勇敢な者も現れるかもしれない」

「だろ、あんたが鬼のように強いのはもう今更確認するまでもなく知ってるけどさ、スターブルでマックたちが組んで襲ってきたみたいに色々な手を使う連中も出てくると思うんだ。そうなったら、あんたが……一番危ない目に遭うんだぞ」



 この世界で力を持ってる連中は名誉を得るためなら何でもするやつが多い、それこそマックみたいな。もしかしたらマックよりもひん曲がったやつだっているかもしれないんだ、ヴァージャが神さまだって世界中に知れたら、どんな目に遭うことか。身体的なことはもちろん、精神的に傷つくことだって……ないとは言えないわけで。


 そんなことをあれこれ考えていると、ヴァージャが寝台を降りて昨夜の時みたいに隣に並び立った。腕を組んで地上を見下ろす堂々たる出で立ちは、やっぱりと言うかなんと言うか威厳みたいなのがある。



「お前は本当に、私を人間のように扱うのだな」

「……そうかな。どんなに強くても人間も神さまも怪我したら痛いし、ひどいこと言われたら傷つくもんだろ」



 全部聞けたわけじゃないけど、こいつは永い歴史の中で色々な人間たちに手の平返されてきただろうし、その心の中はきっとオレの想像以上にボロボロなんじゃないかって思う。それなのに、更に傷つくことになるかもしれないと思うと言葉にならないくらい心配だし、嫌な気分になった。



「その心配は有難いが、お前が傍にいてくれるなら問題ない。心身にどのような傷を負ったところで、お前が痕も残らず消すだろう」

「いや……心の傷は無理だろ」



 すると、不意にヴァージャの手が横髪に触れた。指の背でゆったりと頬を撫でてきたかと思いきや、そのまま手の平を触れさせてくるものだから一瞬喉の奥が不自然に引き攣ったような錯覚に陥る。オマケに軽く目を細めて笑うから、心臓を鷲掴みにされてるみたいだった。……こいつはもう少し、自分の顔面の良さを自覚するべきだと思う。



「お前は、何を見せても私を怖がらなかった。私がそれでどれほど救われたか、……自覚がないのも困りものだな」

「そう、言われてもなぁ……自分を守ってくれるやつとその力を怖いとか、あんまり……思わないだろ」

「……そうだ、そういうお前だから好きになった」



 あの船の上でのことといい、昨夜のことといい、もしかしたらと思ったりもしたけど、ついには決定的な一言を言われて逃げ道がなくなった。冗談だろって茶化して逃げることもできるけど、これは、その、そういうふざけた雰囲気じゃない、だろ。逃げたらむしろ最低なやつだ。


 オレはヴァージャのこと、どう思ってるんだろう。考えようとして早々にやめた。

 特別な感情がなかったらこんな……まともに顔も見れないくらい顔面が熱くなったり心臓が騒いでないだろ。オレだってさすがにそこまでバカじゃないし、気付かないフリができるくらい器用でも……ない。


 頬に触れていた手が相変わらずゆっくりとした動作で顎に滑り降りると、そのまま緩い力で軽く上を向かされた。月みたいに綺麗な色をした黄金の双眸がまっすぐに見つめてきて、金縛りに遭ったみたいに身動きひとつできなくなった。昨夜みたいに距離が近くて、でも昨夜と違うのは……今日はナーヴィスさんがいないから、第三者に止められる可能性が……ない、こと。



「……突き飛ばさないなら、このまましてもいいのか?」

「…………この状況で、そんなこと聞くなよ……」

「いや、こういうことは合意の上でなければというのをよく耳にしたのでな」

「そりゃあ、立派な心掛けだこと……ああやめだやめだ、さっさと寝るぞ」



 これからキスするって時に確認なんてするなよ、一人でドキドキしてバカみたいじゃないか。頬に触れてた手を払い寝台の方に踵を返したところで腕を引っ張られて、今度は後ろから強い力で抱き寄せられた。慌てて肩越しに振り返ると何か言うよりも先に――強引に口付けられて口を塞がれる。それは触れる程度のほんの短い間だったけど、異様に長く感じられた。



「冗談だろう、拒否しないのなら逃がしてやる気はない」

「あ……あんたって、そんな……底意地悪そうに笑う、タイプだっけ……」

「さてな」



 ヴァージャはいつも大体涼しい顔だったり、ふと穏やかに笑ったりすることが多かったと思うんだけど。振り返って見た今のヴァージャは――ひどく意地の悪そうな顔をしていた。


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