真っ黒くてドロドロしたもの

 翌朝、いつもより少しばかり早い時間に目を覚ましたオレは、特に何かをするでもなく窓から外を見ていた。辺りからは鳥のさえずりが聞こえてきて、何とも気持ちがいい。実に清々しい朝だ。


 空にはうっすらと雲がかかっているものの、今日も雨とは無縁そうだな。姿を現してまだ間もない低い太陽が、燦々と地上を照らしている。その光を遮るには、薄い雲じゃまったく足りやしない。


 ヴァージャはまだ寝てるし、この調子だとフィリアも夢の中だろう。現在の時刻は――朝の五時を回って少しと言ったところだ。ヴァージャもフィリアも魔物退治で疲れてるだろうし、できるだけゆっくりと休ませてやりたい。



「(二度寝する気にはなれないけど、オレも荷物整理とかしておこうかな。……ん?)」



 二度寝はする時は気持ちいいんだけど、起きる時には全身がダルくてどうしようもない。今日一日は何もしたくないって思うくらいには。だからヴァージャを起こさない程度に荷物でも整理しておこうかな、なんて思った時。ふと、窓の外に昨日も見た姿を見つけた。金の髪を振り乱して慌てたように走り回るあの姿は――間違いない、エフォールだ。どうしたんだ、あいつ。あんなに慌てて。


 辺りをキョロキョロと見回しながら走る様子から、何かを探しているんだろうと予想できる。けど、顔面蒼白で今にも倒れてしまいそうだ。ちょうどこっちに走ってきたのもあって、声をかけてみることにした。



「おい、エフォール。どうした、何かあったのか?」

「えっ……!? あ、リーヴェさん! あ、あの、こっちに僕と同じような髪の色をした女の人、来ませんでしたか!? 僕の姉さんなんです!」

「姉ちゃん? いや、見てないけど……」



 オレが起きたのはついさっきだから、その前に通ったならわからないけど……少なくともオレがこうやって窓から外を眺めてる最中にそんな人は通らなかったな。そう返答すると、エフォールは風船から気が抜けたようにしょんぼりと項垂れてしまった。別にオレが何か悪いことをしたわけじゃないんだけど、そんな姿を見るとどうにも放っておけない。ずっと走り回ってるのか顔色もすこぶる悪いし。



「オレも一緒に探すよ、こっちの方に来たのは確かなのか?」

「そ、そこまでお願いするわけには……いえ、それがわからないんです。朝になったら姉さんが家にいなくて、それで父さんも母さんも大騒ぎしてて……」



 エフォールの姉ちゃん、確か肺に持病があるとかいう話だったな。病弱な女の人が朝っぱらからいなくなるなんて、普通はあまり考えられないことだ。今にも泣き出してしまいそうなエフォールの顔を見てると胸が痛い、これは素知らぬ顔をして「ああ頑張って」なんて送り出せるわけがない。ここが一階でよかった、ドアから出たら物音でヴァージャを起こしちまうかもしれないけど、窓からなら大丈夫だろ。


 荷物は置いて行っていいだろうし――ああ、ヴァージャが肌身離さず持ってろって言ってた短剣だけは忘れないように持って行かないとな。寝台横にあるサイドテーブルに置いてあったそれを手に取ると、微かにすずの澄んだ音が鳴った。



「じゃあ、二手に分かれて探そうぜ。心配なのはわかるけど、お前も顔色が――」



 錫の短剣を手に再び窓に戻ったところで、思わず言葉が中途で切れた。不安そうな、申し訳なさそうな顔でこちらを見ていたはずのエフォールの顔が見えない。正確には、彼の身に纏わりつく、黒く不気味なに疎外されて見えなかった。それは帯状になっていてまるでヘビのようにエフォールの身体に絡みつき、頭から彼を喰らおうとしているかのようだった。モヤのようでありながら、ヘドロのようにどろどろで、眼球のない顔部分は憎悪に歪んでいる。



「(これ、この錫の剣に直接触ってるせいか……? もしかして、これがカースの……ヴァージャにはこれが見えてたのか……!?)」



 目の前のその光景はあまりにもおぞましくて、ヴァージャが言っていたようにまさに“呪い”そのものだと思った。けど、気になったのは……絡みついている不気味なそれが「女」のように見えること。そこで、あまり考えたくはない決して愉快じゃない仮説が頭に浮かんだ。



「リーヴェさん? どうか……したんですか?」

「……なあ、エフォール。お前の姉ちゃんって、もしかしてオレと同じ無能ニュール?」

「えっ、……は、はい。そうです。僕とは正反対だから、姉さんはそれが随分とコンプレックスみたいで……」

「(最悪……)」



 エフォールは、昨日確かに自分で言ってたはずだ。

 “以前から僕はなんだか……天才にしては、それほど強くないって自分で思ってたんです”って。彼はネロの親友に恨まれていると思ってるようだけど、それもあるのかもしれないけど、本当はそうじゃない。


 こいつは実の姉ちゃんにずっとずっと恨まれてきたんだ。だから天才ゲニーなのに思うように力が出せないんだろうさ。


 エフォールの全身に絡みつく黒いそれは、一部分が霧のようになって街はずれの方に伸びている。恐らく、その先にこの怨念の持ち主が……エフォールが探してる姉ちゃんがいるんだろう。オレの真逆のカースが。


 直接会うのは少しばかり怖い気はするけど、このモヤが見えてないエフォールは依然として不安そうだ。取り敢えず、錫の剣が見せてくれるそれに従って行ってみることにした。


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