諜報部隊ヴァントル

 ヴァージャのその言葉に、オレはもちろんのこと、それまで村人たちの安否確認をしていたフィリアやエルも一度呆気にとられてしまった。それはリュゼも同じだったようで、自分を睨みつけるヴァージャをぽかんと口を開けて見つめている。特徴的なたれ目が丸みを帯びていて、何となくこれまでより幼く見えた。多分、実年齢は三十くらいだろうけど。


 暫しそのままの状態で固まってはいたものの、やがてリュゼは困ったように苦笑いを浮かべると、敵意がないことを伝えるように両手を肩くらいの高さまで引き上げた。



「おいおい、お兄さん何言ってんの? 冗談キツいぜ」

「そ……そうだよ、ヴァージャ。こいつ確かに胡散くさいけど、さすがに……いや、胡散くさいけどさ」

「おい、リーヴェ。二回も言わなくていいだろ、さすがに傷つくぞ」



 胡散くさいのは事実だろ、正直オレだってこいつのことはあんまり信用はしてないぞ。さすがに皇帝の犬ってのはないだろと思ってるだけで。



「……ふむ。“ユーディット”というのは、お前が焦がれる女の名か? 随分と執心しているようだが」

「――!」



 すると、ヴァージャがふと耳慣れない名前を呟いた。どこから出てきたんだ、その名前。

 そんな当たり前の疑問が頭に浮かぶのと、背後から突き刺すような殺気を感じたのはほぼ同時のこと。思わず背筋に冷たいものが走る様子にそちらを振り返ってみれば、リュゼが至近距離で――槍を構えてやがった。ついさっきまで胡散くさい笑みを浮かべていた顔に、ゾッとするような敵意を宿して。



「うわッ!?」



 次の瞬間、槍の切っ先から何かが飛び出した。身体が宙に浮く感覚に思わず引き攣った声が洩れるけど、何てことはない。ヴァージャに抱えられたせいだ。

 間近で放たれたリュゼの攻撃は、まるでデカい大砲で狙撃されたような衝撃だった。ヴァージャが抱えてさっさと避けてくれたから事なきを得たものの、直撃してたら今の一撃で死んでたような気がする。



「リーヴェさん! ヴァージャさん!」

「ユ、ユーディットって……確か、皇帝の奥さんのお名前ですよね……もしかして……」



 爆撃されたような衝撃と共に、辺りにもくもくと立ち込める煙のせいでよく状況が窺えない。村の人たちが上げただろう悲鳴は聞こえるけど、その後に続くエルとフィリアの声を聞けば、どうやらあっちの方までは被害は出ていないようだ。

 ……それにしても、皇帝の奥さんだって? その名前に反応して攻撃してくるってことは……あれか、人妻に横恋慕してんのか。否定はしないけど、皇帝にバレてぶっ飛ばされない程度にしとけよ。



「何の心配をしてるんだ、お前は」

「いや……人様のそういう恋愛事情って心配になるだろ。……さっき言ってた、今回は特に離れるなっての、もしかしてこれのこと?」

「ああ、……この男、自らを凡人オルディと言っていたがまったく違う。マックとかいう男に限りなく近い。……あの槍、なかなか厄介そうだな」



 あのヴァージャに“厄介”とか言われる武器ってどんだけヤバいんだよ。……けど、さっきの威力を思うと確かにかなりヤバそうな武器だ。見た目は槍なのにまるで大砲みたいだった。至近距離で直撃を受けた鉄製の床が大きく抉れている。あんなものの直撃を喰らったら、いくらヴァージャだって……。



「驚いたねぇ……なにお兄さん、俺の頭ン中とか覗けちゃうワケ? どうやったらそんな術を覚えられるのか教えてほしいもんだよ」

「リュゼさん……! じゃあ、あなた本当に皇帝の犬なんですか!?」

「やだねぇ、お嬢ちゃん。犬じゃなくて陛下の忠実な部下って言ってほしいもんだ、これでも皇帝陛下には絶対的な忠誠を誓ってんだぜ」



 フィリアにしてみれば冗談じゃない相手だろう、自分を国から追い出した男の部下とこんな形で対面するなんて。今にも飛びかかってしまいそうなフィリアを、エルが後ろから抱き締める形で何とか宥めていた。



「陛下はいつだって、自らの力を高める方法を求めていらっしゃる。俺が所属する諜報部隊ヴァントルは世界各地に派遣され、陛下がお喜びになられるだろう情報を集めて回ってんのさ。今回、エアガイツ研究所の連中が面白そうな研究をしてるってのを仲間内に聞いて来てみたワケだが、潜入方法に困っててねぇ……」

「……では、あなたが今回の誘拐事件の話を引き受けたのは、この研究所に潜入する口実だった、ということですか」

「そういうことだよ。少しばかり予定は狂ったが、問題ねぇ。当初の予定よりもずっと面白いモンを見つけちまったからなぁ!」



 リュゼはそう声を上げると、再び槍の切っ先をこちらに向けてくる。ばちりとかち合う視線に、背筋に冷たいものが走るような気がした。



「どうだリーヴェ、俺と一緒に来いよ! お前、今まで無能だ無能だって虐げられてきたんじゃないのか? 見返したいやつらだって腐るほどいるだろ? 陛下にお力添えすりゃ、皇帝陛下が直々にそいつらを八つ裂きにして下さるぜ!」



 不意に向けられた誘いに、腹の辺りが引き攣るような錯覚に陥った。断ったら早々にさっきの砲撃みたいな一撃が放たれそうだ。リュゼもそのつもりなんだろう、槍の切っ先にバチバチと紫色の雷の玉が生成されていく。これ、取り引きじゃなくてもう脅しだろ。……断って大丈夫なやつ?



「無論だ、お前のことは誰にも渡さんと言っただろう。それが例え皇帝でも、だ」

「……あいつ、ちょっと倒すの大変そうだけど大丈夫?」

「お前が信じてくれるのなら問題ない」



 くしゃりと頭を掻き撫でる手に思わず軽く目を細めてしまいながら、大人しくヴァージャの後ろに退がった。そりゃあ……ヴァージャが負けるとことか、未だにまったく想像できないもんな。

 それを見て拒否と判断したらしく、リュゼの表情からニヤけた厭らしい笑みが消えた。



「オーケー、それなら力ずくで連れていくまでだ! 色男さんよ、悪いが退いてもらうぜ!」



 リュゼは高らかにそう声を上げると、ヴァージャの反応も待たずに槍の切っ先から大砲のような一撃を叩き放った。

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