幕間

覗いてはいけない傷

 次の場所へと向かう道中、リーヴェが手元で広げる地図を隣から覗き込み、現在地と次の目的地を簡単に確認する。このボルデの街から北に向かうと小さな漁村があるそうだ。その漁村から船に乗り、北の大陸で一番大きな街――アンテリュールを目指すと言っていた。


 歳が近いせいか、先を歩くフィリアとエフォールは早くも打ち解けたらしく楽しげに談笑をしている。初めて会った時は自信なさげな様子だったエフォールも、カースの力から解放されたことですっかり本来の性格を取り戻したらしい。その顔には年相応の笑顔が浮かんでいた。リーヴェは本当に不思議な男だと思う。



「うーん……」



 だが、その不思議な男の様子が少しばかりおかしいのが気になっていた。

 フィリアが次の目的地を告げてからというもの、明らかに元気がなくなっている。何かよからぬ思い出でもある場所なのだろうか。リーヴェは確かスターブルの街を出たことはないと言っていたはずだが……。


 いつものように勝手に覗き見ることは簡単だが、普段とはやや雰囲気が異なる。リーヴェの意思を無視して覗くことは憚られた。


 ……またあの女――ティラと言ったか、あの女のことでも考えているのだろうか。殺されかけたとは言え、婚約していたのだから情が残っていてもおかしいことは何もない。


 聞いてもいいものか悩みどころではあるが、こうしていても仕方がない。そのまま聞いてみることにした。



「リーヴェ、何かあったのか」

「……なんで?」

「何となく様子がおかしい、またあの女のことでも考えているのか」



 思ったままを告げてやると、地図から顔を上げて驚いたような顔をした。だが、すぐに目を細めて嫌そうな顔をし始める。どうやらアテが外れたらしい。



「違うよ、いくらオレだって殺されかけたのに未練だの何だのウダウダしないって。……ティラが強いやつを求めるのはわかるしさ」

「わかる?」

「ああ、ティラには夢があるんだ。だから、いずれは国を築けるような力のあるクランと、それを率いる天才を求めてんのさ」



 夢……そういえば、スターブルの街で領地戦争に手を出した後、そんなことを言っていたような気もするな。呆れ果てるばかりでほとんど話半分だったが、この口振りだとリーヴェはその夢とやらを知っているんだろう。



「……ティラって、マックに会う前は本当に才能だとかなんとか気にしないタイプだったんだ。オレみたいな無能でも普通に暮らせるような国を作りたいって言っててさ、その頃から力のあるクランを探してたんだよ」

「国を……作る?」

「統治権を持てるくらいのクランがもっと力をつけていけば、そのまま一国を築くことだって夢じゃないんだ。小さくてもいいから国を作るっていうのがティラの夢、……今は多分、あの頃とは違うんだろうけど」



 なんだ、あの女もそれなりの夢を抱いているのではないか。……だが、そうだな。そのリーヴェをあのように襲撃するくらいだ、今は恐らく当時とは異なる野望を胸に抱いているのだろう。


 などと考えていると、再びリーヴェが目を細めて睨むような視線を向けてきた。



「けど、別にそういうことをあーだこーだ考えてるわけじゃないんだよ。何度も言うと強がりに聞こえそうだけど、未練とかはないの」

「では、何を考えて落ち込んでいる?」

「……船酔いしそうだなぁ、って。アレかなりキツいって聞くんだよ、港に酔い止めでも置いてるといいんだけど」



 そう言いながらフイと顔ごと視線を背けるリーヴェは――やはり何かを隠しているようだった。地図を畳んでカバンに押し込む様を眺めて、数拍。悪いとは思いつつも、そっとその頭を中を覗いてみることにした。



『……――ごめんね』



 えたのは、覚えのない一人の女の姿。

 場所は……どこだろうか。小さな窓くらいしかない、薄暗い一室。女は布で顔を覆いながら泣いているようだった。短い謝罪を紡ぐ声が震えているのはそのためだろう。微かに波の音が聞こえたような気がした。



『ごめんなさいね、リーヴェ。でも……母さん、こうするしかないの……』

「――!」



 その一言を聞いて、勝手に覗き見ることをやめた。これは本人の了承なしに見ていいものではない、リーヴェが心に抱える傷そのものだ。


 母らしき女、謝罪、波の音。

 恐らく、リーヴェは親に関することで海に何らかの苦い想いと記憶を抱えているのだろう。



「ほら、早く行こうぜ、あいつらに置いてかれちまう」

「……ああ」



 そう言って笑うリーヴェは、いつも通りに振る舞っているつもりのようだった。無理をしているのは一目瞭然だ、下手をすればフィリアやエフォールもその様子がおかしいのに気付くだろう。


 二人の後を追うその背中を眺めていると、小さくため息が洩れる。

 苦しいのなら、せめて私にだけでも吐き出せばいいものを。頼られないということが、ひどくもどかしかった。上手く言葉にならないほどに。


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