嵐の前のなんとやら

 マックに真っ向から飛びかかっていったアンを追いかけて、真横に並ぶと同時に両手でその身を自分の身体の前で抱き込む。片足を軸にしてマックに背中を向けた直後、殴られたような強い衝撃を全身に感じた。


 次に襲ってきたのは、意識が飛びそうなほどの強烈な痛み。背中が焼け切れてしまうんじゃないかと思うくらいだった。目の前が一瞬真っ暗になって、自分の意思に反して足からは力が抜ける。身体を支えていられなくて、思わずその場に倒れ込んだ。


 鼓膜をつんざきそうなほどの悲鳴があちこちから聞こえる、アンは――オレの腕の中で真っ青になりながら震えていた。


 ああ、マックの剣で斬られたんだって理解したのはそれからだった。

 アンを叩き斬ろうとしたマックの剣から彼女を守ることはできたけど、あの至近距離で回避まで間に合うわけがない。ただでさえオレは愚鈍なんだから。



「あ~らら、やだねぇ、俺様の剣に無能の血がついちまったじゃねーか。どうしてくれるんだ? あぁ?」

「リ……リーヴェ……っ!」



 ああ、ヤバい。意識が朦朧としてきやがった。なのに、背中からの激痛に脳が悲鳴を上げるせいで綺麗に意識を飛ばすことさえできそうにない。どうせなら最期くらいは何もわからないまま終わりたかったのに、これじゃ死の間際まで虐げられるしかなさそうだ。せめて意識がない時に殺してくれるなら多少は有り難いんだけどな。


 なんて思ってると、マックが近付いてくる気配がする。どうする、アンを逃がそうにも今逃がしたらそっちに目を付けかねない。



「う、ぐ……ッ」



 ぐ、と引かれる感覚に思わず口からは呻くような声が洩れた。何とも言い難い痛みを与えてくるこれは――後ろ髪を引っ張られる痛みだ。後ろの低い位置で結ってある髪を鷲掴みにでもされたんだろう、加減も何もない力に無遠慮に引っ張られて身体が勝手に起こされた。アンを抱き締めていた手が自然と離れていく。

 それを見て、アンはその場に座り込んだまま必死に声を上げた。



「やめて、やめてよぉ! リーヴェが死んじゃう!」

「おいおいお嬢ちゃん、それはないんじゃない? この無能はお嬢ちゃんを助けるために自分の身を盾にして死にかけてるんだぜぇ? 怒って吠えりゃ何とかなるとでも思ったか? ザンネン、世の中そう甘くないの」

「う……」



 どうやって彼女を逃がそうか、満足に働かなくなった頭で必死に考えるけどいい案がまったく浮かばない。そんな時、耳慣れた別の声がまたひとつ鼓膜を打った。



「リーヴェ……昨日あんなことがなければ、あなたたちの処遇もある程度は考えてあげたのに。孤児院は今日でおしまい、今日中に全員この街を出て行ってもらうわ」

「ククッ、愛しいカノジョが恥をかかされたとありゃ、男として黙っていられないからなぁ。これが、ってことだよ、わかったか無能野郎! 力さえありゃ何でもできる、何でも思い通りになる! 羨ましいだろ!」



 ……ああ、ティラは昨日ミトラにああ言われたことを根に持って、それでマックに頼んだのか。この辺りの統治権を奪って、オレたちを追い出してくれって。そこまでか、そこまでひどい女だったのか。


 力がないってことがどれだけ惨めなのか、味わうのはこれでもう何度目だろう。

 ああ、でも。オレがもしある程度の才能の持ち主だったとしたら、こんなふうに虐げられる側の気持ちはわからなかったのかもしれない。下手すりゃマックみたいになってたかも。それなら、こっちの方がずっといいや。



「ちょうどいい、少しばかり予定が狂っちまったが、俺様に逆らうとどうなるか……この無能を使って教えてやるよ、無能にはそのくらいしか使い道がねぇからな」

「アハハっ、無能でも役に立てることあったじゃん。みんなよぉ~っく見てるんだよぉ、あたしたちに逆らったらどうなるか、ね?」

「無能のくせにウロチョロしやがって。無能なら無能らしく這いつくばりながら日陰にいやがれってんだ、目障りなんだよ!!」



 マックの声に続いて聞こえてくるのは、取り巻きのうちの一人――ロンプの声だ。

 うっすらと霞み始める視界には、泣きそうな顔でこちらを見る街の連中や、エレナさんたちの姿。地面に映るマックの影が剣を振り上げる動作をしたのを確認するなり、最後の力を振り絞ってアンの肩を押した。何とか彼女だけでも無事に逃がしてやらないと。


 喉が裂けてしまうんじゃないかって心配になるくらいの悲痛な声でオレの名前を呼ぶアンの声を聞きながら、衝撃に備えて顔を伏せた。



「(……?)」



 なのに、どれだけ待っても考えていたような衝撃は訪れなかった。

 いや、本当はもう叩き斬られた後で、死んだから何も感じない……とか? それにしては、ガンガン頭に響く背中の痛みは変わらず残ってるけど……。



「あ、あれ?」



 伏せた顔を上げると、さっきまで泣きそうな顔をしていた街の連中は今度は目をまん丸にしてこちらを見つめている。

 慌てて肩越しに振り返った先では――マックが振り下ろした剣を片手で受け止めるヴァージャがいた。



「――だから、私の傍を離れるなと言っただろう、リーヴェ」

「ヴァ、ヴァージャ……」



 あの天才ゲニーを相手に、そんなことを言いながら呑気に肩越しにこちらを振り返ってくるヴァージャの顔はいつも通り涼しげだった。苦労して剣を受け止めているような様子もなく、刃物に触れているはずの手からは血さえ出ていない。


 対するマックは、そんなヴァージャの様子にも、毛嫌いする無能を庇いだてする存在にも腹を立てたらしく、その顔に憤怒を乗せる。けど、マックが次の行動に出るよりも先に、静かにヴァージャがそちらに向き直るや否や、マックやその傍にいたウロボロスのメンバーは大きく吹き飛ばされた。まるで巨大な何かの突進でも喰らったかのように。


 ロンプとヘクセはその光景にも、視界に捉えたヴァージャの姿にもサッと青ざめた。



「……次はないと、そう言っておいたはずだな」



 相変わらず静かな声でそう告げたヴァージャの双眸は、煌々と黄金色に輝いていた。いつかの時と同じように。


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